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 軍馬の嘶きと蹄の轟き、草原の戦士の挙げる声が突如として起こり、テュールセンの軍勢に襲いかかった。
 にわか作りの馬止めなど、草原の戦士には何の意味もない。次々に飛び越えて行く。
 篝火が倒れ、ぱっと炎が散った。炎は枯れた草に燃え移り、立ち上がった。
 草原の戦士の恐ろしい形相が炎に照らされた。突然の攻撃を受け、惑い怯える兵たちが恐慌に陥る様子も、赤々と照らし出された。
 彼らが解体して荷駄に積み、ラザックシュタールから後生大事に引いてきた破城槌や投石器にも火が移った。
 トゥーリが軍勢を当てた洋梨の腹の部分は、みるみる形を崩した。

 一塊になった騎兵があった。草原の戦士たちに包囲され、防戦一方である。その間に、立派な武装の将らしき者の姿が垣間見えた。
 テュールセンのレーヴェである。一旦、ひくつもりなのだろう。
 トゥーリは猛る馬に輪を描かせ、剣先でレーヴェを指した。
「テュールセンのレーヴェ・デジューセン!」
 レーヴェは振り返り、睨んだ。凄まじい怒りが瞳に燃えている。
「アナトゥール!」
 レーヴェはぎりぎりと唇を噛んだ。
「そうだよな。お前なくして、草原のど真ん中で、ラザックが動くわけがないのだ。」
と大声で怒鳴った。
「そうでもない。お前は、ここまでラザックに追われて来たんだろう? ……ヴィーリに、死んだヴィーリに追われて、ここまで敗走してきたんだ!」
 トゥーリが怒鳴り返すと、レーヴェは少し怯んだ様子を見せたが、周りの騎兵を下がらせた。
 雌雄を決するつもりなのだ。
 もうもうと炎が上がり、黒煙が風にたなびいている。
「ここでは、ちょっと煙いな。」
 トゥーリは苦笑した。
 レーヴェは憎々しげに
「ここでいい。お前の火葬にいいたろう。」
と言った。
「草原に火葬はないぞ? 鳥葬か土葬なんだ。」
 レーヴェはそれには答えずに
「散れ! 散れ!」
と周りに怒鳴った。
 だが、全員が闘ったり、逃げ惑ったりしているのだ。場所は直ぐには出来ない。レーヴェは苛々と見回し、また怒鳴った。
「殺されたいか! 退け!」
 トゥーリは、その言い様にうんざりした。
「大勢連れて来るからだよ。いつ出た?」
 レーヴェは周りを逃げ惑う兵を剣の柄で殴りつけながら
「お前の娘の生まれて死んだ日のしばらく後だ。腰抜けのお前が娘を偲んで、さめざめ泣いていた頃さ!」
と嘲った。
「まったくだよ。泣き沈んで、こんな大軍勢が出たとは気づかなかった。」
「戯れを申すな!」
(本当のことを言っただけだろ。いつもレーヴェは怒るんだよね。)
 それを言って、更に怒らせても仕方ない。何より、それ以上に怒る余裕もなさそうだ。
「退かんか!」
 レーヴェは怒鳴っては、敵味方構わず近寄る者に剣を振り回した。当てられた不運な兵が倒れた。
 トゥーリは顔を顰めた。
(気の毒な兵が出ないうちにやるか……)
「頭同士で一騎討ちなんだろう? ……そろそろこの習慣、止さないかね? 俺に負担が重い。お前もか。」
 彼は怒鳴り散らすレーヴェに笑いかけた。真っ赤になったレーヴェが答える前に、ヤールが
「まだ止めませんわ。百年生まれるのが早かったですね。」
と言って、にっと笑った。

 二人は向き合った。
 レーヴェは鬼のような形相で、直ぐにでも斬りかかりそうだ。トゥーリは片手を挙げ、語り掛けた。
「ヴィーリの最期を聞かせてくれるか? 冥途の土産にね。」
 レーヴェは、トゥーリの声色に哀しみを感じ取った。彼は育ちが良い分、情けを掛けることは知っていた。
「そうだな。戦の常だが……話してやる。」
 レーヴェは育ちがいい分、情けを掛けることは知っていた。
 トゥーリは、彼の短い話と、ヤールたちから聞いた話を合わせて、ヴィーリの最期を思い浮かべた。

