8

 宮廷から命じられたのは、他国へ攻め込めというものでは勿論ない。反抗的な諸侯を討伐しろというものでさえなかった。
 盗賊の群れの始末をせよとのことだった。それも、街道筋を大規模に襲撃するような輩ではなく、農村をたまに焼討ちするような小規模な集団ばかりだった。何の勲しもない。
 一度では済まず次の命令を持った遣いが、戦闘の終わるのを待ち構えていた。その繰り返しだった。
 宮廷が決めたとは思えない、諸侯の荘園をこそこそ襲撃するような種類の賊が相手のものもあった。
 召集を許されたのは、ほんの二・三旗のみの軍勢だった。それくらいの規模の方が取り回しがよく、かえってトゥーリにはありがたいくらいであったが、問題は別なことだった。
 行先は東にふられ、西にふられする。その度に彼は草原を駆け渡って、その周辺の氏族を召集しなければならなかった。
 ただし、南の方には絶対に命令は下らない。ラザックシュタールに近づくのを許さないつもりなのだと思われた。
 何か月も終了の宣旨は来ない。
 草原の戦士たちは相手を聞くと、溜息をついては
「つまらん仕事ですなあ。」
と愚痴った。
「ま、子供っぽい嫌がらせですな。」
 そうはっきり口にする者もあった。もともと草原の者は、大公家などに敬意は払わない。あからさまな言い様だった。
 その度にトゥーリは
「大公家を謗るのは許さん。」
と言わねばならなかった。
 本人が一番愚痴りたいのを知っている戦士たちは、長々と言い連ねることはせず、しっかり仕事をこなした。

 名誉も何もない戦闘を繰り返し、あちこち駈けずりまわらされ、心身ともに疲れがたまってきた頃。
 次を告げる使者は、いつもと違う命令を伝えた。
「侯爵さま、今度ので終わりですよ。よかったですね。ラザックシュタールに、お戻りになっていただけます。」
 トゥーリの待ち望んだ知らせである。早く終わらせて帰りたいと、気持ちが急いた。
「次はどこ?」
 やはり小さな土豪が相手だった。東の果てにいたところを、例によって、西側のキャメロンの王国との境まで行けとのことだった。

 その土豪は、ラザックの軍勢が現れただけで投降した。
 盛夏になっていた。
 それぞれの氏族ごとに集まり、別れを惜しんでいた時だった。一人が素早く下馬し、地面に耳をつけた。
「南から何か来る! 結構な数の馬がいる!」
 そう言っている間にも、彼方にもうもうと土煙が立ち上がった。
 みるみるうちに展開したが、間に合わなかった。見知らぬ集団が襲い掛かり、殿になっていた集団が崩れかけた。
「これは強いぞ。気を確かに取りかかれよ!」
と叫んで、トゥーリは馬の腹を蹴った。

 小一時間ほど乱闘した。
 草原の騎兵が崩れかかったのは最初だけで、持ち直してよく戦った。
 相手側に引き潮の気配が現れたが、怯んだわけでも負けを認めたわけでもなさそうだった。
「また、頭同士で一騎打ちですか……」
 トゥーリは笑ったものの、相手の引き方の整然としているのが気に入らない。
 相手側が分かれて、大柄な男が一人現れた。格好ははぐれ者の傭兵か盗賊のようだった。だが、そう装っている印象を受けた。乗っている軍馬が立派過ぎた。
「シーク、アナトゥール・ローラントセン!」
 男は大声で呼ばまわった。
 ヤールは苦笑し、トゥーリに囁いた。
「ご指名ですよ。“盗賊”のくせに、お作法を重んじるお人のようですなあ。」
「自称“盗賊”だろ。」
 トゥーリは、相手をじっくり眺めた。身体は大きく、引き締まっている。並々ならぬ気迫があった。
「いやん。あの人、強そう。」
 馬周りの戦士はどっと笑い
「物足りなかったんだから、いいじゃないですか。」
と言った。

 トゥーリはゆっくりと前に出た。
 相手は彼をじろじろ見て、高笑いした。
「用兵は下手くそと聞いていたが、そうでもないのかな。ま、親父の鍛えた草原の軍勢は用兵も必要ねえか。真っ平らな野っ原で、兵を伏せるも何もあったもんじゃねえ。親父の遺徳で食っているようなもんだ。幸運な若造だな。」
 らしくない批評だ。トゥーリは訳ありだと確信した。
「羨ましいか? で、あんた誰? 俺だけ素性が知れているのは悔しいなあ。墓に何て名前を書いたらいい?」
 男は彼の冗談交じりの言葉に苦笑し
「墓に入るのはお前だよ。」
と応えて、右手をすっと挙げた。
 草原の戦士たちがどよめいた。
 トゥーリは肝が冷えた。
(こいつの言う通り、俺が墓入りかもしれん……)
 奇妙な右手だった。その手の指は六本あった。
「お手手が名乗りってわけか。“六本指のアルティク”。キャメロンの王さまはどうした?」
 有名な男だった。放浪していた傭兵だったのが、いつしかその武勇に惚れ込んだ傭兵が集まり、キャメロンの王に請われて麾下に入ったのだ。傭兵の間では評判の出世頭だった。
「傭兵は、払いのいいところへ鞍替えするもんさ。」
 アルティクは不敵な笑みを浮かべ、いきなり駆け寄り槍を突き出した。

