11

 今回、トゥーリはかなり怪しい言い訳をして、大公の許しも待たずに都を去っていた。それだけでも、宮廷では不可解だと囁かれた。
 その上、事もあろうか、草原の軍勢が大きく動いたという噂が流れ、上から下まで大騒ぎになっていた。
 宮廷は彼が戻るなりすぐさま呼び出した。
 宮宰はほくそ笑み
(あいつ……とうとうやりおった。いかなる仕置きをしようか。)
と手ぐすねを引いて待っていた。

 トゥーリは悪びれもせずに、堂々と登城した。
 場所は広間ではなく、大公の居間だった。大公が庭を背に座っている。衝立が立てられ、西日を遮っていた。
 集っているのは、宮宰・テュールセンの公爵・その他五人ほどの高位の者だった。しっかり順位を守り、並んで立っていた。
 大事にしない構えであるが、そのまま逮捕するつもりだ。
「アナトゥール・ローラントセン、唯今帰着いたしました。」
 彼はうっそりと頭を下げ、斜めに構えて睥睨した。
 早速、宮宰が噛みついた。
「侯爵。今季は、宮廷で忠勤するのがお約束ではなかったか? そなたの先祖代々、宮廷にこのような態度を示した者はおらんぞ。さては、納得のいく理由があってのことだろうな。」
「草原で事があったので。」
「それだけかね? 下手くそな申し開きをひとつして見せよ。ゆっくり聞いてやろう。草原の変事とは何か? 説明せよ。」
「下手くそな申し開きも、上手な申し開きも考えてこなかった。宮宰、あんたは何様のつもりで尋ねているのかな? ……草原に口出ししないこと。これは、古からの取り決めだったではないか。」
 ひどい草原訛りだった。いつもとは全く違う様子に宮宰は怯んだが
「そなたこそ、誰にものを言っているつもりだ。私はそなたより上席なのだぞ。言葉を改めよ! 愚か者!」
と怒鳴りつけた。
 しかし、トゥーリの態度は変わらず
「上席か……。最近、物忘れが激しい。下らぬことから忘れてしまう。あんたは上席だったか。思い出させてくれて、ありがとう。」
と笑った。
 宮宰は唇をぎりぎり噛んだ。
「ふざけるな! この場が何処かも忘れたのではないだろうな!」
「それは大丈夫。大公さまのご居間。」
「わかっているなら、少しは態度を改めんか! 大公さまの御前だぞ!」
「それはそれは……失礼いたしました。」
 彼は大袈裟なお辞儀をした。
 宮宰は怒りのあまり言葉を失った。目をぎょろりと見開いて、彼をねめつけた。
「宮宰さま、宮宰さま。そんなに怒らなくても……命が縮みますよ? 気を落ち着けて。もっとゆっくり話さないと。あなた、顔が真っ赤です。頭から湯気が立ちそうですよ?」
 言葉こそ都の言葉になったが、彼は笑いを噛み殺している。
「この慮外者が! 笑うな! 早く戦乱のことを説明せよ!」
「戦乱? 戦乱か……。そんなに大袈裟な単語をお使いにならんでも……」
 彼は一頻り笑った。そして
「ああ、可笑しい。……小競り合いでございますよ。」
と宮宰に笑いかけた。
「小競り合い? ラザック十旗、ラディーン五旗も召集かけて、小競り合いではすまんわ!」
「おや、ようご存じですね。」
 トゥーリは可笑しくて仕方がなかった。
 彼が何か答えるたびに、居並んだ貴族たちはざわつき、ひそひそ話し合った。
「愚か者! そなた、いつからそのようなことを計画しておった!」
「計画していたのではありませんよ。成りゆきです。」
「成りゆきだと?」
 宮宰は、憎々しげに睨みつけた。
「そうです。成りゆきでそうなったのですよ。草原ではそんなもの。風の吹くまま気の向くまま羊と馬を追い、突き当たれば戦い……」
 彼は宮宰の表情を窺い、言葉を切った。宮宰が身震いした。
 それを見て、彼はにっと笑った。
(お前の質したいのが何か知っているさ。臆病者が!)
