10

 キリルに、脅迫めいた召喚状が届いた。
 族長は慌てた。文面からは、想像をはるかに上回る怒り具合が感じられる。三人の処刑は確実だと思った。だが、甥だけは殺させたくない。

 捕縛に来たラザックの戦士と、押し問答になった。
「シークには、十分贖いをした。女人が亡くなったことにはお悔やみ申す。改めて贖いをしたい。」
 族長は必死に訴えかけたが
「贖いはいらぬと仰せだ。三人を引き渡せ。」
と無感情に突っぱねられた。
「それはできん。聞けば、女人は身分低く、正式な夫人ではなかったとか。」
「身分低いどころか、婢と聞いたぞ?」
 族長も、エイリークの父親も口々に言ったが
「ご寵愛が深かったのだ。」
と一言で終わらされた。
 二人は言い縋った。
「それは承知しているが、お側女の代償に、誉れ高き戦士の命を差し出すのは忍びない。」
「さよう、さよう。儂の息子は婢の命と同等ではない!」
 すると、ラザックの戦士は感情を露わに怒鳴った。
「父親か? お前の言い分は聞かない。誉れ高いだと? 聞いて呆れるわ!」
 二人とも身を竦ませた。族長は黙り込んだが、父親の方は反論した。
「聞き捨てならん。儂の息子は勇敢なのだ。ロンバルディアに行っていたのだからな! あそこの悲惨な状況を知っているだろう? ラザックもラディーンも、ロンバルディアに傭兵行するのを躊躇うとか。」
「つべこべ言わずに早く出せ! 力尽くでもとのきついお達しだ。」
「それは……できん!」
「極道者の命を惜しんで、一族郎党全て血祭りにあげられたいのか?」
「何!」
「火だるまと血だるま、どちらがよい? お勧めは血だるまですな。助かる可能性はある。火だるまはちとまずいな。」
 二人は青くなった。戦士は恐ろしいことをさらさらと言い続けた。
「それより、自分の推奨は黒い羊を差し出して、我と我が身と我が部族の安寧を図ることだな。黒い羊の弔いをしていれば、布団の上で死ねる。」
 ラザックの戦士は嘘を言わない。族長は諦めて、弟に言い聞かせた。
「……お前には、まだ他に息子があるではないか……」
 父親も、自分たちの身が危ないとわかったのだろう。渋々出頭に応じた。
 しかし、甥であり息子であるエイリークだけは、死一等を減じてほしい。族長は急いで書状を作った。
 彼は命乞いと弁護の書状を戦士に渡し、甥に言い含めて出した。
 三人はラザックシュタールへ連行されて行った。

 早朝、ラザックシュタールの屋敷の中庭で、審問が開かれた。
 連れてきたラザックの戦士が説明をした。トゥーリは、三人を見ないように、彼の方を向いて話を聞いた。

「これなる男は、キリルの長の甥であります。他二名は自由民であります。ロンバルディアに傭兵行に参っていたとのことです。族長の書状を預かっております。」
 手渡された書状は、承服しがたい内容だった。

“この度のこと、尊きシークにはお悔やみとお詫びを申し上げます。
 我が甥は、ロンバルディアにて辛苦を舐めつくし、心荒んでしまったのです。生来の性質は、実に健常なものであります。同行した者が不埒な者共で、唆されてしまっただけなのです。
 この後は、我と我が一族がきっと正しく導くことでしょう。二名の不埒者には、どうぞ厳しいお仕置きをなさってください。
 我が部族の血統正しき者には、寛大な処置をお願いいたします。伏してお願い奉ります。”

