7

 トゥーリがギネウィスの所へ着いた時、彼女はちょうど食事を始めていたところだった。
 彼女は咎めるでもなく、招き入れた。
「こんな早くおいでになるとは思いませんでしたわ。」
「不興か?」
「いいえ。お食事は?」
「要らん。」
 彼は、短い応えしか出せなかった。
「……何か、ご機嫌がよろしくないみたい。」
「そうか? あなたに会えたから、悪くはない。」
 そう言うが、彼は眉間に皺を寄せたままだ。
 彼女は笑いかけ
「お座りになったら? ……ごはん、いただいたの?」
と子供を宥めるように尋ねた。
「いいや。今日はあんまり食べておらん。」
「朝から?」
「朝は少し。昼と夕は気分が悪かったのでね。」
 わざわざ来たくせに、ぶっきらぼうな口調で話す彼の様子に、彼女は苦笑した。
「あなた、おなかが空いているから、ご機嫌が悪くていらっしゃるのね。ご一緒に召し上がれ。」
 彼は少しだけ不愉快になり、それには応えなかった。
 彼女は気にするでもなく
「ラザックシュタールさまに何か差し上げて。」
と侍女に命じた。

 二人は無言で食卓が整うのを眺めた。ギネウィスの食べかけの料理を見ているうちに、トゥーリは食欲が湧いてきた。
(あんなことがあっても、腹が減るのか……)
 そう思うと、ひどく冷酷になった気がした。
「やはり……腹が減っていたみたい。」
「でしょう? あんなご武勲たてた方が、子供みたい。」
「たいした武勲ではないって、宮宰さまに言われたよ。」
「意地悪ね。戦場を知らぬ者の言うこと。気にする必要ありませんわ。」
 彼女の言葉を聞いて、彼はやっと気が楽になった。
「うん。」
「お手紙が来ましたわ。一通だけ。」
「……毎日あなたのことを思ったけれど、紙を前にすると、書くことが思いつかなくてね。」
「一通でも嬉しかった。」
「そう。」
 彼は照れくさそうに笑った。

 食事が並んだ。匙を取るトゥーリの手に、ギネウィスが目を留めた。
「あら、左利きですの?」
「気づかなかったの? 夜会でリュートを弾くの、見ていたでしょう?」
「あの時は、普通に右手で弾いていらしたわ。」
「そうだったかな。……何? 左利きが珍しいの? それとも……あなたも思うの? “左利きのアナトゥール”って。」
 彼の表情が曇った。左利きをずっとからかわれてきたが、彼女に何か言われるのは哀しい。
 彼女は、ローラントが右利きだったことを思ったが、絶対に不満を顔に出してはいけない。いつも通り微笑み答えた。
「いいえ。何故、今まで気づかなかったのかと……」
 彼は、気にしていないのだと判断し安堵した。
「私が楽しいことするの、みな左手なのです。食事するのも、あなたに恋文書くのも、あなたのことを愛するのも。」
 父親と違う部分を発見したのに、そう言われて嬉しかったのが、彼女を動揺させた。それを押し隠して、彼女は話を変えた。
「今晩の宴席、お出ましにならないの?」
「行かない。皆、宴会、宴会って何が楽しいのかな? 鯨飲馬食してさ。うちの部の民が見たら卒倒するわ。あなたといた方が楽しいよ。」
「お食事だけして、すぐお帰りになっていたのね。お食事が済んだ後で、皆楽しむのです。踊ったり、歌ったり、恋を語ったり。」
 彼は、気取った者たちが気取った社交をしているところなど、興味がなかった。
「くだらん。」
「そんなことないわ。ご婦人方がちやほやしてくれるわ。」
「は! 女の子みたいな顔したトゥーリってね。」
 彼は、ますますもってくだらないとばかりに言い捨てた。
「そんなことを言われましたの?」
「そう。女顔なのかな? 小さいときは、睫毛が上向きにくるんと巻いているものだから、女の人に“あら可愛い。わたくしのと取り替えて欲しいわ”なんて言われたよ。」
 彼が、そう言った貴婦人の気取った口調を真似すると、彼女は声を挙げて笑った。
「可哀想……」
 彼は苦笑し
「そんなに笑わなくても……」
と言った。
 彼女は笑い咽ぎながら
「でも女性なら、きっとすごい美女。」
と言った。
「そりゃあ、残念ですな。」
「ねぇ……面白いこと思いついたの。申し上げてもよろしいかしら。」
 彼は軽い調子で、料理をつつきながら訊いた。
「何?」
「お怒りにならない?」
「あなたの言うことに怒ったりしないよ。」
「本当に? わたくしの言う通りしてくれると約束して。」
「今すぐ死んでくれって言うんでなければ、何でもします。」
「約束して。」
「念押しするね。……約束します。」
「絶対よ?」
「もったいぶって。何?」
 すると、彼女は、想像もつかなかったことを言い出した。
「今から宴席に出るの。わたくしと一緒に。あなたも裳裾を引きながらね。」
「何!」
 驚くトゥーリに、ギネウィスは
「約束なさったでしょう? わたくしの言う通りするって。」
と甘えた声で言った。
「いくら何でも……」
「見たいんですもの。すごい美女のあなた。」
「薹のたった陰間みたいに決まっているよ!」
「そんなことないわ。やってみて。」
「……だいたい、皆にばれたら……」
「お血筋の姫君ということにしたら、なるほど似ていると皆思うだけで、変に思いませんわ。ねぇ、わたくしの我侭、お聞き届けになって。」
「声で……」
「口がきけないって触込みにして、黙っていたらよろしいわ。」
 彼は彼女の表情を探った。本気のようだ。
「……気が進まない。」
「きっと、あなたのお知り合いが騙されて、あなたのことを口説きに集まるわ。どんな振舞いをなさるか、興味ない?」
「ああ、それは面白そう……いやいや。」
「でしょう? 誰が一番情熱家かしらね?」
 ギネウィスは悪戯っぽい目を向けている。トゥーリも悪戯をしてみる気持ちになった。気取ったやつらの本性を見てやろうと思った。
 だが、彼女には、悪戯だけではない暗い思いがあった。