 彼は笑いながら続けた。
「気に入らん? ……ならば、テュールの思し召しでございます。人の子があれこれ言っても仕方がない。神さまの思う通り。あっちに行き戦い、こっちに行っても戦い……そういえば、宮宰さまのところにも、よう思し召しが向かいますね。ラディーンがテュールのお遣いで、宮宰さまの荘園にお邪魔していますね。 」
 ラディーンの襲撃を許しているような答えに、貴族たちは恐ろしそうな顔で視線を交わし、今度は静まり返った。
 宮宰は、わなわなと怒りに震えた。
「そなた、知っていて……知らんわけがないな……。それも何とかせよ。いや、それはまた別問題。」
「知ってはいますよ。宮宰さまの荘園のなさりようもね……。 それは別なお話ですね、そういえば。」
 ラディーンの焼き働きには理由があった。宮宰の荘園の衛士たちがラディーンの宿営地に来ては、狼藉を働くことが頻繁にあったのだ。
 宮宰には都合の悪い話だ。話すつもりなのか、牽制のつもりなのか、どちらとも取れるトゥーリの物言いに、彼はますます憎しみを募らせた。

 彼らのやり取りを眺めていた大公が、溜息交じりに窘めた。
「アナトゥール、真面目に答えよ。」
「はい……大公さま。宮宰さまは、戦乱の計画などと大袈裟に仰いますが、都に向けて兵馬動員をかけたわけではありません。草原はもう治まっています。何がお気に召さないのです?」
「何がだと! 大公さま。この愚か者に御自ら質問なさる必要はありません。侯爵よ。そなたは秩序というものがわからんのか? ち・つ・じょ。」
 宮宰が憎々しげに問うのに、トゥーリは薄笑いを浮かべながら答えた。
「世の中が正しくある為の条理と存じます。」
「……字引きの如き……紋切り口上をいたすな!」
「あなたと違って、学がありませんゆえ。読み書きと兵の勘定しかできんのです。それは宮宰さまのご希望通りですよ? 秩序か……それ以上言うことを知りません。」
 宮宰の叱責など何処吹く風と、まだ薄く笑っている。
「都に向けてなどと……。そなた、口に出すのも反逆罪に問われかねんぞ!」
「何故私の言うこと、すること、悪い方へ悪い方へ解釈なさるのかな? 言葉のアヤというものです。まあ、反逆と言うのも悪くない響きではありますが……。こう……何やら劇的な響きがありますなあ。そんなこと言うと、また宮宰さまは誤解なさるのでしょう? 私はそういう気持ちはありませんので、誤解なきように。」
「侯爵。そなたいつもながら、今日はますますもって……くそ生意気な!」
「お品の悪い言葉ですなあ。」
 トゥーリは失笑し、諸侯を一人ひとり眺めて
「くそ生意気? そうですか?」
と問いかけた。
 誰もが彼から目を逸らし、答えもなかった。
 宮宰は、つかつかとトゥーリに歩み寄ると、胸が触れるほど側に立ちはだかった。
「戦好きは父親似で、口の減らんところは母親似。二親の悪いところだけ受け継いだ息子だ。何故この度のことを起こしたのか……学の無いそなたにわかりやすいように言ってやる。何故草原で戦争を始めたのか、と聞いているのだ。大公さまにご説明せんか! そなたは大公さまの臣下であろう!」
 トゥーリは大笑いした。宮宰が激昂すればするほど、可笑しいとでも言うようだった。やっと笑うのを止めると、宮宰をぎらりと光る目で睨んだ。
「子供は親に似るものです。橋の下から拾われてきたのではないんです。……まあよい。お前とて、大公さまの臣下ではないか。偉そうに。俺は大公さまのご下問にしかもう答えん。お前の質問に答える義務はない。」
 “お前”呼ばわりに、怒りが頂点に達した宮宰は言葉も出ず、火の噴くような目でトゥーリを見上げている。トゥーリも物騒な目で宮宰を見下ろしている。部屋の空気が凍り付いた。
 テュールセンの公爵が、宮宰の肩をそっと押し下げ前に出た。
「宮宰さまもシークも。大公さまの御前であるぞ。控えんか。シーク、早く交戦の事実を報告せよ。」
「テュールセンさまも……わかっているくせに。」
 トゥーリは、テュールセンの公爵に笑いかけた。言う通り、テュールセンの公爵もわかってはいるのだ。ただ宮廷としては、審問が必要だ。
 しかし、彼にはくだらない茶番だとしか思えなかった。