 彼はもう一度読み直し、もう一回読んで読むのを止めた。手にしているのも我慢ができずに投げ捨てた。
 そして、三人を睨んだ。
 身なりこそ整えていたが、脂っぽい髪をし、垢じみている。上目使いに彼を見ていた。身が震えた。
 三人は、敵意剥き出しのトゥーリの様子にたじろぎ、ひそひそ話し合った。
「あれがシークか。綺麗な男だな。それに、とても若い。」
「まだ嘴の黄色い小僧だよ。ラザックとラディーンに奉られていい気になっておる。」
「でも、シークはシークだ。」
「かなり怒っているみたい。狼みたいな物騒な目で睨んでいるよ。」
「嗚呼……この様子では殺されるな。もう終わりだ。お前の伯父貴も頼りにはならなかった。」
「伯父さんの書状は、効果が今一つだったようだな。」
「どうせなら……苦しい死はごめんだ。一気に、ばっさり楽に死なせてくれるように。神さま、死んだのがわからんぐらいの一瞬の死を願います。」
 エイリークは仲間の祈りを嗤った。
「極道三昧してきたくせに。神さまは聞いてくれんわ。どうせ死ぬなら、俺は言いたいことを言ってから死ぬ。」

 後ろから小突かれて、三人が前に押し出された。
 トゥーリは溜息を長くついた。
 処刑するつもりだが、いきなり判決を出すにはいかない。言い分だけは聞かねばならないのだ。
 無意味だと思った。筋道を立てる必要もないと思いながら、怒りを抑えて口を開いた。
「先頃……」
 エイリークが彼の言葉を遮った。
「ラザックとラディーンのシーク、アナトゥール・ローラントセン殿か?」
「いかにも。」
「尊きシークにご挨拶申し上げる。私は南街道のキリルの長の甥、エイリークと申す。初めてお目にかかる。恙無きや?」
 トゥーリの瞳がぎらりと光った。恙無いわけがない。虫の居所は最悪の場所である。しかし、ここで審問を切るわけにはいかない。
 彼は気持ちを抑え込み、静かに答えた。
「見ての通り。」
 慇懃な挨拶に怒り出すだろうと予想していたエイリークは鼻白んだが、ぞんざいに続けた。
「シークは、我々をどうなさるおつもりか?」
「血の贖いをもらう。」
 二人の傭兵は身震いし、がっくりと肩を落とした。
 エイリークも唇を噛んだが
「なら……最期に当たって、我が言い分を述べたい。」
と言って、にっと笑った。
「申したらよかろう。」
 エイリークは立ち上がり、堂々と周りを見渡した。そして、上座に座ったトゥーリに視線を据えて話し出した。
「シークは、奴隷女の贖いに我が命を差し出せと言う。私は貴族である。婢のために青い血を流すのは、天道に背くことではないか?」
 トゥーリは、くだらなさに答えるのも嫌だったが、何も言わないわけにもいかない。
「女は婢であったが私の妻である。お前たちの行いによって、私の最初の子も死んだ。お前の言うように女の血筋は……卑しくとも、子供の血筋は高い。少なくとも、子供の命の贖いを払う義務がある。貴族であっても責は逃れられない。」
 その反論は、草原の道理に概ねで適っていた。リースルの身の上を語る時だけ彼は少し言い淀んだが、誰も気づかなかった。
 エイリークは大げさに驚いてみせ、笑い声を挙げた。
「婢を妻? よう言ったものだ。子供! ……族譜を汚す気か?」
 トゥーリは、怒りが急速に冷たく凝り固まっていくのを覚えた。恐ろしく冷静になれた。
「族譜など……父親は私だと言っただろう? 何が汚れるのだ。」
 エイリークは一頻り高笑いした。笑い咽びながら、トゥーリを指差し
「このシークは、気がふれているらしい。……おかしいぞ。卑しい女の子供など、父親が誰だか知れたものではない。」
と嘲った。