 忠実な侍女が、ギネウィスの若いころの衣装を持ってきた。侍女も面白がっている。
「そんな鎧みたいな下着! やめて! 息ができないよ!」
「何をおっしゃるの。痩せっぽちだけれど、やはり体型が違うわ。補正しないと。締め上げますから。さあ、柱にしがみついて!」
 侍女が笑いながら、遠慮なく力いっぱいに下着の紐を締め上げた。
「痛い!」
「胸は……綿でも詰めましょうかね……」
「そんな! 大きくしないで。恥ずかしいから。」
「ああ、この喉仏! いやらしいわ。」
 ギネウィスも侍女も笑いさざめいた。
「いやらしいって……引っ込められないからね!」
「エナンの薄絹で隠しましょう。首の太さも一緒に誤魔化せます。」
「そうね。さすがに白鳥のような首とは言えないわよね。ちょうどいいわ。」
 侍女は着せ付けると、彼の髪をほどいて、あれこれ弄りまわした。
「それから……髪の毛! 長いのはいいけれど、多いですねえ。」
 トゥーリは慌てた。髪を切るのは厳禁なのだ。三か月に一度、ラザックの近習が切り揃えることになっていた。
「切ったらならん。切る日、決まっているから。」
「まあ、いいわ。黒い髪には……やはり金の飾りがいいかしら?」
「この髪の毛、鏝を当てないとやりにくいです。」
 女二人はあれこれ楽しそうだ。しかし、あまり念入りにされるのは困る。
「あまり複雑な技術は施さないで……明日は男に戻りたいんで。」
「あなた、ちょっと黙っていて。」
「俺は人形かね……」
「そうです。」
「お化粧はいかがいたしましょう?」
「そうねえ……そんなに塗りたくらなくても……口紅はつけて……。あら! あなた、今でも睫毛が上向きね。」
「ほんと、可愛らしいわ。」
 トゥーリが悔しそうにするのにも構わず、女たちは笑っている。
「でも、眉毛をちょっと抜いて……」
「やめて! 明日から男に戻るんで……」
「大丈夫。すぐ元に戻る。」
 女二人に玩具にされ苦々しかったが、鏡の中でどんどん娘姿になっていくのを見ているうちに、トゥーリも楽しくなってきた。
 出来上がると、二人の女は大喜びした。
「あら……すごく綺麗……」
「本当に! 努力の甲斐がありましたわあ。何やらお歳より大人びて見えます。」
「そうそう。すらっと背の高い、品のよいお嬢さま。例えるなら菖蒲の花。」
「そうか? お喜びいただいて、私も嬉しいです。」
 彼は皮肉を口にしたが、彼女らは少しも意に介さない。
「ああ、その声! 話をしてはいけませんわ。そして、その歩き方も何とかして。もっと小股で歩かないと。裾を乱してはなりません。」
「注文が多いね。」
「黙って! 前側をたくし上げて、ちょこちょこ歩くの。」
 彼が言われた通りにして見せると、彼女らは満足そうにした。だが、歩幅を小さく歩くのは、脚が縺れそうだった。
「女の人って、大変だね!」
「でも……やっぱり殿方なんですねえ。目がキツイんです。」
「そうねえ。……あなた、なるべく伏し目がちにね。品よく見えるし。」
「本当に宮廷に行くの?」
「そうよ。もうそろそろ、お食事が終わって、皆で楽しんでいるころ。早く出かけましょう。…… 菖蒲の君。」 (アイリスさま )
「何それ?」
「今晩のあなたの呼び名。」
 トゥーリは呆れて、ものを言う気も失せた。

