残花
6
勤勉な拷問官は、大公の命令に直ぐに取りかかった。
やはり、道具を並べた皿をトゥーリに提示し
「お検めください。」
と言った。
見るからに恐ろしげな道具類である。彼は目を逸らした。
「何故、わざわざ見せる?」
「使用されるのを想像させる為です。」
「……悪趣味だね。」
「職務の一環です。」
何を言おうと、拷問官の顔色は変わらない。
いかにも残虐行為が好きそうな言動ならばまだいい。淡々としている方が気味が悪かった。
(どんなことでも平気の平左でするんだろうね……)
彼は覚悟を決めた。
爪を剥がされるのは、想像以上の激痛だった。トゥーリはとうとう悲鳴を挙げた。
拷問官は大して驚きもしていない様子で
「あなた、今まで我慢なさっていたのに、これで?」
と言った。
「……いや、大公さまが喜ぶかと……」
呻き声の間からそう言ったが、拷問官は冗談とも取らずに
「もう聞こえませんよ。あなたの叫び声の前に監獄を出ておられるでしょう。」
と言った。
「そう……」
「あなた、見かけとお育ちにそぐわぬ頑張り様だと思いましたが、さすがにもう駄目?」
言いながら、次の指を弄っている。
拍動に連動して疼く痛みがある。鞭で打たれた時の焼けつくような痛みとは違う。
「経験していない種類の痛みだったから……」
「……爪、短く切るんですね。やりにくいです。」
拷問官はそう言って、また一枚剥がした。
言い返そうとしていた彼は、剥がされた拍子に唇を噛んだ。唇に血が滲んだ。
「痛かったですか?」
「地味な方法の方が堪えるね……」
「人によりけりですよ。」
更に一枚剥がされた。絶叫が出た。
「……前触れしてくれ。」
「楽しい殿さまですなあ。では、行きます。」
前触れのおかげか、次は叫び声を堪えられたが、ぎゅっと瞑った瞼から涙が零れた。
拷問官は、次の指を探っていた手を止めた。
「その美貌で涙を零されると、ちょっとだけ私も辛い気持ちになりました。」
初めて感情らしいものを口に出したが、全く気持ちが籠っていない。何故、わざわざそんなことを言うのか、トゥーリには訝しかった。
「そう……? あんたみたいな冷静ないい男を落とすときは、涙を零すことにするよ。」
微かに苦笑するような声が、被り物の下から聞こえた。
「粋ですな。男もいけるクチですか。」
「いや……女は愛する奥さんだけにして、浮気は男とするかなと……」
くだらないことを言うと気が紛れた。幸いにして、拷問官は会話に付き合ってくれる。
「別な場所でお話したかったですね。最後の一枚、いいですか?」
「一枚見逃してくれない?」
「駄目です。」
「いいじゃない。深い仲なんだし。」
「ご命令ですから。」
「今ここで、辞職しない?」
「生活がありますから。」
「一緒に駆け落ちしましょう? ラザックシュタールのシークの華麗なお屋敷で、楽しく就職ってのはいかがかしらん?」
女言葉でなよなよ言うと、被布の下で笑っているのか、肩が少し揺れた。
「草原の方が拷問なんかしますかね?」
「まあ、しないな。答えない奴は、そのまま斬る。」
「でしょう? 私の技能が生かせないじゃないですか。」
「そうだな。哀しいよ。あんたはこんないい男なのに、一緒にいられないなんてさ。」
とうとう笑い声が漏れ聞こえてきた。
「ずっと疑問だったんだが……訊いてもよいか?」
「拷問官に尋問するおつもり?」
「どうして、会話に応じるの? 丁寧だし……」
「あなた今、私と少し親しくなった気分でしょう?」
トゥーリは拷問官の言わんとするところが見えた。親しみどころか暗澹たる気分だった。
「恋をしているが?」
そんな冗談に、拷問官はもう笑いもしなかった。
「手加減してくれるかもしれないと期待しているでしょう?」
「それはね……してくれるならいいなと。」
「人はね、期待があればあるほど、裏切られた時は堪えるものです。でも、希望を繋ごうとまた期待する。何度も裏切られ続けると最後には、皆さまは虚ろなお顔で全てを諦めなさる。」
「期待はさせるけど、あんたは絶対に期待を裏切る男ということだね。つれないな。益々惚れてしまうよ。」
拷問官はもう応えず、職務を再開した。
「最後の一枚、行っていいですか?」
「匙を握れなくなる。」
「犬みたいに顔を突っ込んで召し上がるのでは?」
「それは、口から出まかせ。」
「本当に右手で匙を使えないのですか?」
「そういう風にしておいた方が、憐みを誘う?」
「私の憐みを誘ってもねえ……。さっき申し上げたでしょう? ぱっとやり終えた方が楽です。」
「見逃してよ。」
「……では、参ります。」
左手の爪が無くなった。
「お食事は汁物にします。飲むだけならできるでしょう?」
拷問官らしからぬ気遣いの言葉に聞こえるが、そうではないことは解っている。
トゥーリの気力を萎えさせる為の飴なのだ。この拷問官自身の方法を忠実に辿っているだけだ。
「いい……。どうせ冷えているんだろう?」
部屋に戻され一人になると、耐えられない激痛ばかりに気持ちが向かった。
蹲って、床に嘔吐した。
何も食べていない。胃液ばかり出て、えずきが止まらなかった。
その後は痛めつけられることはなかった。
トゥーリは下層の牢に移された。
そこは、見捨てられた囚人の入れられる場所だ。水も食べ物も与えられず、そのまま放置される場所である。
(三日水を飲まないと、死ぬって聞いたけど……小便でも飲む?)
