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 大公は、前回目通りした時よりも生気が無くなっているように見えた。目覚めているが、左の瞼が開けにくいのか垂れ下がっていた。
 彼は公妃の報告を聞き、そっと目を閉じた。やがて、閉じた瞼の間から涙が零れた。
「神さま……あなたは成るように物事を運ばれました。」
 そう呟いた後、トゥーリとアデレードを見て
「アナトゥール、すまなかった。」
と言って、ぽろぽろ涙を流した。
 大公の気力が弱くなっているのは、誰の目にも明らかだった。皆が切なく、そして漠たる不安を感じた。
 公妃は、大公の寝室に食卓を設えさせた。九人は、寝台でうとうとまどろむ大公と共に食事をしているつもりでいた。
 ご馳走とはいかなかったが、皆の顔は嬉しそうで、それぞれ食事と会話を楽しんだ。

 夕暮れ時に、二人はテュールセンの兄妹と一緒に屋敷に戻った。アデレードはヴィクトアールと別室に行き、トゥーリはリュイスと居間で酒を飲んだ。
 彼女たちは別室に閉じこもったきり出てこない。
 トゥーリは、いやに長すぎるのが気になり始めた。
「女二人は長いな。何の話をしているのか? ……いつでも会いに来られるのに。」
 リュイスは腹を抱えて笑った。厳しい目を向けるトゥーリを見てまた笑い、咽ながら驚くべきことを答えた。
「そりゃあ、お前……。今晩、お前がする狼藉について、ヴィクトアールがお教えしているんだよ!」
「狼藉って……」
 彼は更に楽しそうに続けた。
「ヴィクトアールは、お前の手口をよく知っているから、心配するな。お前の手順一から、詳しくお教えしているだろうよ。」
 それこそがトゥーリには、教えてほしくないことなのだ。
 新婚初夜の妻に、かつて特殊な関係にあった女があれこれ指南をしているなど、悪夢でしかない。
(まさか、俺と寝た時の詳細を教えているとかか……?)
 彼は、そこまではしないだろうと否定した。
(一般論に留めてくれよ、ヴィクトアール……)
 もう何か話しているのだから、彼には祈るしかない。それでも、ぼそりと本音が口に出た。
「教えなくても……」
「お前、自分で教えるつもりか? ならんわ。それはならん。今日はお教えするどころか、お前の復習で終わってしまう。いつもの手順……五くらいまであるのか、最後まで無理だろう。手順二くらいで限界だろうな。それとも、今晩は特別なことをするつもりか?」
 リュイスは笑い転げている。
 悔しいかな、彼の笑う通り、ゆっくり優しく導くのは無理に思えた。
 にやにや見ている彼に、トゥーリは
「……お前、手順五までか?」
と言い返した。
「お前、手順いくつまであるんだよ?」
「三十くらいだよ?」
 トゥーリは真顔で答えて、にっと笑った。
 リュイスは笑うのを止め、小声で尋ねた。
「え? そんなに手順をかけるの?」
 トゥーリは意味ありげに見つめた。リュイスは真意を探ろうと、表情を窺った。
「……いや、嘘。」
 リュイスはほっと息をつき、またにやにやしながら揶揄った。
「愛する奥方の為に修行したろ? その成果を活かす時だよ。どんなことをしたら女が悦んだか、しっかり思い出せ。……何? 顔が赤いな。鼻血出すのか? 童貞か、お前は? 今までの女は、寝床で撫でていただけか?」
「鼻血など出ぬわ!」
 怒鳴られてもリュイスはあっけらかんと
「お前、初々しいな。一目見て心奪われたわ。」
と言って、また笑った。
 トゥーリはうんざりした。
(リュイスなりの祝意かもしれんが……いつもながら、お品が下り過ぎだよ。)