 アイリスこと人形のトゥーリは、覚悟を決めた。“お姫さま”を演じてやろうと決心して広間へ入った。
 大公を始め、皆が揃っていた。彼は大公の家族だけには近寄らないでおこうと思ったが、ギネウィスは大公に挨拶に行こうと促す。
(本気かよ? ばれるよ。小さいころからよく知っているんだから……)
 彼は無理やり引っ張られて、大公と公妃の前に立った。
 大公は、にこやかにギネウィスに声をかけた。
「従妹殿。珍しいですな。お元気そうでなにより。今日は、若いお嬢さんをお連れで……初めてお見受けしました。どなたかね?」
「本当。美しいお嬢さん。」
 大公も公妃も、少しも性別を怪しむ様子がない。
 それでも、トゥーリはまだ不安だった。
 ギネウィスは、すらすらと“アイリス”の偽の素状を語り出した。
「この方、亡き夫の主家筋の姫君ですわ。どなたかによく似ていらっしゃるでしょう?」
「はて?」
「ラザックシュタールさまのお血筋ですの。母系に、何代か前のシークのお嬢さまがいらっしゃるの。」
「そうだわ! トゥーリに似ているのよ!」
 公妃は納得がいったとばかりに頷いている。
「そうだね。血の力だね。」
 大公もまったく疑っていない。
(こんな出任せを……この二人信じたのか? ……あんたらの目は節穴かね。)
 彼は呆れたと同時に、痛快で仕方なかった。
「お名前、何とおっしゃるの?」
「この方、お話ができないのです。」
 ギネウィスが残念そうに言うと、公妃は申し訳なさそうに
「あら……失礼しました。こんな美しい方がね……。残念ですわ。」
と言った。
「お耳は聞こえていますから。ねえ、アイリスさま。」
「アイリスさま……本当に花のような姫君。」
 彼は必死に笑いを堪えた。
 そこに、アデレードが現れた。
「あら、この方どなた? トゥーリにそっくり。」
「トゥーリのご親戚。」
 公妃がにこにこして、アデレードに教えた。
「トゥーリの代わりにいらしたの?」
 ギネウィスはアデレードの質問を遮った。
「公女さま、この方、お話ができませんの。」
「何故?」
(しゃべると、男だってばれるからだよ。お前まで気がつかんとはな。畏れ入ったわ。)
 小気味よい。彼はばらして、アデレードが驚く様を見たいと思ったが、残念ながらそれはできない。
 大公がアデレードを小さく窘めた。
「姫よ。失礼なことを尋ねてはならん。ご不自由をお持ちの方なのだ。」
 アデレードは慌てて謝罪した。
「ごめんなさい。」
「よろしいのよ。では、失礼します。」