 トゥーリは寸でのところで避けた。
 が、アルティクは駆け抜けざまに槍を振り、石突を当てていった。狙いすましたように、左肩に当たった。
 石突には、鉛が打ってあった。
 ただでさえ激痛が走っただろうに、具合の悪いことに治りたての傷の上に当たっていた。
 トゥーリは槍を薙いで斬りつけたが、また駆け抜けに石突を左肩に当てていった。
 何度かそれが繰り返された。
 槍の柄が折れ、剣も欠けた。
 アルティクは慌てもせずに、剣を抜いて打ちかかった。
 馬を寄せ合い、数合い打ち合った。
 アルティクは、にやりと笑った。
「さすが、お馬のアナトゥール。手綱でなくとも、脚と舌鼓で自由自在か? 鞍下に馬なしってやつだな!」
 彼の言う通り、トゥーリは左肩を強打され続け、手綱を握っている左手に力が入っていなかった。
「ほら、どうした?」
 アルティクに打ち込まれ、馬の後ろ足が崩れた。
 トゥーリは滑り落ちかけたが立て直し、馬をぴったりと横につけた。そして、一歩前に出て、後ろに剣を数度叩きつけた。
 アルティクは思わず手綱を引いた。馬は堪らず立ち上がった。
 その瞬間を逃さず、トゥーリは馬を突き当てた。アルティクの馬はどっと横に倒れた。
 振り落されたアルティクは冑を取り払い、トゥーリに目がけて投げつけた。
 身を引いて右腕でかばった時、馬が足踏みした。
 アルティクはここぞとばかりに、鞍上のトゥーリの腰に抱きついた。そのまま二人はどうっと倒れ込んだ。
 絡み合いながら立ち上がり、トゥーリはどうにか腕を振り切った。しかし、立ち上がったところの鳩尾に一発打ちこまれ、そのまま地面に投げつけられた。
 彼は向かってくる相手を蹴り上げて、まろびながら剣を拾った。身体を返し、打ち下ろされる剣を寸でのところで受けた。
 ぎりぎりと刃が鳴った。
「お前……馬から落ちたら、それまでかと思った!」
「そうなら……何度死んだかわからぬわ!」
 また振り下ろされる剣を受けた。
 受けては横に倒し、逃れを繰り返した。
 トゥーリは剣から身を交わし、勢いづいて倒れかけるアルティクの背中に腕を叩きつけた。
 アルティクが横に転がった隙に立ち上がり、蹴り飛ばした。
 剣が重かった。息が上がっていた。鼓動がこれ以上ないほど速まっている。トゥーリは両手で剣を握りしめた。
 アルティクも剣が重いようだった。荒い息をしている。
 そのまま何度か打ち合った。

 そのうち、トゥーリは胸元を蹴られ、もんどりうって倒れた。剣が手から離れた。
 すぐさま立ち上がったが、剣は草の上を滑って離れた。
 アルティクが向かってくる。取り上げる間はない。
 トゥーリは間合いをはかって、避けざまに背後に入った。
 たたらを踏む相手の右手を取って、トゥーリは左腕を首筋に打ちつけた。
 アルティクも剣を取り落した。
 膝を折るアルティクの背中にトゥーリはのしかかり、体重をかけて押さえつけた。
 そして、帷子の襟首を掴みこちらに向けさせると、思いっきり顎を殴りつけた。
 アルティクの身体が横に転がった。彼は飛びつくトゥーリを突き飛ばした。
 トゥーリよりもアルティクの立ち上がるのが先だった。立ち上がろうとするトゥーリの顎を蹴った。
 意識が遠のき、トゥーリは二・三歩後ずさった。
 アルティクはよろよろと近づき、トゥーリを殴り倒した。そして、馬乗りに殴った。
 だが、トゥーリが殴り返すと、アルティクは案外容易く転がった。
 それはアルティクにとっても同じで、トゥーリも殴られると容易く転がる。
 二人はごろごろと転がり、殴り合った。
 ちょうどトゥーリが馬乗りになったところだった。矢が風を切って飛んできた。
 彼は相手の身体の上に伏せた。
 アルティクはトゥーリを抱き締め、ひっくり返した。
 その射手は、味方の矢に射られたようだった。
 しかしもう既に、トゥーリの右腕は膝に敷かれていた。

