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 最初こそ二人は、都から早く離れたくて疾走させたが、途中からその向きにない馬を慮り、徐々に足を緩めた。小刻みに休憩させ、常歩で昼夜進んだ。
 ラディーナに到達したのは、明け染める頃だった。
 朝靄の去りゆく天幕の間に、ちらほらと人の動くのが見えた。起き出した奴婢のようだ。
 草原の村に向け、トゥーリは馬上から大声で叫んだ。
「ラディーン全旗武装!」
 人々は驚いて、慌てて天幕に入っていった。
 程なく、天幕から男たちが出てきた。既に武装している。
 ヤールもやはり武装して現れた。いつものように平伏し
「お早いお着きですな。尊きシークに……」
と言いかけたのを、トゥーリは遮った。
「いいから! とにかく早く使いを出せ!」
 ヤールが控えることはなかった。
 彼は、草原の伝令は勿論、隊商や旅人のもたらす話から、都で起きた事も、ヴィーリがテュールセンの軍勢と戦闘の末死亡した事も知っていた。
「今日ばかりは、申し上げなくてはいけないことがある。……ヴィーリさまのこと、お悔やみ申し上げる。」
 沈痛な表情でそう言い、深々とお辞儀をした。
 それについては、トゥーリも制止できない。静かに頷き返した。
「うん……あいつが戦の野に果てるとは思わなんだ。感無量だ。後は俺が引き継ぐ。」
「はい……。で、武装のご命令ですが、ラディーンは四六時中武装しています。色々ありますからなあ。それについては、ご命令は要りませんよ。一言の手間が省けたわけです。……武装命令の次はいかがいたしましょうか?」
 ヤールはにっと笑いかけた。
 トゥーリは拍子抜けしたが、好都合である。
「ラディーナの北と西に集結させろ。」
 ヤールは怪訝な顔をした。全旗で南へ向かい、ラザックシュタールを争うのだと思っていたのだ。
「テュールセンを追うのでは?」
 トゥーリは首を振った。
「ラディーナの北側には、キャメロンとの境・西の河から東に向かって、都の側まで。ずらりと伯爵どもの領地が並んでおる。それを西から順に襲え。」
 ヤールは考え込んでいる。
「どうした? できんのか!」
「そうではありません。シークのご命令に従わないなど有り得ない。ただ、西から? 東からではなりませんか?」
 ヤールはにやにや笑っている。
 その言葉の意図が、トゥーリには解り過ぎるほど解った。並んだ貴族たちの領地の一番東は、宮宰のもののひとつだ。ラディーンは、仇敵の宮宰のところから攻めたいのだ。
「ならん。東から行ったら、伯爵どもがキャメロンに亡命するかもしれん。」
「いいじゃないですか? 逃げたいやつは逃げれば。」
 ヤールは不満そうに口を尖らせている。
 トゥーリには素振りだけだと判っていたが、今回はゆっくり不満を聞いている暇はない。怒鳴りつけた。
「愚か者! キャメロンの王さまが唆されて、色気を出したらどうする。西から東に攻めるのはな、キャメロンの王さまに対する宣言だ。国境から西には入りませんということだよ。」
 すると、ヤールはほうっと溜息をつき
「ま、わかっていましたけどね。奇蹟のように、東からでもいいと仰るかと……」
と言って、にっと笑いかけた。
「わかっているのなら黙っておけ。今日ばかりは苛立ったぞ。」
 ヤールは陽気な笑い声を挙げ、トゥーリの肩を叩いた。
 そして、声を顰め尋ねた。
「伯爵さまたちはどうしたらよい?」
 トゥーリはきらりと瞳を光らせた。ヤールを見、集まり始めた戦士たちを眺めて宣言した。
「東に逃げ込ませる。」
「それでは……何だか乱すだけですなあ。」
 ヤールはがっかりした様子だ。戦士たちも訝しげに顔を見合わせている。

 トゥーリはヤールをじっと見つめた。含みのある視線だった。ヤールは厳しい顔になり言葉を待った。
「伯爵どもは最後に何処へ逃げ込むと思うか?」
 ヤールの表情が輝いた。
「久しぶりの大戦(おおいくさ)ですなあ。」
 そして、もう一度伯爵たちの処遇を尋ねた。
「刃向えば耳を落とせ。西からおっとり東に燻り出すんだぞ? 隣の伯爵が慌てて東に逃げれば、耳がついたままの伯爵が増える。」
 ヤールはいかにも嬉しそに頷いた。
 戦士たちも晴れ晴れとした様子だ。
「嗚呼、嬉しい。」
「こういうのを待っておったのです。」
「で、シークは西? 北?」
「西ですよね!」
「久しぶりにやる気が漲るなあ。」
 それが奮い立たせる為のはったりだと解っていても、トゥーリは剥き出しの戦意に辟易した。
「テュールセンを追いかけるの、我慢してくれてありがとう。」
 皆がどっと笑った。
 だが、調子にのって、やりすぎては適わない。彼は釘を刺した。
「あまり無暗に斬って歩くなよ?」
 皆、納得して頷いた。
「俺はこのまま一番近いラザックの許へ行く。そこで三旗召集する。」
 すると、皆は目を丸くし騒めいた。
「えっ? ラディーンがシークのお側ではないのですか?」
「ラザックと一緒に行く。何か? 不満そうだな。テュールセンを忘れておらんか?」
「テュールセンはラザックに任せればいい。“金髪のアナトゥール”さまのお供をしたのだから、大戦はラディーンがお供ですよ?」
「だから! 今回はラザックの番だろ? “黒髪のアナトゥール”のお供はラザック! ……ヴィーリのこと、俺に何もさせぬ気か?」
 すると、皆はようやく諦め
「かしこまりました。」
と頭を下げた。