 ギネウィスにとって、アデレードが登場したのは予定通りだった。それを期待していたのだ。彼女にはさすがに連れの正体が露見するかと危ぶんだが、判らないようだ。
 人待ち顔のアデレードを眺めていると、ギネウィスの意地悪な優越感が満たされた。
(可愛い公女さま。あなたがお待ちの大好きなトゥーリはここにおいでよ。でも、もうあなたのシークではないの。わたくしの言うなりのお人形なの……)
 彼女は、トゥーリの様子をそっと窺った。
 彼はアデレードを見つめていた。そして、小さく溜息ついた。
 それがギネウィスの癪に障った。しかし
(そんなに公女さまが気になるの? でも、話しかけるどころか、側にも寄れないわよね。お姫さま姿では。可哀想にね。)
と思うと、溜飲が下がった。
 やがて、大公の家族が前後して退出した。後はくだけた夜会になる。

 ギネウィスと“アイリス”は、広間の一角に陣取った。すぐに皆が二人の側に集まった。皆、珍しもの好きの暇人だ。初めて来た美しい姫君と、特に若い男たちが、お近づきになりたがった。
 トゥーリの見たことがある若いのが、次々に世辞を並べた。
(普段はすかしているくせに……。女相手ならそんなに謙って、一生懸命注目を得ようとするのだね。)
 トゥーリは嘲ると共に
(あんたらがおべんちゃらを言っているのは、男なのだよ。)
と可笑しくなり、扇の影で笑いを押し隠した。
 その仕草は慎ましやかだと勘違いされた。若い男たちは更に熱くなる。
 音楽が始まると、誰が一緒に踊るの、いや私だのと一悶着が起きた。彼は身ぶりで断ったが、強引に連れ出された。
(女側の足型は……?)
 惑ったのは最初だけで、いつもと逆に足を出していたら格好がついた。調子にのって、次から次へと相手換えた。

 目立つ様子に、テュールセンの兄息子が目を留めた。
「リュイス、見てみろ。美しい姫だな。」
「へえ! 美人だ。……おい、あれは誰だ?」
 弟のリュイスが、側にいた知り合いに尋ねた。
「アナトゥールの親戚の娘だよ。口がきけないらしいよ。耳は聞こえるってさ。……喉に問題があるのかな? 生まれつきかな? 何かの病気かしら?」
「お前、面倒なこと考えるんだな。そんなのはどうでもいい。いくつぐらい?」
「俺ぐらいじゃないの?」
 そこまで聞けば十分だと、兄のレーヴェが
「ちょうどいいではないか。引きずり込めんか?」
と言い出した。
「兄者、引きずり込んでどうするの?」
「決まっているではないか。組み敷いてしまうのだ。」
 リュイスは大笑いだ。
「そんな直接話法。品のないこと言うな。」
「お前だって、そう思っているくせに。口のきけない女も、寝床でよがるのかな?」
「どうかな……どう思う?」
 リュイスは、側の若君に答えを求めたが、彼は
「知らんわ。あなたら二人には付き合いきれん。」
と呆れて立ち去った。
「付き合いきれんって。気にならんかね、男なら……? ねえ、兄者。」
「そうそう。気になる。どれ、いっぺん行ってみるか。」
「一応、アナトゥールの縁ってこと、忘れるなよ。」
「何故だ? 親戚の女が誰と寝ようが、あいつが文句を言う筋合いではないだろ。」

 レーヴェは、アイリスの隣にどっかり座って誘い始めた。
 それまでいた連中は、ご大身の世継ぎがお気に召したようだと、散ってしまった。
 トゥーリは俯き、じっと耐えた。レーヴェはトゥーリの手をぎゅうっと握り、詰め寄ってくる。
 格好が女だからか、思考が女っぽくなり、更に動揺して、女々しくなる。心の中で呟いているのも、女言葉になっていた。
(わたくし、どうなっちゃうの? この方、強引で有名。怖いわ。)
 すると、レーヴェから驚くような直接的な言葉が出た。
「私の寝床、今晩空いていますので、あなた一緒にいかが?」
 トゥーリはぞっとした。
(ひゃあ、そんな直な口説きありですか。ああ、どうしましょう。わたくしの手を放して……)
 レーヴェは手を放さない。彼は苛立った。
(ああ、もう! 放せというのに。気色悪いんだよ! お前の寝床でどうするのさ。怒鳴りつけてやる。)
 そう思ったものの、ばれるわけにはいかないのだ。
(女装で乗り込んだなんてことが表沙汰になったら、明日から外を歩けん……どうしよう?)
 彼は手巾で顔を覆って、肩を震わせ、泣いているふりをした。
 泣くほど嬉しいとは、レーヴェも思わない。泣くほど嫌なのだと解ったのだろう。
「悪かったね。」
と言って、立ち去った。
(貞操の危機は回避したようだ。)
 トゥーリは胸を撫で下ろした。
 しかし、一難去ってまた一難。今度は弟の方が擦り寄って来た。