 アルティクは荒い息をしながら、にやりと笑った。
「お前、泥臭いこともできるんだな。」
「これのことかよ!」
 トゥーリは左手で殴った。
「左利きのアナトゥール……、残念だな。左肩が利かねえんだろう? ……聞いた通り……」
 アルティクは嗤い
「お前は顎が弱いな。……女のような細い顎……。ガキの頃、固いものを食わなかったのか?」
と言って、殴りつけた。
 あまり力は入っていなかったが、殴られるたびにトゥーリは頭がくらくらした。
 数発殴ると、アルティクももう限界だった。トゥーリの上に、べったりと身体を伏せた。
「お前……こんな美形……女ならよかったな……。俺の側でたっぷり可愛がってやったのに……」
「……そうか、残念。……こんな美丈夫なら……濃厚なご奉仕を……するのにな。」
 アルティクは身体を起こすことが難しく、トゥーリの頭の横の地面に顔を伏せた。
「何なら……男でもいいぞ。俺のを咥えさせるか……」
「嫌だ……。あんた、でかそうだもの。」
 荒い息の合間に、笑い声が混じった。
「そうか……。なら、代わりに、お前の奥方……あいつを可愛がってやる。泣き叫ぶのを手籠めにするのは……好きなんだ。」
「やっぱり……俺があんたのを咥えるから、勘弁してよ……」
 アルティクは、息苦しそうに笑った。
「俺にお前のものを全部……くださるということになっている。天狼の耳飾り、ラザックシュタール、爵位……全部だ。お前は、奥方が一番堪えるのか?」
 驚愕の極みだった。トゥーリには尋ね返す言葉もなかった。
「何てんだ? 白い結婚か……。何も無しに半年過ぎたら、結婚が取り消しになるんだろ? 情けねえ。俺に任せとけ。淫売みたいな声を挙げさせてやるよ。」
 そう言ってアルティクは身を起こし、殴りつけた。
「高貴な公女が、最下層の娼婦の息子に抱かれてよがり泣くなんてな、ぞくぞくするぜ。お前の代わりに、俺の子供を孕ませてやる。お前のお袋も名高い美女らしいな。年増も嫌いじゃねえ。両側に並べて、一緒に可愛がってやるよ。安心して死ね。」
 そう言って笑うと、牛刀を取ろうと腰に手を回した。

“我がなき後は如何ならん。”

 その僅かな間、トゥーリはアルティクの喉元に喰いついた。遠慮ない悲鳴が挙がった。
 アルティクは引き離そうと髪を掴んで、暴れまわった。
「この狼!」
 トゥーリは相手の身体を抱き締め、ぐいぐい深く噛んで離さなかった。血液の生臭い匂いと鉄臭い味が、どんどん濃くなってくる。
 アルティクと一緒に、トゥーリはそのまま身を起こした。
 髪を引きちぎるような力で引っ張るアルティク。
 罵り言葉通りに、狼のように唸りながら噛み続けるトゥーリ。動きに合わせて、益々強く抱き締め噛み続けた。
 がちりと、上下の歯の噛み合わさる音がした。彼の口の中に、小さな肉片が残った。
 アルティクは喉元を押さえて、後ずさった。大して食いちぎったわけではなかったが、出血は多かった。
 トゥーリは横蹴りにして倒し、顎を蹴り、こめかみに踵を打ち付けた。
 そして、転がっていた剣を取り、昏倒しているアルティクに突き刺した。
 死んだと判ったが、何度も刺した。
 やがて、彼はからりと剣を取り落し膝をついた。ようやく肉片を吐き出し、一頻りえずいた。
 彼は遺骸を見下ろし
「男前なのに、言うことが下品でならんわ……。ガキの頃、固いもの食ったから噛みちぎれたんだよ。」
と憎々しそうに呟いた。
 彼の左側の髪が一部ごっそり抜けて、アルティクの六本指の右手に絡みついていた。
 途中までどよめき、何か叫んでいた敵味方の兵は、静まり返っていた。
 アルティクの連れていた兵はそれ以上戦うでもなく、西の方角へ去った。

 ヤールは、トゥーリの腫れた左瞼を切り、薬草を擦り込んだ。
「闘い方が古臭いですわ。大昔のシークがしたやり方。」
 ヤールは苦笑いしている。トゥーリはじんじん痛む瞼を麻布で抑えながら尋ねた。
「そんなご先祖いたの?」
「話を盛ってあるんでしょうけどね。喰いついて、ここの急所をやったらしいですよ。“狼のツィラード”。」
 ヤールは、左の顎の下を手で押さえて見せた。
 その遠い先祖の名前は聞いたことがあるような気がしたが、由来までは知らなかった。
「悪いけど、汚らしい闘い方だな。俺はもうごめんだね。」
「そう言ったものでもありませんよ? “狼のアナトゥール”さま。」

 “得物失くして組み敷かれようと、喉に喰いついてでも殺せ。”
 “最後に、二本足で立っていた者が勝ちだ。”
 トゥーリは、母のソラヤが放った言葉を思い出した。
(追い込まれたら……。自分で自分が恐ろしいよ。しばらく肉は無理……)
 抑えていた麻布から彼自身の血液が臭った。また吐き気がした。



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