 トゥーリは百姓馬から下りた。彼は幾つかの氏族の許に、何頭か持ち馬を預けており、ここにもいるはずだった。
「それから、俺の馬。ここにはどいつがいる?」
「暁霞。」
 それは俊足のラディーンの軍馬であるが、気性に難があった。それでも、あれこれ文句を言っている場合ではない。
「武装がない。用意してくれ。」
 ヤールは頷き、戦士のひとりに目配せした。
 その戦士の天幕には、老人がひとり待っていた。
 老人は座っていた櫃の上から立ち上がり、トゥーリに両手を差し出した。
 瞳が白く濁っていた。
 トゥーリが手を取ると、すっと膝をついて小声で挨拶を唱えた。
「白そこひを患いました。御前でのお役には立てません。お恥ずかしい次第。私の代わりに、あれをお役立てください。」
と言って、櫃を指した。
 中には、老人の武具が入っていた。古い物だが、良い品だった。手入れもされており申し分がない。
「よく養生せよ。」
「かたじけなく存じます。」
 トゥーリは武装を整え、騎乗した。
(嗚呼、これで格好がつくというもの……待っておれ……!)
「頼んだよ! 戦にのめりこみすぎるな!」
 彼はヤールに念押しし、近習と一緒に駆け去った。

 最初に出遭ったラザックの氏族に、近辺の氏族と共に都の東側に逼る山に伏せ、東の地方に領地のある諸侯を留めるように言いつけた。
 次に出遭った氏族には、ラディーンの攻めている間、その南側をぎっちりと後詰しておくように申し伝えた。
 また、四方八方に使いを出させ、武装待機を伝えさせた。
 ヤールたちはそれぞれ、テュールセンの軍勢の情報を時系列に伝えた。

 国の東端を形作る南北に横たわる東の山並み。それを望む麓の宿営地で、トゥーリは歩を止めた。
 その氏族のヤールは、最新のテュールセンの軍勢の動きを伝えた。ラザックシュタールの攻略を諦めて北上しているとのことだった。
「やがて、テュールセンの軍勢が戻って来るだろう。」
 三旗集めるように命じると、ヤールは怪訝な顔をした。
「テュールセンさまの軍勢は多かった。三旗でよろしいのか?」
 トゥーリには、大軍勢をぶつけ合って戦うつもりはなかった。目が行き届き、小回りの利く数で充分であり、今回考えていることにはそうでなくてはならないのだ。
「いいんだよ。」
とだけ告げた。
 ヤールはそれ以上尋ねなかった。
「承知いたしました。」

 三旗の軍勢が草原を南下した。ラザックシュタールまでの半分ほど距離を進んだ。
「シーク。そろそろ半分来ましたが、いかがなさる?」
 目当てのテュールセンの軍勢は未だ気配すらない。
 彼らの動きの遅さは、おそらく大荷物を抱えているからだろうと、トゥーリは見当をつけた。その荷物とは、ラザックシュタールを攻める為の破城槌や投石機である。
 また、できるだけ南下する方が好ましくもある。
「もう半分ほどラザックシュタールに寄せる。テュールセンの軍勢は、工兵を連れていただろう? 足が遅い。」
「はい。」

 もう半分に近づく頃には陽が陰り始めていた。トゥーリは斥候を出した。
 彼らは、一時ほどで駆け戻って来た。
「どうか?」
 斥候に深刻な様子はない。
「ここからすぐ先のあの丘、あの丘の向こうで、今日は足を止めるようですな。馬止めなど……」
と言って、失笑した。
「そうか。大物見に出る。来い。」
 彼の後に五騎が従った。

 斥候の指さした丘、と言ってもひとつだけぽつんとあるわけではなく、いくつか連なった丘陵である。その手前のひとつに登り先を見渡すと、テュールセンのレーヴェの軍勢がいた。
 軍勢はこっちりと小さく、不格好に崩れた洋梨型に固まっていた。
 聞いた通り、そこで夜営をするらしい。篝火を焚いている。兵士たちが動き回っているのが見て取れた。夕餉の用意をしている様子だ。
 大きな材木が載った荷駄が幾つもあった。
「我らの十倍くらいですな。」
 連れてきた一人が囁いた。特段慌てる風でもなく、あっさりとした口調である。
「その内工兵が、十に分けて三くらいですかなあ。」
ともう一人が言った。
「まあ、一人頭八人も斃せば全滅ですわ。」
 別の一人が言うと、五騎とも笑った。
 トゥーリはじっくり眺め、やがて苦笑した。
「大袈裟な篝火だ。馬止めか……馬止めなのか、あれは?」
 また五騎とも笑った。
「あの形ではレーヴェが何処にいるか、すっかり判るよ。」
 彼はそう呟くと、五騎を促して去った。

 トゥーリは早速、戦士たちに糧食を軽く取らせた。
 鎧の札が煌めかないように外套を羽織らせ、馬の蹄を覆わせ、更には馬の口に(ばい)を噛ませるように命令した。
 そして、夜闇が下りると直ぐに丘に出発した。
 鞭も当ててはならないと言いつけ、粛々と進んだ。
 眼下のテュールセンの軍勢は篝火を盛んに焚き、やはり固まっている。
「あれだけ篝火があれば、火矢も要らんかもしれんな。」
 馬周りが忍び笑いを漏らした。
 蹄の布が外された。
「ここから風のように駆け下りる。あれは怯えた羊の群れだ。ただし、深入りするな。あの梨の太い方、横っ面に当てるだけでいい。」
 やがて、命令が行き渡ったと報告を受けると、彼は長く一呼吸した。
「馬の口を自由にさせていいぞ。」
と言い、右手を挙げた。
「取りかかれ!」

 ラザックの戦士たちが、雪崩をうって駆け下りた。




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