 ラザックのヤールと戦士たちが、怒声と共に立ち上がった。
「何を申す! 控えんか!」
「何たる無礼者!」
 エイリークは、その様子を愉快そうに眺め
「奴隷の女とその私生児のために死ぬのは、納得がいかんと申しているのだよ。」
と言った。仲間の傭兵たちも同調し
「そうだ! そうだ!」
と叫んだ。
「控えよ! この獣共! シークに無礼を申すならば、即刻斬り捨てるぞ。」
 騒然とし始めた。剣を抜く者はいなかったが、何人かが三人の頭を敷石に押し付けた。
 エイリークは、ラザックの戦士を横目に見て、涼しい顔で
「ラザック、また私の言い分の途中だよ。」
と言った。
 戦士は憎々しげに手を離し、突き転ばした。
 エイリークは居住いを正した。
「シークよ。」
「何か? 早く申せ。草原の子供たちが騒いでおる。」
 無感情な言い様だった。
 エイリークは
「婢に溺れたるシークよ。部の民に襲撃を許したことのないシークよ。大公に忠実なるシークよ。可笑しいな。笑える。……腑抜けたシークよ。」
と笑い出した。
 戦士たちが再び色めきたった。トゥーリは、彼らに手を挙げて止め、エイリークに冷淡な目を向けた。
「つまらん口上は聞き飽きた。早く言い分を申せ。」
「おお! 落ち着いているな! 腹も立てられんのか? お前のその意気地の無さは、ほれ、そこに白い顔をして座っていらっしゃる麗しい母上さまの血かな? そう、間違いない! 堕落したロングホーンの血だ。雑種か。雑種のシークよ、天狼の耳飾りが重たくはないか?」
 エイリークは薄ら笑いを浮かべている。
「別に。言いたいことはそれだけか? 愚にもつかんことをこれ以上並び立てるつもりなら、もう聞く耳持たぬ。」
 トゥーリはそれだけ言うと、見るのも聞くのも厭わしいとそっぽを向いた。
 その代わりにとでもいうように、ソラヤが真っ赤になった。
「アナトゥール。これ以上、この者に発言を許してはならん。」
「勇ましきソラヤさま。女子の身で口出しなさるのですなあ。……シークよ。お前は、まだ母上さまの後見がいるのか?」
「首を……首を取れ! 聞くに堪えん!」
 彼女は怒りに身も言葉も震えさせた。
「と、母上さまが仰せになりましたぞ? 私の首を取って、のんびり別の婢でも可愛がってお暮しあれ。」
「無礼な!」
 エイリークはにやりと笑い、黙ったままのトゥーリを見つめた。
「……そういえば、お前のあの婢、なかなか良かったぞ。若造には堪えられん味だったろうよ。三日と空けずに通っていたそうではないか。」
「黙らんか! アナトゥール。早くこの者を始末させるのだ。ラザック。首を取れ! 私が許す。」
 ソラヤが厭わしそうに身をもみ絞りながら、エイリークを指さした。トゥーリはそれを静かに制した。
「いや……首は取らん。」
 彼女は驚き、大声で詰った。
「何故! 何故せぬのだ!」
 エイリークは不敵な笑みを浮かべた。
「伯父の書状を見て、怖気づいたのかな? 甥の首を取られたら、伯父も黙っておらん。腑抜けたシークに後れを取る伯父ではない。今頃、準備をしているだろう。」
 トゥーリはエイリークを一瞥し、戦士に命じた。
「……連れて行け。」
 戦士は戸惑った。 「は……何処へ?」
「犬舎。俺の犬が腹を減らしておる。」
 皆は意図するところが解らず、顔を見合わせた。ソラヤは
「アナトゥール! 処刑せよ!」
と喚いた。
「こんな奴らを斬ったところで、剣の穢れだよ。刃が腐り落ちる。生餌だよ、生餌!」
 トゥーリは、そう吐き捨て
「ちょうど絞っている最中だ。よう喰らいつくだろう。」
と笑い声を立てた。ソラヤは言葉を失った。
 さすがに、勇敢な戦士も躊躇した。
「それは……」
「命じた通りにせよ。」
「は……」

