約束の地
3
トゥーリはラザックシュタールへ向けて遣いを出し、街を守って戦った氏族に北上を伝えさせた。
街を守ったのは、ごく近くに宿営している宗族とその近縁の氏族である。謂わば、母体となる大集団だ。
そうして、彼は三旗を連れ、北上してくる一団を待った。
これまでの間に通過した草原は、レーヴェの軍勢の引いていた重い荷駄の所為で草が剥がれ、土が剥き出しになっていた。荒れた草原を見て、トゥーリは胸が痛んだ。戦士たちも同じだった。
都の者には、作物の作れないただ広い野原に過ぎないのだろうが、草原の民にとっては、家畜を育む緑滴る豊かな大地なのだ。皆一様に荒らした者に対して、静かな怒りを燃やした。
二つの集団が一つになるのに、長くはかからなかった。
お互いを認めると、早速宗族のヤールが駆けて来た。下馬し
「尊きシークにご挨拶申し上げます。」
と言って平伏した。
トゥーリも下馬し、形通りに受けた。
彼はまず、ラザックシュタールを落城させることなく守った功を称えた。戦士たちは鞍を叩いて応じた。
だが、皆の表情は何処か冴えない。
彼はその憂いの理由を知っている。
「弟・ヴィーリは、必ずしも頑健ではない身体をもって勇敢に闘った。武運つき命を失ったが、天帝の宴でもてなされるに足る戦士であった。彼の為に盃を上げようではないか!」
賛同の声が轟いた。皆、馬上杯を上げ、ヴィーリの為に酒を天に弾いた。
ヤールは更に側近くに寄った。
「深く哀悼いたします。ご舎弟の分までもシークのお役に立つ所存であります。」
と静かに決意を述べた。
トゥーリは深く頷き返した。
「ところで、ヴィーリの遺骸は?」
「“ニガヨモギの丘”に埋葬いたしました。」
「ナディーシャの側か……よかった。」
ヤールは辛そうに
「さようですね……」
と応えた。
ヴィーリの愛した娘は今後、別な男に嫁ぐかもしれない。だが、忘れないでいてくれるようにと、トゥーリは密かに祈った。
ヤールは街の様子を細かに報告した。
「石がラザックシュタールに少し投げ込まれました。それから、東の城壁の表面が少し崩されました。」
彼の口調はさほど申し訳なさそうでもない。あっさりしていた。
草原の民にとって、街は重要極まりないというわけでもないのだ。
だが、トゥーリは領主であるから、領民の心配はしている。
「どの辺りに落ちたのかな?」
「さあ……よくは知りません。我々は壁の外で戦っておりましたから。深くまでは届かなかったと思います。」
ヤールはそこで言葉を切り、少しだけ考え込んだ。
「お屋敷の辺りかな? 川の北側は少しやられたかもしれない。ですが、大部分の街の衆は川の南側が住処ですから、大して死人も出なかったでしょう。」
「北の住人は概ね、南の街に逃れたか。」
ヤールは頷いた。
「それから、東門の扉は相当やられました。」
「そう。終わったら、更に頑丈なものにしよう。」
ラザックシュタールの街の話は、それで終わりだ。もう攻められることはないのだ。
レーヴェを失ったテュールセンの軍勢は、今現在も草原のいずこかで攻撃されているだろう。帰還できる保証はない。
諸侯がみすみす同じ轍を踏むであろう場所に、自分たちの兵を差し向けるはずもない。その上、レーヴェが南下した時とは状況も違い、草原は全域で武装しているのだ。
ラディーナでは、どの氏族の村も戦士は出陣しており、最低限の守りの人数が残っているのみである。
しかし、何事の面倒は起こっておらず、この重要な大戦の行く末を見守り支えようとする意気だった。
その北へ出ると、もうもうと黒煙が立っているのが望めた。
冷静なヤールですら目を見張った。
「あれは……酷いな。ラディーンの仕事ですかな?」
「そう。ずらりと並んだ伯爵領は全て襲った。都への一方だけを開けてね。」
「伯爵さまは皆さま、都へお逃げになったというわけですね?」
そう言って、ヤールは苦笑した。
トゥーリはきらりと瞳を光らせ
「皆ではないだろう。領地でのうのうとしていた“元気な方”の伯爵は逃げていない。ラディーンは、どの殿さまの耳飾りを見せてくれるかな?」
と答えてにっと笑った。
伯爵たちは西からラディーンに追われ、北に逃げようにも、周到に北に回っていた別働に跳ね返された。開いているのは東の方角、都の方向しかなかった。
命令通り全ての伯爵領を襲ったラディーンは、今や都をぐるりと囲っていた。
西の地方の城が焼かれ、田畑は蹄に荒らされ、領主が惨殺されたという話は、他の地方にも伝わった。