「シーク!」
「キリルという、ラザックシュタールの南の街道にある部族が私の名誉を貶めました。それゆえ討伐したのです。」
「それだけか?」
「ええ。」
 トゥーリはすらすらと短く話し終えた。
 大公が怒り出した。
「アナトゥール、具体的に申せ。そなたの今回の行いには、裏切られた思いがする。それだけの説明では納得がいかんぞ。どんな無礼があったのだ?」
「ロングホーンの紐付きのシークは、気に入らなかったようですね。」
 トゥーリは軽い答えを返し、肩を竦めた。詳しい説明などする気はなさそうに見え、また実際するつもりもなかった。
 大公は気持ちをぐっと抑え、続けて尋ねた。
「ロングホーンの紐付き?」
「ああ、そうは言わなかった。ロングホーンとの雑種と申したのだった。そういうわけで、ロングホーンとの雑種のシークが気に入らないのなら、ロングホーンの大公も気に入らなくなるのは早晩明らかです。そういう跳ねっかえりは、早々に始末をせねばなりません。それこそ謀反を起こす。」
「……それで? その無礼なる部族は大人しくなったのか?」
「“殲滅しました”と言いたいところですが、ラザックもラディーンも、女子供の始末をつけるのは嫌がったので……。怖気づくなどと、お恥ずかしい次第。連れて帰るのを許しました。しかし、村はきれいに焼き尽くしました。跡形もありません。」
「それは……念入りに破壊したものだな。」
「お褒めにあずかり恐縮です。」
 トゥーリは大げさなお辞儀をした。
 大公は怒り呆れて、言葉を失った。
 テュールセンの公爵が、我慢強く質問を続けた。
「部族長の首を落として、兵を引いてもよかったのではないか? 村はシークが管理すればよい。」
「テュールセンさま。管理など……小さな村ですよ。残しておく必要もない。あっという間に焼け落ちた。」
 テュールセンの公爵は、言うべき言葉が探した。
 大公以下全ての貴族たちが黙り込むのが、トゥーリには愉快だった。
「今思えば、十五旗もいらなかったな。ついつい言いやすかった。ラザック百旗、ラディーンがその半分などと口走らないだけよかった。そんな大軍を招集したことはないゆえ。いやいや、独り言。」
 物騒な独り言を聞こえるように言っては、くすくす笑う。
 貴族たちが、トゥーリの様子を気味が悪いと囁き合っていた。
「独り言? 聞こえるように申すな! 洒落にならんことを……」
 宮宰が青くなって怒るのを、テュールセンの公爵が抑えた。
「まあまあ……無礼なる物言いをしたのはその族長か?」
「族長の甥です。その者は別途始末しました。」
「斬首かね?」
「斬首……」
 トゥーリはいきなり高笑いした。
 大公は苛立ちを隠せなくなり
「何が可笑しい?」
と低く訊いた。
 トゥーリは咽ながら、大公に答え始めた。
「従兄殿、申し訳ない。あなたの名誉をも損なった無礼者の大罪人であった。失念しておりました。」
「うん。」
「首級を見せる義務があったが、首級は見せられんのです。」
「何故?」
「私の犬が喰ってしまったので。」
 大公は顔色を変え、前のめりに彼を凝視した。
 部屋の中が騒然とした。
「でも、いくら腹を減らしていても、三人は犬どもには喰いつくせないようです。それでも二人はほとんど喰った。残りの残骸はどうにもならんゆえ草原に捨てたら、すぐ無くなった。……狼ですよ! 狼はすごいですな。一晩ですよ!」
 騒然としていた一同は、凍り付いた。静まりかえる居間で、淡々と残虐な話が続いた。
「ですが、あの方法はとにかく始末に困っていけない。犬舎の中がひどく汚れました。町方から下人を二十人も呼ばねばならなかった。弟たちも文句を……」
 蒼白の大公は、手巾で額を拭った。
「……そなた、それを……それを見ていたのか?」
「一部始終は見ていませんよ。喰いつくところは見ていた。絶命したところは確認しなければいけないと思いましたから。なかなか死にませんね。長かった。悲鳴を挙げて逃げ惑って煩くて……。凄かったですよ。獣は、猟犬と言えど獣は、正確に急所を狙う。そして、腹から喰うのです。腸を引きずり出して、血だらけになってね。何が堪らんって、臭いが……吐き気を催すような臭さで……」

