6

 一時ほどで少年たちが帰ってきた。背負った樽には海水が入っている。
 早速、鍋に移して火にかけた。ある程度煮詰まったら、麻布で漉す。何度か繰り返すと塩が採れた。
「少ねえ!」
 少年たちは驚き嘆いたが、トゥーリは違った驚きを覚えた。
(子供の背負える樽で……案外採れるか……。これはまずい! 俺の商売も、少し考え直す必要があるかもしれん。)
 彼は岩塩の値段を値下げするべきか考えた。
 二回行き来すると、そこそこの量の塩になった。
「これだけあれば、豚の脚の肉を十頭分くらい塩漬けできる。不満?」
 彼がそう教えてやると、少年たちは満足そうな顔になった。
 ラースロゥだけは
「父ちゃんは何で、豚の肉のことを知っているんだ? 草原の奴らは、豚なんか食わないだろう?」
と不思議そうに尋ねた。
 トゥーリは一瞬言い淀んだ。実は宮廷で豚肉の味を覚え、羊肉よりも好んでいたのだ。だが、草原の戦士の手前がある。曖昧に笑った。
「塩を売っているのだから、使い道を知っていなければね。」
 彼は兵糧の内から干した肉を、持てるだけ分け与えた。少年たちは喜び、柄にもなく丁寧な礼を言って帰っていった。
 見ていたヤールも戦士たちも首を捻った。
「あんなに分けてやるのですか?」
 少し不満そうな響きがあった。
 トゥーリは彼らに笑いかけ
「案ずるな。干し肉に飽きただろ? 明日から毎日、肉を焼いて大宴会だぞ。」
と告げた。

 連れてきた家畜が次々に解体された。
 煮る方が早く肉に火が通るが、トゥーリは焼くように命じた。
 大軍勢の食べること、消費は多かったが、草原そのものが兵站である。尽きる頃には次の氏族が補給し、途切れることがない。
 肉を焼く油煙があちこちで、もうもうと上がった。少量ながら、酒もある。
 戦の最中に泥酔する者はいないが、ほろ酔いで高歌放吟し、大声で笑う。賑やかで楽しそうだった。
 都にも肉を焼く匂いが届いている。城壁の上から、守備の兵が覗くことが多くなった。
 だが、攻撃をしてくることはなかった。

 ある時、城壁の内が俄かに騒がしくなった。
 いざ攻撃かと、草原の戦士たちは身構えた。
 だが、射かけてくる様子もなく、勿論打ち出てくることもない。
 壁の上から大声がかかった。
「これを見よ!」
 衛士が何かを運び上げている。やがて、シークの馬印が壁の上に立った。都の屋敷にあったのを、わざわざ盗ってきたのだろう。
 鉞を持った衛士が、その首を切り落とした。
 衛士たちの高笑いが聞こえた。
 呆気に取られていた草原の戦士たちから失笑が漏れた。
「悔し紛れに、あんな阿呆なことをするとはね!」
「わざわざ運んで……ご苦労なことだ!」
「シークの首の代わりか。」
 誰かが矢を放った。衛士たちは慌てふためき身を伏せた。その後に続く矢はなかったが、壁の上に姿を現す者はなかった。
 草原の戦士たちは腹を抱えて笑った。
 トゥーリも苦笑した。
「子供っぽい嫌がらせだね。しかし、あれ……またつながるか?」
 側にいた戦士が
「鍛冶屋に相談しなされ。」
と言って、また皆を笑わせた。


 草原の宴会は遠慮なく続いた。
 ある夜、南側の城壁から呼びかけがあった。トゥーリに面会を希望しているということだったが、大公の使者ではないと言う。重ねて尋ねると、町方の者だと答えた。
 伝え聞いたヤールたちは
「どうせ和議の申し入れでしょうよ。大公に言い含められているに決まっている。」
と嗤い、会う必要もないと言った。
 トゥーリは少し考えた。南の街に上がっていた焼打ちの煙は久しくない。それは、略奪する物が既に無くなって久しいということでもある。
(町方が音を上げたか……)
「連れてこい。暇を持て余している。」
と命じた。
 南の大門が細く開いた。開けた衛士たちはあらぬ方向を向き、人が出て行った後は慌てて閉めた。その様子は見ていた者に、大公の許可を得てしたのではなさそうだと思わせた。
 出てきたのは、香辛料の大商人のヤロシュだった。何人か連れている。いずれも見覚えのある町方の顔役である。