当初、他の諸侯は、草原に集結しているラザックの軍勢を恐れたが、兵に守りを固めさせ城に籠るだけに留めていた。
だが、噂が広まると、彼らは戦慄した。集結している草原の軍勢は、西を攻めているラディーンに倍する。皆、都へ避難し始めた。
ラザックの軍勢に気づいたラディーンのヤールは、自らが出迎えに赴いた。
「“小さいシーク”! ラザックの! どうです? この素晴らしいラディーンの成果!」
ヤールは晴れ晴れとして、実に嬉しそうだった。
(まったく……どこか欠落しているね……)
トゥーリは呆れ半分だったが、命じた通りに成しているのだ。見過ごすことにした。
「大儀。伯爵どもは全員領地にいたのかな?」
「最初のお人は都におったようですな。出ばなをくじかれた気分でしたが、その分は次のお方に贖って頂きました。東へ向かって順々に。……二人、耳を落としました。後は都へ追い払った。それから……」
ヤールは堪えきれずに笑い出した。言葉を継ごうとするも、可笑しくてならない様子で話が続かない。
トゥーリにはそのわけが解っている。敢えて尋ねるまでもないことだ。戦死した者が誰かだけが知りたかった。
「誰? 耳を落とされたのは。」
「アランドラさまとセクサルドさま。それでね……」
アランドラの伯爵は、奥方を殴りまわす男だ。セクサルドの主は、己の贅沢の為だけに領民に高い税を課して苦しめ、省みもしない男である。それを想えば、非業の死は天罰と思えなくもない。
トゥーリは、相応しい者を斃したのだと思うように努めた。
「そうか。ご苦労。」
話は終わりだという風を決めた。
「ちょっと、シーク。最後までお聞きくださいませよ。」
そう言いながらも、ヤールは笑ってばかりで話が始まらない。
「後は皆、思惑通りに都に逃げ込んだんだろ? さっき聞いた。」
「ええ。ええ! ちゃんと仰せの通りになっておりますよ! でね……」
ヤールは話したくて仕方がないようだ。
だが、トゥーリは驚くとでも思っているのかと、横目で睨み
「宮宰の荘園を地上から消滅させたんだろうが!」
と怒鳴った。
「あら……ようご存知。ご覧になっていたの? ……その通り。宿願が叶い、これ以上の幸せはありませんよ!」
ヤールはからから笑った。
宮宰の兵がラディーナで長年に渡って行ってきた数々の狼藉は、皆の知るところである。相当な煮え湯を飲まされてきたことも想像に難くない。
だが、ヤールのこの喜びようだ。宿願の達成に我を忘れて、必要以上のことをしでかしたのではないかと、トゥーリは心配になった。
「まさか、民百姓まで殺しまわったのか?」
厳しく質され、ヤールは肩を竦めた。
「そんなことをしたら、奴らと同じに成り下がるではありませんか! しませんよ。最低限の名誉は忘れない。まあ……鋤鍬振りかざして向かってくる百姓は殺りましたけど……」
と正直に答えて、トゥーリが怒り出すかを窺った。
応戦する者と闘い、殺したことまでは責められない。トゥーリは溜息をついた。
「狂犬ぶりを発揮してないでいてくれて安堵したよ。ありがとう。」
皮肉たっぷりに応えたが、ヤールは解らないのか知らぬふりをしているだけなのか、満足そうに頷いていた。
遠望する都は固く閉じている。
最初こそ壁を出て反撃してきたが、幾度かの戦闘を経て撃退できないと判り、籠城を決め込んだのだ。
「攻めるんですか?」
ラザックのヤールは表情を引き締め、答えを待った。
すると、トゥーリが答える前に、ラディーンのヤールが口を挟んだ。
「攻めるんでしょ? 攻めるんでしょう?」
トゥーリはラディーンのヤールを小突いた。
「まだし足りんのか! 今から渋い戦をするんだよ! 囲み続ける。」
ラザックのヤールは首を垂れ、うっそりと
「かしこまりました。」
と言ったが、ラディーンのヤールは不満そうだ。
トゥーリはにやりと笑った。
「何だ、ラディーン? ……ああ、そうか! ラディーンは囲みは出来んのだな。そうか、そうか。出来んのか。まあ、誰にでも苦手とするところはある。恥じ入らんでもよろしい。」
途端にラディーンのヤールは
「出来ますわ!」
と大声を出した。
そして、早速に自分の手下に命令を怒鳴っている。
トゥーリとラザックのヤールは顔を合わせて苦笑した。
トゥーリは城壁を睨んだ。
(さあ、もうすぐ……かな? ま、永遠にではない。待っていろ。)
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