 レーヴェはトゥーリの思った通り、東の山脈のふもとを進み草原を南下した。
 ヴィーリはたまたま、ラザックシュタールの北東の“ニガヨモギの丘のラザック”と呼ばれる氏族の許にいた。それは、恋人のナディーシャの氏族だった。
 レーヴェの軍勢の来るのを知り、武装していた。だが、加勢できたのは、ほんの近くの氏族だけだった。
「ラザックシュタールへ進攻させては、絶対にならん!」
 ヴィーリはそう厳しく命じて、戦闘に赴いた。
 自分の何倍もの軍勢の前に、彼らはよく戦った。
 その激しい抵抗に、レーヴェの軍勢は引きにかかった。
 彼は気を緩めたわけではなかった。
 咳病の彼の身体は、激しい戦闘という負担に悲鳴を挙げた。彼は馬上で激しく咳き込んだ。
 レーヴェはそれを見逃さなかった。射手に命じて、矢を射かけた。
 矢が何本もヴィーリの背に刺さった。落馬しかけた彼を馬回りの戦士が支えたが、既に落命していた。
 ラザックの戦士は彼を十重二十重に巻き、退却した。
 その後、レーヴェは一路にラザックシュタールへ向かった。
 レーヴェは守りの厚い大門を避け、一番東の塩の山のある辺りから、投石器を使った。
 城壁の上から矢の雨が降りかかったが、石が城壁の上の塔のいくつかを破壊した。
 高い城壁を越えて、石が幾らか中に投げ込まれた。
 大石が尽き、死馬や遺骸も投げ込まれた。
 破城槌が何度も城門に打ちつけられた。
 しかし、城壁は固かった。破城槌目がけて油が降り注がれ、火矢が飛んだ。
 攻城に手こずり、襲いかかるラザックの軍勢に手こずりし、とうとうレーヴェは敗走した。


 咳き込んだヴィーリに矢を放ったと聞いた時だけ、トゥーリはぎらりと瞳を光らせたが、全部静かに聞いた。

“兄上がお帰りになるちょっと前かな、風がひどく吹いて急に寒くなった日に少し。”
“お前が赤ん坊の時、隣で寝ていると夜中にお前の胸の音 でよく目が覚めたよ。ひどく苦しげで、俺はお前が死んでしまうのではないかと怖かった。”

(この度、俺が帰るちょっと前にやっぱり咳が出たか。本当に死んでしまうとは……)
と悔しかった。

“兄さま、ラザックシュタールへ帰ろうよ。お褥で眠りたい。”
“誇り高きラザックの一員とは思えん言い草だな。お前、ラザックのところで天幕暮らしできないのか? ”

(街など……ラザックシュタールの街を取られたら、代わりに都に入るまでだろ、ヴィーリ。それに、元々放浪暮らしじゃないか? 街などいらない。馬鹿だな……)
 彼はかつて話したことを思い出し、死んだヴィーリに語りかけた。

 話し終わったレーヴェは、トゥーリに尋ねかけた。
「どうだ?」
 レーヴェの感情が少し揺れた。咳き込んだところを射たのを、彼も恥だと思っていたのだ。
「戦の常だな……」
 トゥーリが答えると、レーヴェは長い溜息をついた。
「そういうことだ。」
「ヴィーリの守ろうとしたラザックシュタールを守るかな。」
 ひっそりとトゥーリは呟いた。
 聞こえたのか、そうではないのか、レーヴェは
「始めるぞ!」
と大声で言い、馬の腹を蹴った。

