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約束の地
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1
最初こそ二人は、都から早く離れたくて疾走させたが、途中からその向きにない馬を慮り、徐々に足を緩めた。小刻みに休憩させ、常歩で昼夜進んだ。
ラディーナに到達したのは、明け染める頃だった。
朝靄の去りゆく天幕の間に、ちらほらと人の動くのが見えた。起き出した奴婢のようだ。
草原の村に向け、トゥーリは馬上から大声で叫んだ。
「ラディーン全旗武装!」
人々は驚いて、慌てて天幕に入っていった。
程なく、天幕から男たちが出てきた。既に武装している。
ヤールもやはり武装して現れた。いつものように平伏し
「お早いお着きですな。尊きシークに……」
と言いかけたのを、トゥーリは遮った。
「いいから! とにかく早く使いを出せ!」
ヤールが控えることはなかった。
彼は、草原の伝令は勿論、隊商や旅人のもたらす話から、都で起きた事も、ヴィーリがテュールセンの軍勢と戦闘の末死亡した事も知っていた。
「今日ばかりは、申し上げなくてはいけないことがある。……ヴィーリさまのこと、お悔やみ申し上げる。」
沈痛な表情でそう言い、深々とお辞儀をした。
それについては、トゥーリも制止できない。静かに頷き返した。
「うん……あいつが戦の野に果てるとは思わなんだ。感無量だ。後は俺が引き継ぐ。」
「はい……。で、武装のご命令ですが、ラディーンは四六時中武装しています。色々ありますからなあ。それについては、ご命令は要りませんよ。一言の手間が省けたわけです。……武装命令の次はいかがいたしましょうか?」
ヤールはにっと笑いかけた。
トゥーリは拍子抜けしたが、好都合である。
「ラディーナの北と西に集結させろ。」
ヤールは怪訝な顔をした。全旗で南へ向かい、ラザックシュタールを争うのだと思っていたのだ。
「テュールセンを追うのでは?」
トゥーリは首を振った。
「ラディーナの北側には、キャメロンとの境・西の河から東に向かって、都の側まで。ずらりと伯爵どもの領地が並んでおる。それを西から順に襲え。」
ヤールは考え込んでいる。
「どうした? できんのか!」
「そうではありません。シークのご命令に従わないなど有り得ない。ただ、西から? 東からではなりませんか?」
ヤールはにやにや笑っている。
その言葉の意図が、トゥーリには解り過ぎるほど解った。並んだ貴族たちの領地の一番東は、宮宰のもののひとつだ。ラディーンは、仇敵の宮宰のところから攻めたいのだ。
「ならん。東から行ったら、伯爵どもがキャメロンに亡命するかもしれん。」
「いいじゃないですか? 逃げたいやつは逃げれば。」
ヤールは不満そうに口を尖らせている。
トゥーリには素振りだけだと判っていたが、今回はゆっくり不満を聞いている暇はない。怒鳴りつけた。
「愚か者! キャメロンの王さまが唆されて、色気を出したらどうする。西から東に攻めるのはな、キャメロンの王さまに対する宣言だ。国境から西には入りませんということだよ。」
すると、ヤールはほうっと溜息をつき
「ま、わかっていましたけどね。奇蹟のように、東からでもいいと仰るかと……」
と言って、にっと笑いかけた。
「わかっているのなら黙っておけ。今日ばかりは苛立ったぞ。」
ヤールは陽気な笑い声を挙げ、トゥーリの肩を叩いた。
そして、声を顰め尋ねた。
「伯爵さまたちはどうしたらよい?」
トゥーリはきらりと瞳を光らせた。ヤールを見、集まり始めた戦士たちを眺めて宣言した。
「東に逃げ込ませる。」
「それでは……何だか乱すだけですなあ。」
ヤールはがっかりした様子だ。戦士たちも訝しげに顔を見合わせている。
トゥーリはヤールをじっと見つめた。含みのある視線だった。ヤールは厳しい顔になり言葉を待った。
「伯爵どもは最後に何処へ逃げ込むと思うか?」
ヤールの表情が輝いた。
「久しぶりの
大戦
(
おおいくさ
)
ですなあ。」
そして、もう一度伯爵たちの処遇を尋ねた。
「刃向えば耳を落とせ。西からおっとり東に燻り出すんだぞ? 隣の伯爵が慌てて東に逃げれば、耳がついたままの伯爵が増える。」
ヤールはいかにも嬉しそに頷いた。
戦士たちも晴れ晴れとした様子だ。
「嗚呼、嬉しい。」
「こういうのを待っておったのです。」
「で、シークは西? 北?」
「西ですよね!」
「久しぶりにやる気が漲るなあ。」
それが奮い立たせる為のはったりだと解っていても、トゥーリは剥き出しの戦意に辟易した。
「テュールセンを追いかけるの、我慢してくれてありがとう。」
皆がどっと笑った。
だが、調子にのって、やりすぎては適わない。彼は釘を刺した。
「あまり無暗に斬って歩くなよ?」
皆、納得して頷いた。
「俺はこのまま一番近いラザックの許へ行く。そこで三旗召集する。」
すると、皆は目を丸くし騒めいた。
「えっ? ラディーンがシークのお側ではないのですか?」
「ラザックと一緒に行く。何か? 不満そうだな。テュールセンを忘れておらんか?」
「テュールセンはラザックに任せればいい。“金髪のアナトゥール”さまのお供をしたのだから、大戦はラディーンがお供ですよ?」
「だから! 今回はラザックの番だろ? “黒髪のアナトゥール”のお供はラザック! ……ヴィーリのこと、俺に何もさせぬ気か?」
すると、皆はようやく諦め
「かしこまりました。」
と頭を下げた。
トゥーリは百姓馬から下りた。彼は幾つかの氏族の許に、何頭か持ち馬を預けており、ここにもいるはずだった。
「それから、俺の馬。ここにはどいつがいる?」
「暁霞。」
それは俊足のラディーンの軍馬であるが、気性に難があった。それでも、あれこれ文句を言っている場合ではない。
「武装がない。用意してくれ。」
ヤールは頷き、戦士のひとりに目配せした。
その戦士の天幕には、老人がひとり待っていた。
老人は座っていた櫃の上から立ち上がり、トゥーリに両手を差し出した。
瞳が白く濁っていた。
トゥーリが手を取ると、すっと膝をついて小声で挨拶を唱えた。
「白そこひを患いました。御前でのお役には立てません。お恥ずかしい次第。私の代わりに、あれをお役立てください。」
と言って、櫃を指した。
中には、老人の武具が入っていた。古い物だが、良い品だった。手入れもされており申し分がない。
「よく養生せよ。」
「かたじけなく存じます。」
トゥーリは武装を整え、騎乗した。
(嗚呼、これで格好がつくというもの……待っておれ……!)