 皆が静まり返る中、もう済んだとトゥーリは立ち上がり、ラザックのヤールに告げた。
「ラディーンの所に誰か遣れ。五旗武装して南下だ。お前は十旗召集せよ。」
「かしこまりました。」
「疾くせよ。キリルとやらいう奴らが待っているぞ。」
 ソラヤは恐ろしげに尋ねた。
「何をするつもりだ?」
「巻き狩りですよ。」
「狩り?」
 彼女が怪訝な顔で問うと、彼は低く
「こいつらの一族を襲撃する。」
と答えた。
「お前……それは何でも、多すぎる軍勢だぞ?」
「殲滅するのだ。そうでなければ、俺の体面が立たん。母の一族まで貶めた。……母上。あなたは、ご自分が辱められたのにお気づきにならんのか?」
 ソラヤは言葉を継げなかった。
「あれの伯父とやらがどれだけの手練れか、自らで見分する。」
「でも、そんなことをして……大公さまの……」
 彼女がようやくそう言いかけると
「黙らんか!」
と厳しい声が飛んできた。
「でも……」
「まだ言うか。決定に口をはさむな! 戦のことだ。女は引っ込んでおれ!」
 彼女を睨む緑色の瞳の奥に、峻烈な怒りが燃えていた。彼女は、それ以上言う勇気を失った。

 ラディーンは脚が速い。すぐに到着した。
 ラディーンのヤールは説明を求めた。
「何をなさるおつもりですか? 大公さまのご命令ではありませんよね?」
「焼討ちするんだよ。」
 ヤールは素っ頓狂な声を挙げた。
「ひゃあ、“小さいシーク”どうなさったの?」
「体面を汚された。」
「そりゃあ……一大事!」
 気位の高い草原の者には、体面は死ぬほど大事なものである。それだけで、理由は十分だった。
「そして……俺の子供が殺された。」
 ヤールは目を丸くした。
「子供って? ご寵愛の女子が出来たのは聞きましたが……仕事が早いですな。もうお生まれだったの?」
 陽気なヤール独特の物言いだったが、今日ばかりは癇に障る。トゥーリは舌打ちした。
「腹の中にいたんだよ!」
 ヤールは俯き、溜息と共に
「それは……残念。お悔やみ申し上げます。」
と静かに言った。
「ん。そういうわけだ。しっかり働け。」
 ヤールはすぐに気を切りかえて、にっと笑った。
「念入りにね。久しぶりのシークの召集ですからなあ。やる気満々で急いで来ました。早かったでしょ?」
 説明はこの程度で終わった。

 キリルが武装し迎え撃つ算段というのは、もちろんエイリークの出まかせである。
 普段通り生活していた彼らの街は、突然現れた大軍勢に蹂躙された。

 火のかかった長の屋敷から、族長とエイリークの父親が引きずり出された。二人は馬上のトゥーリに必死に訴えた。
「シークよ、これはあまりのお仕置き! キリルはシークに連なる部族ではありませんが、街道を守ってきました。そうやって、長らくご奉公いたしておりましたものを!」
「やかましいわ! 長らくの奉仕とやらもこの度のことで帳消しどころか、お前らは敵対したのだ!」
 怒鳴り上げられた族長は平伏したが、顔を上げるとまた訴えかけた。
「いいえ、いいえ! キリルは敵対などしておりません! ただ不出来な甥ひとりの罪でございます!」
 それを聞いて父親は驚き、族長を詰った。
「兄貴! 何を言うのだ!」
「不出来? 出来た甥ではなかったのか?」
「それは……」
 族長は言い淀んだ。今更の抗弁は無理だ。しかし、父親の方は息子が心配でならない。
「シーク。シークよ! 私の息子は?」
「お前はあの男の父親か?」
「はい。私の息子をいかがなされたのです?」
「あの世で訊け!」
 馬上から、一刀で父親が斬り捨てられた。族長が悲鳴を挙げた。
 トゥーリは猛る馬を輪乗りして続けた。
「赦さんぞ、赦さん! お前も!」
 族長が身を低くして、命乞いをした。
「どうか……どうか、お鎮まりください! キリルは今後、全ての富をシークにお預けいたしますゆえ……」
「見苦しい! こんな村などいらん!」
「ご容赦!」
「ならん! キリルはもうない! 全て草原に、風の神にお返しするのだ!」
 命乞いすらできないと知った族長が、逃げ出そうと足を縺れさせた。ラザックの戦士がひとり出て、馬の脚に掛け槍で突いた。