「姫君、私の兄の無礼、お許しください。」
 気取った様子で話しかけるリュイスを見て、トゥーリは愉快になった。
(ああ、今度はお前か。兄弟そろって女好き。)
「お怒りですか? ……ああ、あなたはご不自由をお持ちでしたね。重ね重ねお許しを。」
 リュイスは眉根を寄せて申し訳なさそうな顔で詫びた。そして、大袈裟な溜息をつき
「お返事をいただけないのが、これほど切ないとは! ……まるで、美しい彫像を相手に話しかけているようです。」
と言って、じっと見つめた。
 トゥーリは可笑しくて仕方がない。声を殺して笑った。
「ああ、笑ったね。笑窪が可愛いね。」
 リュイスは嬉しそうだ。
(堪らん。お前、そんなこと言っているのだね。あちこちの女に。もっと恥ずかしいことを言ってみろ。)
 トゥーリの期待に応えたわけではないだろうが、リュイスはああでもないこうでもないと、一生懸命褒め称えた。
「ねえ、もっと二人で話そうよ。……と言っても、あなたは話ができないのだね。……そうだ! 読み書きはできるのでしょう? 筆談しましょう。あなたのこと、もっと知りたいのです。どこかで落ち着いて……。ね。」
 トゥーリは、差し出されたリュイスの手を取った。
 面白がられているとも知らずリュイスは、“姫君 ”を連れ出すことに成功したと、ほくそえんでいる。

 宮廷には、廷臣が個人的に話をするのに使う小部屋がたくさんある。リュイスはそこへ連れ込んだ。
 トゥーリの内心は、リュイスとは別な期待でいっぱいだ。
 リュイスは口は達者でも、若い。入るなり、性急に
「私の気持ち、お解りでしょう?」
と抱き寄せた。
 トゥーリは、弱々しく身じろぎしてみせた。
(こいつ、やる気満々なのだわ。こんなに側近くでもわからんとはね! ギネウィスたちの技術もたいしたものだなあ。)
 笑い出しそうだった。だが、好奇心が抑えられない。そのままじっと抱かれた。
 リュイスは更に調子付いて
「あなたのこと、一目見て心を奪われたのです……。ねえ、そんなに固くならないで……」
と真面目くさった顔で言う。
 更には
「あなた、私のことがお嫌い? そんなことはないでしょう?」
と言い出した。切なそうな目をしていた。
 トゥーリは小首を傾げて、目の奥を見つめた。リュイスは彼をぎゅうっと抱きしめた。 
 そこで、やっとおかしいと思ったらしく、身を少し離して
「姫君。あなた、割と筋肉質ですな。」
と言い、拙いと思ったのだろう、取り繕った笑みを作り
「……いや、別にいいのです。何か運動でもなさっているのですか?」
と微笑んだ。
(乗馬と武芸を一揃え。)
 トゥーリは心の中で答えてやった。可笑しくて仕方がない。
「いいのです。乗馬などなさるのでしょう。シークのお血筋なら。」
(シークなんですけど?)
「シークといえば……あなたも、綺麗な緑色の瞳に黒い髪で……アナトゥールに似ていますね。」
(アナトゥールだもん。)
「私、アナトゥールとは懇意にしています。そう思うと、あなたも気安いでしょう?」
(どう気安いのさ?)
 もう笑い出しそうだ。
「ね、今晩一緒に私のところに帰って、二人きりで……」
(ああ、もう限界!)
 トゥーリはとうとう笑いながら、しゃべり出した。
「何なさるの、男同士で?」
「あら、姫君、割と低い声。って……!」
「二人きりで何するの? 教えて。」
 トゥーリがきゅっと見つめると
「お前!」
と叫んだまま、リュイスは言葉を失った。
「驚いたか? さあ、早くお前の屋敷に帰ろうや。さぞかしすごいこと教えてくれるんだろうな!」
「何てことをしているんだよ? びっくりした。」
「全然わからなかったか? 懇意にしているんじゃなかったの?」
 リュイスは、自分で言っていたことを思い出したのだろう、赤くなって顔を背けた。
「そんな格好して……」
「そうそう、苦しいのよ。鎧みたいな下着。女どもは、よくこんなものを着て生活できますなあ。ちょっと脱ぐの手伝え。」
「はあ……」
「おまけにピンやら、リボンやら……引っ張られて頭の皮が痛いんだよ。」
「そりゃ、お気の毒……」
 リュイスは消え入るような声を出した。女のことに関しては、いつも自分が上だという態度でいた彼が、逃げ出したいような表情でいるのが、可笑しくて仕方がなかった。