「頼んだよ! 戦にのめりこみすぎるな!」
彼はヤールに念押しし、近習と一緒に駆け去った。
最初に出遭ったラザックの氏族に、近辺の氏族と共に都の東側に逼る山に伏せ、東の地方に領地のある諸侯を留めるように言いつけた。
次に出遭った氏族には、ラディーンの攻めている間、その南側をぎっちりと後詰しておくように申し伝えた。
また、四方八方に使いを出させ、武装待機を伝えさせた。
ヤールたちはそれぞれ、テュールセンの軍勢の情報を時系列に伝えた。
国の東端を形作る南北に横たわる東の山並み。それを望む麓の宿営地で、トゥーリは歩を止めた。
その氏族のヤールは、最新のテュールセンの軍勢の動きを伝えた。ラザックシュタールの攻略を諦めて北上しているとのことだった。
「やがて、テュールセンの軍勢が戻って来るだろう。」
三旗集めるように命じると、ヤールは怪訝な顔をした。
「テュールセンさまの軍勢は多かった。三旗でよろしいのか?」
トゥーリには、大軍勢をぶつけ合って戦うつもりはなかった。目が行き届き、小回りの利く数で充分であり、今回考えていることにはそうでなくてはならないのだ。
「いいんだよ。」
とだけ告げた。
ヤールはそれ以上尋ねなかった。
「承知いたしました。」
三旗の軍勢が草原を南下した。ラザックシュタールまでの半分ほど距離を進んだ。
「シーク。そろそろ半分来ましたが、いかがなさる?」
目当てのテュールセンの軍勢は未だ気配すらない。
彼らの動きの遅さは、おそらく大荷物を抱えているからだろうと、トゥーリは見当をつけた。その荷物とは、ラザックシュタールを攻める為の破城槌や投石機である。
また、できるだけ南下する方が好ましくもある。
「もう半分ほどラザックシュタールに寄せる。テュールセンの軍勢は、工兵を連れていただろう? 足が遅い。」
「はい。」
もう半分に近づく頃には陽が陰り始めていた。トゥーリは斥候を出した。
彼らは、一時ほどで駆け戻って来た。
「どうか?」
斥候に深刻な様子はない。
「ここからすぐ先のあの丘、あの丘の向こうで、今日は足を止めるようですな。馬止めなど……」
と言って、失笑した。
「そうか。大物見に出る。来い。」
彼の後に五騎が従った。
斥候の指さした丘、と言ってもひとつだけぽつんとあるわけではなく、いくつか連なった丘陵である。その手前のひとつに登り先を見渡すと、テュールセンのレーヴェの軍勢がいた。
軍勢はこっちりと小さく、不格好に崩れた洋梨型に固まっていた。
聞いた通り、そこで夜営をするらしい。篝火を焚いている。兵士たちが動き回っているのが見て取れた。夕餉の用意をしている様子だ。
大きな材木が載った荷駄が幾つもあった。
「我らの十倍くらいですな。」
連れてきた一人が囁いた。特段慌てる風でもなく、あっさりとした口調である。
「その内工兵が、十に分けて三くらいですかなあ。」
ともう一人が言った。
「まあ、一人頭八人も斃せば全滅ですわ。」
別の一人が言うと、五騎とも笑った。
トゥーリはじっくり眺め、やがて苦笑した。
「大袈裟な篝火だ。馬止めか……馬止めなのか、あれは?」
また五騎とも笑った。
「あの形ではレーヴェが何処にいるか、すっかり判るよ。」
彼はそう呟くと、五騎を促して去った。
トゥーリは早速、戦士たちに糧食を軽く取らせた。
鎧の札が煌めかないように外套を羽織らせ、馬の蹄を覆わせ、更には馬の口に
板
(
ばい
)
を噛ませるように命令した。
そして、夜闇が下りると直ぐに丘に出発した。
鞭も当ててはならないと言いつけ、粛々と進んだ。
眼下のテュールセンの軍勢は篝火を盛んに焚き、やはり固まっている。
「あれだけ篝火があれば、火矢も要らんかもしれんな。」
馬周りが忍び笑いを漏らした。
蹄の布が外された。
「ここから風のように駆け下りる。あれは怯えた羊の群れだ。ただし、深入りするな。あの梨の太い方、横っ面に当てるだけでいい。」
やがて、命令が行き渡ったと報告を受けると、彼は長く一呼吸した。
「馬の口を自由にさせていいぞ。」
と言い、右手を挙げた。
「取りかかれ!」
ラザックの戦士たちが、雪崩をうって駆け下りた。
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