 結婚を前にした姫君には、その乳母が性的な知識を与えるのが常だった。
 だが、アデレードの乳母は咎を恐れ、またその家族も反対した為に、同行を求むるはおろか面会すらできなかった。
 ヴィクトアールはそれを案じ、要らぬ心配かと悩んだが教えなくてはならないと、屋敷まで来たのだ。
 彼女はうろうろと立ち歩き、端緒を探った。アデレードは行儀よく長椅子に座り、彼女のすることを眺めている。
 ヴィクトアールが視線に気づき立ち止まった。そして、アデレードを見て微笑み、その隣に座った。
「アデレードさまに大事なことをお教えするわ。」
「ええ。」
 どうにか始めたものの、ヴィクトアールは少しだけ躊躇った。どれだけ知っているかによって話も変わると思ったのだ。
 間近のアデレードは真面目な顔で、言葉を待っている。彼女の曇りも穢れもない目を見て、ヴィクトアールは苦笑した。
 暈して始めるべきだと思った。
「結婚すると、やがて子供が生まれることはご存知ですよね?」
「勿論。赤ちゃんの無い人もいるけれど、生まれる人は多いわ。」
「その赤ちゃん、どうやって生まれるかは……?」
「お母さんが生むのでしょう?」
 ヴィクトアールは溜息をついた。アデレードは察することすらできないほど、何も知らないのだと思った。
「お父さんの役目があって……」
 アデレードは手を振り、笑いながらその言葉を遮った。
「知っているわ。何かするんでしょ。夜に寝台の上で。」
「いえ……昼でも朝でもいいんですが……」
 ヴィクトアールは焦るあまりに失言したと悔やんだが、アデレードはけらけら笑った。
「そうなの? 自由なのね!」
 ヴィクトアールの緊張感はその言葉で霧散した。
「自由なの。そして楽しいことよ。」
「ヴィクトアールは男の人たちと、自由な関係を楽しんでいるけれど……ごめんなさい、こんな言い方をして。」
 謝るアデレードに、ヴィクトアールは微笑んで首を振り先を促した。
 すると、彼女は何の躊躇いもなく驚くべきことを言った。
「アナトゥールとはどんなことをしたの?」
 ヴィクトアールはあっと叫びそうになったのこそ堪えられたが、咄嗟に
「普通に……」
と本当のことを答えていた。
 アデレードは忍び笑いを漏らした。
「やっぱり……」
「誤解しないで! 随分前のことよ! ここ数年は何もないわ。今後もない。私は結婚している男や相手のいる男とはしないの。」
「知っているわ。普通って? 普通ではない人もいるの?」
 目をきらきらさせて答えを待っている。ヴィクトアールはもう苦笑するしかない。
「アデレードさまは、私がトゥーリと昔そういう風だったことを何とも思わないの?」
「思わないわ。私、あなたのことが好きだから。」
「トゥーリについては?」
 彼女は表情を曇らせた。リースルのことを思ったのだ。
「……多少知っているから……」
 ヴィクトアールは単に、彼の恋愛遍歴を面白くないと思っているのだと考えた。
「大丈夫よ。彼は今後浮ついたことはしない。断言できる。言ったでしょう? 理想の女しか愛さない種類の男だって。彼にとってはあなたがそう。」
 アデレードは黙って頷いた。
「信じられない? そうね、自分では判らないものよね。でも、傍から見ていればすっかり判ることだから、信じて。」
 彼女は俯き考え込んだが、顔を挙げると
「それで、どんなの? 口づけして抱き締めるんでしょう? それから、お布団の上で、その……すっかり脱がせてしまうんですってね!」
と言った。好奇心一杯に表情がきらきらとしていた。
 ヴィクトアールの方が顔を赤らめ、そして唸った。
 アデレードは小首を傾げ少し考えて、問いかけた。
「でも、それって少し困るわ。裸を見られるのが恥ずかしいの。」
「……大丈夫。向こうも脱ぐから、お互いさま……」
「それもそうね。全部教えて。すっかり脱がせてから後は知らないのよ。どんなことをするの?」
 ヴィクトアールは溜息をひとつついた。ありのままを包み隠さず、全部教えると覚悟を決めた。
 その後は、アデレードの感嘆する声や悲鳴が延々と続いた。
 ヴィクトアールの話が終わると、アデレードは眉を顰め
「ねえ、ヴィクトアール。問題がひとつだけあるの……」
と言った。

 ヴィクトアールが一人で居間に戻って来た。少し浮かない顔をしていた。
「兄さま、笑い転げていないで、帰りなさいよ。私も帰るわ。」
「ほれ、いよいよ待ちに待った初夜ってやつだよ。トゥーリ、しっかりしろよ。」
「もう! 兄さま。止めなさいよ。」
 トゥーリは笑いながら、リュイスの背中を押した。
「このお上品なお兄さまを早く連れて帰ってくれよ。」
 彼女は笑うでもない。
「トゥーリ、あのね……」
と言い淀んだ。
「何?」
「今日からしばらく、アデレードさまは男の側でお休みになれないわ。解るわよね?」
 リュイスはしゅんとして黙ったが、トゥーリはどうしたわけか安堵した。

 その晩は、ヴィクトアールの言葉に少し逆らって、同じ寝台で休んだ。
 口づけをして抱き締め合う。腕の中にお互いの温もりを感じることさえ、この上ない悦びだった。




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