 トゥーリは食事の場で、商人たちと会った。
 大きな串に刺された羊が焙られている。ぽたぽたと脂が落ち、じゅっと香ばしい匂いが立った。
 草原の戦士は、商人たちをじろりと見ただけで、何事もなかったかのように焼けた部分を小刀で切り取り、岩塩を惜しげもなく振っては口に運ぶ。
 トゥーリもざっくりと大きな塊を切り取った。
「何用か?」
 羨ましそうな商人たちを横目で眺めながら、彼は面倒くさそうに問い、肉に食いついた。
 こくりと生唾を飲む音がした。
 ヤロシュは顔を歪め、溜息をついた。
「シークは酷いですよ。壁の中は、食べる物も粗末で……塩を売ってくださらないから、死人まで出ているというのに……毎晩、宴会ですか!」
 訴えの最後は怒鳴り声だった。
 トゥーリは怯むでもなく、涼しい顔で応えた。
「そうか。そういや、そなたらはやつれたな。相伴せよ。」
 彼らは唇を噛んだ。立ち尽くしたまま、肉を見つめている。
「遠慮は要らん。座れ。」
 商人たちはお互いを探り合い、ようやく座った。
「誰か切ってやれ。食事の道具を持参しておらんようだ。」
 戦士たちは肉を切り、商人たちに差し出した。だが、受け取ろうとしない。仕方なく、肉は地面の上に置かれた。
 商人たちは顔を歪め肉を睨んでいたが、一人がぱっと掴み上げた。すると、次々に手が伸びた。
 誰もが言葉も発さず、手掴みで砂の付いた肉を頬張った。
 やがて、食べながら涙を流し始めた。
 嬉しいのか、情けないのか、どちらでもあったのだろう。トゥーリは、商人たちが確かに己の手に落ちたと悟った。
(この豪商どもがこうなら、町の者はもっと辛いんだろうな。)
「持って帰って、家族に食わせてやれ。」
 彼はフォントーシュにするように、肉を渡して帰した。
 ヤールや戦士たちは苦笑した。
「べらべらしゃべるわ。しょんぼり帰るわ。」
「駆け引きも何もあったもんじゃない。」
 そう評し、近い内にある変化についてそれぞれ思いを馳せた。


 それから十日。
 再び、ヤロシュが現れた。
 今度は言い淀むこともなかった。町方の長たちで、この数日協議したのだろう。
「尊きシークにご挨拶申し上げます。シークに都の南門を差し上げに参りました。」
と言って、平伏した。
 トゥーリは彼を跨ぎ、側に控えるラザックの宗族のヤールに
「一旗騎乗。」
と言って、自分もさっさと騎乗した。
 ヤロシュは驚き、そして慌てた。
「今から? すぐですか?」
「気が短いんだよ。それに奥さんが待っている。」
 トゥーリは馬上から答え、駆け去った。

 南の城壁の前に、一旗の戦士が集結している。
 トゥーリは右手を挙げ、大門を指さした。人差し指の指環がきらりと、陽光に煌めいた。
「あれが、お前たちのものになる街だ。」
 歓声が轟いた。
 誰かが
「石畳の街なんか要りませんわ!」
と叫ぶと、笑い声が挙がった。
 トゥーリは目を伏せ、小さく笑った。そして、手綱を握り直した。
「そうだな。都を草原に還す。風の神にお返しする。……開門!」

 重々しい音と共に南の大門が開く。
 ラザックの一旗が都の内に駆け入った。



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