 炎の勢いも治まり、辛うじて生き残った女子供、年寄りが一所に集められた。
「これで全員か?」
「は。」
「小さな村だ。」
「そうですな。」
「シーク、こいつらはどうなさる?」
 二人のヤールは、あっけなく終わった戦いに少々白けていた。戦闘はここまでで、後は虜囚を功に応じて分けるだけだ。
 トゥーリは静かに
「連れて帰るのも足手まといだ。全員殺せ。」
と命じた。
 二人のヤールは耳を疑った。気持ちの優しいトゥーリが言い出すとは、絶対に思えないことだったのだ。
 そのやり取りを聞いて、虜囚が恐慌状態に陥った。
 群れの中から、若い女が一人這い出てきた。彼女は馬上のトゥーリの脚に縋って哀願した。
「どうか、殺さないで! 若いのに、死にたくない。」
「誰でも一度は死ぬ。若くても、年寄りでも。」
 彼は女を見もせず、無感情に言い捨てた。彼女は必死で言い連ねた。
「でも、こんな突然の死は嫌。お若いシーク。私はあなたといくつも変わらない……あなたは突然の死に納得がいくの?」
「納得いかんかもしれんな。」
「でしょう? ね、私の命を助けて。一緒にお連れになって!」
 彼は黙って見下ろした。今度は女を見ていた。
「ねえ、私は美しいでしょう? 何でも言うことを聞きます。好きにしてくれればいい。」
 今まで賛美され続けてきたのだろう。自分で言うだけあって、非常に美しい女だった。
 トゥーリは下馬して彼女の前に立ち、首を撫でた。
 女が胸にしな垂れかかった。彼はその腰を抱き寄せた。
「そうか。今、ここで好きにしていい?」
「え?」
「細くて美しい首をしているね。……すぐ折れそうだ。」
 彼は静かにそう言うと、首を撫でている指を彼女の首に食い込ませた。
 女の膝がへなへなと崩れ落ちた。彼女は彼の足許に座り込み、放心した。
 その光景に、敵も味方も皆、蒼白になり言葉を失った。
 二人のヤールは、トゥーリの父親であるローラントを思い出していた。

 ローラントは、十代の早いころから、戦場に出るのが非常に好きな男だった。そして、戦場ではおそろしく冷酷だった。あまりにも残虐が過ぎて、その父親が出陣を禁止したほどだった。
 血に酔い、乱闘の邪魔になると、味方の者すらも斬りつけた。
 草原の小競り合いでは勿論のこと、テュールセンの軍勢が共にある時も、彼らが都に引き上げるのをわざわざ待って、生き残った者を殺戮した。
 子供でさえ平然と斬ろうとする。皆は羽交い締めに止め諫めたが、彼は皆を殴りつけ
「“金髪のアナトゥール”は子供に殺された。」
と言って、そのまま剣を振り下ろした。
 血統を残せるような若い女は、すべて自分で斬って歩いた。
 赤ん坊にも年寄りにも、誰にも情けをかけることがなかった。
 それは、草原の戦士ですら恐ろしく、家族にも話せなかった話だった。問われれば、ただ“勇猛であった”とだけ答えていたが、戦士の間では知れ渡った話だった。