さすがに躊躇された。まださほど渇きはない。
彼は冷たい石床に座った。慣れてきた暗闇に、かさかさっと動く物がいた。ぎょっとして腰を浮かせたが、襲い掛かってくるわけでもなさそうだ。
そのまま腰を下ろし、これまた冷たい石の壁に背中を付けた。いいことに、焼けつく傷が楽になった。
相変わらず指先が疼く。彼は膝を抱え、小さく丸まった。
(アデレードは……? 屋敷でのんびりしているわけはないだろうが……?)
コンラートは既に、屋敷を急襲し制圧しているだろう。
その際にアデレードも殺してしまえば、“公子”の秘密は永遠に漏れない。
彼は拷問室でのコンラートとの会話を必死に思い出した。あのコンラートの様子では、アデレードを殺したならば高らかに宣言するはずだと思えた。
しかし、何をするか解らない気もする。
(草原に派兵するくらいだからなあ……)
暗澹たる気持ちだった。
(ま、俺を責め殺した後のアデレードの嫁ぎ先も考えていたようだから、生かしてあるのかもな。何しろ、生き恥ってのが好きみたいだから。)
どれくらい経ったのだろう。遠くから階段を下りてくる足音が聞こえた。ひとつだ。足取りは軽い。
トゥーリは、コンラートを背負った獄吏ではないと見当をつけた。だが、自分を追い込む知らせを持ってきたのかもしれないと、気を構えた。
現れた獄吏は思った通り、ひとりだった。
トゥーリは素早く表情を探った。深刻な知らせを持ってきた様子ではなかった。
獄吏は、小窓から水差しを入れた。
「水です。大公さまが水だけはやれと命じました。」
トゥーリは水の匂いを嗅ぎ、少しだけ舐めた。特におかしなことはなかった。不安はあったが飲み干した。
「生かしておく気になったのかな?」
「日を稼ぎたいような……」
獄吏は慌てて言葉を飲み、無言で立ち去った。
口を滑らせたのか、教えたのかは判らないが、トゥーリは新しい情報について考えを凝らした。
(日にち……レーヴェがラザックシュタールを攻撃している? いやいや、ラディーンを忽ちに撃破するなどありえん。凶暴なんだから。)
彼は、部の民を凶暴だと表現した自分に苦笑した。
(都の南西のラディーンの野を迂回して、ずっと南東からかな? 冬……ラザックの氏族は南西に移っているだろう。東の山の麓から、そこそこ草原の奥まで南下できたかもしれん……。ラザックシュタールまで到達?)
既にラザックシュタールの街を争っているのではないかと、彼は不安になった。
(まあまあ……ラザックシュタールの城壁は破られん。破城槌でも苦労するはず……だったら?)
一度は宥めたものの、不安が不安を呼んだ。
(こうしちゃおられんが、脱走できないな。獄吏を誑しこむ……わけにもいかんわ。俺は全く……この状況で、馬鹿馬鹿しいことを思いつくもんだなあ。)
それからも、水だけは与えられた。
しかし、食べる物はない。
トゥーリはくったりと座り込むことが多くなっていった。
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