 二人で助け合いながら脱ぎ、トゥーリは下着姿の流し髪になった。
「お前、その姿……何だか色っぽいわ。怪しい魅力ってやつ? 男とわかっていても、何やらそそられるものが……」
「あんた、男色家ってやつか?」
「いや、そこまで粋では……でも、何かな? ふらふらと仕出かしそうな……」
「どうでもと言うなら、お前が下、俺が上なら辛抱する。」
 トゥーリがからかうと、リュイスは向きになって言い返した。
「何を言う。そんな格好して。俺が突っ込む方だよ。」
「どこへ突っ込むの?」
「さあ……」
 二人とも急に恥ずかしさを感じて、離れて座り黙り込んだ。
 やがて、リュイスが言い辛そうに
「なあ……今日のこと、誰にも言うな。」
とぽつりと言った。
「うん。俺の振舞いも言うな。」
「うん。黙っていてやる。」
 不思議な同志感が生まれた。
「……お前、ああいう風に女を口説くのか?」
「まあ、いろいろと臨機応変にね……。悪いか。」
「いや、兄貴よりはマシじゃないか? あんたの兄貴、すごい直で来たもの。その点、あんたは……歯の浮くようなことべらべらと……」
 思い出すと堪え切れず、トゥーリは笑い転げた。リュイスは顔を赤らめた。
「忘れてくれ……」
「衝撃的すぎて忘れられん。」
「お前、それをネタに今後……ならんぞ。その代わり、色々教えてやるからさ。」
「男同士で、寝床でか?」
 トゥーリは大笑いした。リュイスはますます悔しそうだ。
 リュイスはぼそぼそと
「愚かしいことを……宮廷の女事情というのをだねえ……」
と言い出した。
「何それ?」
「皆、お盛んなんだって。その中でも、選りすぐりの情報をお前に授けてやる。」
「選りすぐりって?」
「……何も知らん顔をしてるが好きなのとか、遊んでいる風だけど身持ちの固いのとか……。いろいろあるんだって。俺が身を削って手に入れた極秘情報だよ。」
 さも大事な情報だと言わんばかりの様子だが、トゥーリにはまったく興味がない。鼻で笑った。
「鼻であしらわないでくれる? お前だって、そろそろ女を抱いてみたいだろう?」
「そんなのいらん。」
「お前、やはり今日のネタでしつこく俺をいたぶるのだな。」
 トゥーリは答えずに薄笑いを浮かべた。
 リュイスは焦り
「仕方ない。女を紹介してやる。」
と申し出た。
「いらん。ちゃんと恋人がいる。」
「お前! その歳で? ……誰? 草原か?」
「何故そんな告白をせねばならんの?」
「早熟すぎるじゃないか。年増に誘惑されたか? 何とかってやつ? ……弄ばれているんだよ、それ。気がつかんの? 可哀想。」
 リュイスは、反撃するのはここぞとばかりに嘲った。
「失礼な。そんなのではない。」
 むっとしたトゥーリは、脱いだ衣装を上から羽織って部屋を出た。
 彼を探していたギネウィスと廊下で出会った。彼は、そのしどけない格好のまま、一緒に彼女の屋敷に帰った。

 トゥーリは鏡を睨みながら
「口紅って、なかなか落ちないんだな。」
と呟いた。
 ギネウィスは
「とってあげる。」
と微笑み、彼の口紅のついた唇を舐めた。



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