 その時、衝立の後ろでばたりと人が倒れた。アデレードだった。女官に慌てて助け起され、よろよろとした足取りで退出した。他の者も卒倒しかねない顔色だった。

 アデレードを見送った後、トゥーリは
「公女さま……いらしたのですか。」
と、静かに言った。
「かつて知ったるそなたのことを案じたのだろう。衝立の後ろに。」
「尋問の場にご婦人を……。いやいや、気づきませんでした。お許しあれ。」
 トゥーリの言葉には、同席を許可した大公を咎めるような響きが少しあった。そして、悔やんだような色はあったが、あまり態度は変わらない。
「……控えるようにね。」
「はい……ご婦人……」
「何か?」
「女人というものは脆いですなあ。首に力を入れたら足許に崩れおちた。美しい女だったのに。惜しいことをしたかもしれん。」
 彼は遠い目をしてそう言うと、ふっと笑った。
「アナトゥール! 何を申しておる!」
 大公が大声を出した。恐怖の色があった。殺したと解釈したのだ。
 テュールセンの公爵は、やはり慄いた表情だったが、心配そうに大公に囁きかけた。
「大公さま、シークは少々ご様子がおかしいです。あんなことを朗らかに、薄く笑ってさえ……」
「確かに……」
 宮宰も囁きかけた。
「ご乱心の様ですな。草原の妾が死んだのが堪えたのかな。」
「草原の妾?」
「ええ。寵愛していたラザックの娘がおったのです。その女が死んだそうな。」
 途端に、トゥーリは怒りを露わに叫んだ。
「宮宰! 貴様は俺のことを見張っているのか?」
 宮宰は怯んだ。
「何を……」
「しっかり聞こえたぞ!」
 宮宰は負けるものかと胸を反らした。
「なら言ってやろう! 外様の大貴族が、それも忠実な大軍勢を持った大領主が、領地で何を考え、何をしているのか、気にならない方がおかしい。大公さまを補佐する者の職務の一環だ。」
「俺が何を考えるというのだ!」
 宮宰は皮肉な笑い声を漏らした。
「そりゃあ、そなた……申さずとも解るだろう?」
「無礼な!」
「どちらが無礼かな? 先程からの物言い、許さんぞ!」
「黙れ! それは、大公さまもご承知の上での仕儀か?」
 テュールセンの公爵は眉を顰めた。トゥーリの態度以上に、密偵を放ったことを以ての外だと思ったのだ。
「宮宰さま、それはあまりにもシークに失礼であるぞ。今回のことはともかく、これまで忠実に大公さまにお仕えしていたのだ。」
「頭の中まで忠実かどうかはわかりませんよ。テュールセンさまはいつも侯爵を擁護なさるが、今にその手に喰いつくかもしれませんよ? ま、所詮外様。野蛮なラザック。」
 宮宰は嘲っている。テュールセンの公爵は、またトゥーリの弁護に回った。
「外様といっても、シークの母堂は大公家の公女。自らの一族に兵を向けるようなことを考えるとは思えません。」
「祖父孫・伯父甥・従兄弟相和すのは我々にとっては当然の道義ですが、ラザックはどうかな? 未だに秩序なき死闘を繰り返している草原の輩には、少々わかりづらい観念かもしれん。」
 その侮蔑に、トゥーリは我慢が出来なくなった。掴みかかろうとする彼をテュールセンの公爵が抱き留めた。
「何たる辱め! もう我慢がならん。俺と立ち合え! 耳どころか、そっ首切り落としてやる!」
「ほら、まずは私に牙を剥いた。テュールセンさまが次ですよ?」
 テュールセンの公爵は、嘲笑い煽る宮宰を叱りつけたかったが、何を言っても彼の調子が変わらないことは知っている。
「鎮まれ! 両名とも御前で控えんか! 大公さま、シークはひどくお疲れなのです。荒事をなさって戻ったばかり。しばらくお屋敷でお休みいただいてはいかがでしょう? それからでも……」
 もう、トゥーリには弁護など迷惑なだけだった。
「疲れてなどおらん! 宮宰と勝負させろ!」
 テュールセンの公爵は彼の肩を掴み、顔を覗きこんだ。
「お疲れだよ。お気持ちが酷く乱れておいでだ。お屋敷で気も身体も休めた方がよろしい。」
 トゥーリは、ここは堪えろと無言の語り掛けを読み取ったが、堪えきれない。
「俺は狂ってなどいない! 屋敷などには戻らん。」
 猛るトゥーリの前に皆が立ちはだかり、苦しい宥めを始めた。
「まあまあ……」
 トゥーリは更に激昂した。