 トゥーリは抜き身を背負って駆け寄り、打ち下ろした。剣の合わさる固い音が響いた。
 駆け抜けて、馬首を返した。
 レーヴェは馬を返すのに遅れた。トゥーリはすぐ側に駆け寄り、打ちかかった。レーヴェは馬を足踏みさせながら受けた。
 トゥーリの剣が、レーヴェの小手を掠めた。
 レーヴェは堪らず剣を取り落し、慌てて鞍に下げていた二本目の剣を抜こうとした。だが、鞘から抜けない。
 一番寒い季節が近づき、冷たい風が吹き渡る草原の、夜闇の下りて更に冷え込んだ中、剣の鞘と刀身が凍りついていたのだ。
 草原の戦士なり、冬戦に慣れた者ならば、剣は羊毛や毛皮で巻いておくのだが、冬場に戦をしたことのないレーヴェはそうしていなかった。
 ずっと長い間、冬場の戦はテュールセンには振られず、シークの草原の軍勢に回されていた。辛い戦場を外様に任せてきたつけである。
 レーヴェはもどかしげに鞘ごと振り上げて、トゥーリと闘った。
 やがて剣が抜けた。レーヴェは鞘を投げ捨てると、恐ろしい形相で打ちかかった。トゥーリに好きなように剣を下ろされて、激昂していたのだろう、先程にも増して激しい勢いだった。
 “膾に刻んでやる”と口癖のように言うレーヴェは、それが口だけではないことを証明した。
 二人は馬を寄せ合い、互いの息遣いが聞こえるほど近く縺れて、打ち合った。
 突然、レーヴェが逃げた。逃げながら、味方に向かって叫んだ。
「来い!」
 矢が風を切った。飛んできた矢が二本、トゥーリの馬の首に刺さった。
 馬は苦しげに嘶き、どうっと倒れた。脚を掻いている。トゥーリはすぐさま立ち上がり、剣を両手で持って身構えた。
(さて、騎馬相手に徒歩(かち)でどれだけ頑張れるか……?)
 馬上から振り下ろされる勢いは強かった。腕まで痺れた。
 何合か打ち合うと、トゥーリは自分の能力では不利すぎると感じた。だが、諦める気はない。
(防げなければ……それまでのこと!)
 猛然とした攻めに、受ける度後ずさりさせられる。数歩下がったところで、彼は倒れている馬に足を取られ、馬体の向こうへ尻もちをついた。
「もらった!」
 レーヴェが叫んだ。

 その時、苦しい息を吐いていたトゥーリの馬が首を起こした。
 勢いのついた首が、レーヴェの馬の胸元にぶつかった。レーヴェは、よろめく馬から落ちた。
 暁霞と名づけられたラディーンの軍馬に、トゥーリはすくい上げられるように乗り上がった。暁霞は忽ち、レーヴェから逃げ出した。
「おいおい! 逃げるな!」
 ところが、動転した暁霞は言うことをきかない。
 トゥーリは手綱を引くのを止めた。
「アナトゥール! 逃げるか! それでもシークか!」
 落馬したレーヴェが叫んでいる。
 トゥーリは弓を取り、走らせながら振り向きでレーヴェを狙った。
 一射。二射。四射目で、レーヴェに命中した。
 暁霞は苦しそうに血の泡を吹いていた。
「もういい。もういいよ、暁霞……」
 彼は力一杯手綱を引いた。
 暁霞は彼が下馬するのを見届けて、また倒れた。脚を掻く動きが、先程とは各段に弱々しかった。
 彼は鞍に下げた“ジークルーン”を外し、ラザックの戦士が巻き込む中、レーヴェに歩み寄った。
 矢が胸元に刺さっている。浅い息を吐き、目を見開いて、彼を睨んでいる。
「これでもシークだ。お前がテュールセンの公爵であるようにな。」
 レーヴェは顔を歪めた。笑おうとしたように見えた。
 トゥーリは牛刀を抜き、首を切り裂いた。
(弓だけは……いつも左に逸れる癖が功を奏した。ヴィーリをなぞったような最期……)
 可愛がってくれたデジューの長子、親友のリュイスとヴィクトアールの兄を殺した重みが、心にのしかかった。
 だが、周りではまだ戦闘が続いている。感傷に浸っている暇はない。
 レーヴェの左耳からテュールセンの耳飾りを取り、耳を切り落とした。

「シーク!」
 ラザックの戦士が、誰のものなのか判らない馬の手綱を、トゥーリに投げて寄こした。
 彼は騎乗すると
「引き潮! 南へ引き潮!」
と怒鳴った。

 レーヴェの軍勢は、引いていくトゥーリの軍勢の殿に喰いついた。激しい攻撃だったが、殿はうまく防御した。
 トゥーリの小振りな軍勢は敵を引き離し、南へ駆け去った。



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