 静まり返った中、昂ったトゥーリは
「こらあ! お前ら!」
と怒鳴った。
「忠実なるラザック、その二つ名は偽りか! 勇敢なるラディーン、臆したか! 早く命じたことをなせ!」
 ラディーンのヤールは、ラザックのヤールに小声で尋ねた。
「“小さいシーク”は、いつもと様子が違いますな。そんなに酷く体面を?」
「それはそれは、聞いたことのないようなことをべらべらとほざいたが……」
「それにしたところで、女や赤ん坊まで殺すなど……まるで……」
 ラザックのヤールは慌てて止めた。
「それ以上は言ってはならん!」
 二人ともかつて、ローラントに殴り倒されたくちだ。どちらの顔にも恐怖が浮かんでいた。
 ラディーンのヤールが意を決して、トゥーリに呼びかけた。
「……シークよ! 女子供まで殺すのは、我らの名を貶める行為ゆえ、せめて連れ帰って奴隷としたいのですが?」
 トゥーリはじろりとヤールを睨んだ。そして、憎々しげに
「名誉はちらっとも穢れん。この忌まわしき一族を、この世から葬り去れと申しておる。」
と言い捨てた。
「どうあっても?」
「二度同じことを言わせるな!」
 彼は怒鳴ると、馬首を返した。
 二人のヤールは、こっそり視線を交わた。
 ラザックのヤールは考え込んだ。
 ラディーンのヤールは、兵に命令を出そうとしたが、できなかった。
「シーク、お待ちあれ!」
 ラザックのヤールが、群れの中の母子から赤ん坊をもぎ取って、トゥーリに突き付けた。
「我々は、赤ん坊の殺し方など露知らん。是非とも、手本をお示しあれ。」
 ところが、即座に
「手本など示す必要もない。そこから叩き落とせば、すぐ死ぬ。」
と驚くべき返事が返ってきた。
「母の目の前で、赤ん坊を殺せますか?」
「何を申す!」
「できるのなら、この赤ん坊は、生まれるはずであったあなたの赤ん坊だと思って殺しなされ。それを見てから、我々もラディーンもご命令に従いましょう。」
 彼は、泣き叫ぶ赤ん坊を見つめた。やがて、苦しげに顔を歪め
「うるさい! 黙らせろ!」
と、気絶しかけた母親に赤ん坊を返した。

 二人のヤールは胸を撫で下ろした。
 ラディーンのヤールは、いつものように尋ねた。
「こいつらの始末、どうなさいますか? ……連れて帰ってよろしいか?」
「分けて連れて帰って、こき使え。ただし街は破却する。」
「はい。」
「念入りにな。」
「かしこまりました。」
 ラディーンのヤールの声色は明るかった。無慈悲な殺戮をせずに済んだと、ただただ安堵している様子だ。
 だが、ラザックのヤールには、違う心配が重く心に残っていた。この襲撃が、辱めに対してなされたわけではないと知っているのだ。
 彼はトゥーリに視線を移した。俯き、馬の首に視線を落としていた。
 何の気なしに、顔を覗きこんだ。
 トゥーリは眉根を寄せ、唇を噛みしめ、目許を震わせて、虚空を睨んでいた。凄まじい怒りを必死に堪えているのが、ありありとわかった。
 ヤールは慌てて、目を逸らした。
 トゥーリが
「何だ?」
と言って、じろりと睨んだ。
 隠しきれない憎しみが滲んだ目だった。ヤールは、自分に向けられた憎しみではないとわかっていても、身が竦んだ。
「いえ……陣にお帰りにならんのですか?」
「ああ、そうだな。」
「お疲れのご様子。しばらくお休みあれ。」
 トゥーリは、ヤールを厳しい目で見つめたまま黙り込んだ。
(ご勘気に障ったか……?)
 ヤールは背を寒くしたが堪え、視線を据えたままで応えを待った。
 しばらくの間が、長く感じられた。
 トゥーリは手綱を引くと
「うん。」
と言って、去って行った。
 ヤールはひどく脱力した。
(父君のように冷酷ではあられない。しかし、この愛憎の激しさは……余計恐ろしいかもしれん。手はよう書かんが、都の親父殿に知らせねばならんか……?)

 地上から、一部族の村が消滅した。



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