「聞くだけ聞いて、監獄に入れるつもりだろうが! それとも処刑か!」
「処刑って……監獄です。監獄ですよ!」
 諸侯たちは彼の背を叩き、腕を撫でて宥めた。
「だったら、早く監獄へ入れろ!」
 周りの皆が困った笑顔で頷いている。宥められたわけではないが、刃傷沙汰を避けられそうだと思ったのだ。
 しかし、宮宰は挑戦的な嘲笑を浴びせかけた。
「おお、そうせえよ! また頭に来て、私の屋敷を焼き討ちされたのでは敵わん。」
「何だと……!」
「止めんか! ラザックシュタールの侯爵! 禁固だ!」
 大公が怒鳴った。すると
「それは嬉しい。希望通りです。ありがたい。こいつの顔を見なくて済む。」
と、吐き捨てるような答えが返ってきた。
「アナトゥールよ……そなた、やはり尋常ではないぞ。」
「さようですか。」
 馬鹿にしたような答え方だった。大公は気持ちを抑え、重々しく命じた。
「ラザックシュタールの侯爵には、許可なく草原で兵を動かした咎により禁固申しつける。そして宮宰。そなたも侯爵の監視を即刻中止するように。両名とも今後勝手な振舞いは許さん。」
「かしこまりました。」
 宮宰は畏まって受け入れたが、トゥーリは承服できない。
(俺はともかく、宮宰の野郎には口頭注意で終わりかよ。)
 返事もしないで大公を睨みつけた。

 大公にまで食ってかかりそうだと、テュールセンの公爵が慌てて口をはさんだ。
「衛士! 早くシークを逮捕せよ。」
「監獄まで自分で歩いて行ける! 逃げたりするものか!」
「まあまあ……衛士、シークをお連れせよ。」
 トゥーリは怒鳴り散らした。
「ついて来たいならついて来いや! 何なら隣の牢屋で脱獄しないか見張っているか?」
 衛士が腕を掴んで、宥めた。
「お鎮まりなさいませ。」
「大公さま、罪人は退出します。ごきげんよう。姫さまにもよろしく。」
 反抗的に踵を返して立ち去ろうとするその背へ、大公の怒鳴り声がかかった。
「ラザックシュタール! 禁固解けても、その態度を改めん限り登城はならん!」
「かしこまりました。次におめもじする際には、死人のように大人しく現れることでしょう。」
「口の減らんやつだ。早く行け!」
「引き留めたくせに……。いやいや。おい! 衛士ども、ついて来るんだろう! 早くこいや!」
 トゥーリが衛士を引き連れて去ると、張りつめていた広間の緊張がやっと解けた。
 大公は不愉快そうにすぐに退出していった。
 宮宰が悪態をつきながら帰ると、他の貴族たちは一頻り批評し合った。
「何やら……凄かったな!」
「本当に! 侯爵、乱心だったのかな?」
「大人しくて礼儀正しい公達であったのに、あんなことをするとは……」
「うちの奥方や姫には聞かせられん。」
「卿ら、ここだけの話ですぞ。尾鰭をつけて広めてはなりません。」
 テュールセンの公爵が睨むと、皆は興覚めした様子で帰っていった。

 私室にひきとった大公は、別用で現れたテュールセンの公爵に問いかけた。
「テュールセン。先程のこと、どう思う?」
「シークですか……確かに様子がおかしかったですね。入って来たときから、雰囲気が違いました。」
「うん。」
「……殺気立っていましたな。」
「戦の後だから、気が昂っていただけだろうか?」
 大公は心配だった。幼いころから知っているトゥーリの今日の様子が、信じられないのだ。
「さあ……戦の後でも、あんな様子であったことはありませんね。共に軍務についたことがありますが、しれっとしたお人で。まあ……私の息子と競い合うことはあっても、私の命令には従ってくれましたよ。実に忠実にね。まさに“忠実なるラザック”ですよ。」
「乱心か……あんな残酷なことをして……」
 大っぴらには語られないが、常人には考えつかないような方法で処刑する嗜虐趣味の領主はいた。公爵は嫌と言うほどそういう話を聞かされていた。だが、トゥーリが愉しみの為にそうしたとは思えず、不可解ではあった。
「罪人を犬に……という話ですか? そういう裁きをする領主もおりますよ。」
「おまけに、女の首をどうとか……楽しげに話しておった。ぞっとした。」
 大公は身震いした。
「そうですなあ。私も恥ずかしながら、背が寒くなりました。公女さまは大丈夫ですか?」
「大事はないが……。嘆いている。」
「そうですか……宮宰さまのおっしゃった恋人の死が堪えているのかなあ。何やら捨て鉢な感じでしたね。惨い最期だったのかしら?」
「初耳であった。そんな歳になっているとは失念していたよ。四つのままであるかのように……」
「そうですね。可愛かったですなあ。二つにお下げを結って、女の子みたいな可愛らしい顔をして……。よく公女さまとちょこちょこ走り回っていた。早いものですなあ。正月の二十五日でまたひとつ……」
「そなた、詳しいな!」
「それはね……ソラヤさまの息子さんですから。ソラヤさまをローラント殿に奪われた年数から、ひとつ引けば彼の歳になります。また、あの方の結婚式の一月後が彼の生まれた日付けです。間違えるはずがないのです。」
「そなたは特殊な趣味を持っていたな。まだ叔母上のことを?」
「今でもあの方のことを想うと、胸の底が熱くなるのです。……何一つ語り合うこともなかっただけに、心の奥深くに生き続けているのです。」
 公爵はうっとりと微笑んだ。
「そうか……」
 彼は切なそうな遠い目をして続けた。
「はい。そしてローラント殿に奪われたときの苦悩も……。でも、ローラント殿ならって私も諦めて……」
「そなた、その頃には奥方も子供もいただろう?」
「そうですが、妻に対する愛情とはまた別なのです。あの時の辛苦といったら……私はあの方の結婚式の晩、いてもたってもおられずに、街で痛飲したのであった。麗しいソラヤさまが今頃……と思うと、ちっとも酔えなかった……」
「私もあの晩は眠れなかったよ。今にでも騒ぎが起こりそうで……心配だった。」
「私が騒ぎを起こすと?」
「いや、ニーベルング伝説の女王のように、叔母上が寝所で婿さんを締め上げないかと。」
 公爵は昂然と反論した。
「あの方がそんなことなさるものですか! でも、そうしてくれてもよかったかも……」
 大公はうんざりした。この話をし出すと、いつも長いのだ。そして、何度も聞かされていた。
「そなたの失恋話はもうわかった。ローラントといえば、彼も宮宰とは仲が悪かった。」
 それを聞いて、公爵はやっと甘い思い出から立ち返った。
「そうでしたね。ローラント殿は宮宰さまに挨拶すらしなかった。」
「口が重い男だったが、たまの一言が物騒で……」
「“だったら、やり合おうではないか。以上”……以上の後は本当にもう……貝のように押し黙って、扱いに困りました。ちょっと今日のシークに似ていますね。」
「どこが? アナトゥールは騒がしかったではないか。彼は父親とは違ってよくしゃべる。」
「今にも喰いつきそうな目つきが、お父君とよう似ていましたよ。同じ人種ですな。」
「元気でおしゃべりで……母親に似たのかと思っていたよ。今度の行いといい、根は父親に似ているのかもしれん。ローラントは涼しい顔で念入りな戦をしてきた。」
「ローラント殿は……失礼かもしれませんが、欠落しているところが見受けられましたね。恐れもなく激しい戦闘に斬り込み、どんなに酸鼻を極めた様子を見ても、眉ひとつ動かさなかった。荒々しい草原の風土と剽悍なる草原の部族が育んだ気性とは、こういうものかと思ったものです。」
「しかし、アナトゥールはそこまで厳しい気性ではないだろう?」
「外見が父親とそっくりですから、宮宰さまなどは中身も同じと勘違いなさるのかもしれません。」
「いい歳をして我を忘れ、若い者とやり合うなど、宮宰も困ったものだ。また、アナトゥールも控えねばならぬ。……ああ、乱心していたか。」
 大公は溜息をついた。
「どうかしら? 高飛車な大人に反抗してみたい年頃でもあります。我が家の息子どもも、少し前まで酷かったです。悉く父に反抗した。彼は大人らしいと思っていましたが、我慢していただけで年相応であったということです。」
「己の立場を鑑みて、控えてもらわねばならんよ。」
「今日は虫の居所が悪かっただけですよ。頭が冷えれば今日のことを悔やみ、反省するでしょう。」
「それを祈るよ。」
 気性の優しい大公は、もうたくさんだといった表情で話を終えた。


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