恋
1
宮宰は謹慎を申し付けられていた。穏やかな大公が、今回はひどく怒っている。厳しいお達しを無視して、トゥーリを監視をし続けられない。
無許可で兵を動かすような者を監視して何が悪いのかと、処分に納得がいかなかった。
(あの野郎のせいで!)
鬱憤を漏らす相手は、家臣しかいない。
「先日はいつにも増してくそ生意気で、上席の私に食ってかかった。大人しい男かと思っていたが、やはりローラントの息子。あれが本性だろうよ! あの調子で狂って、私に更なる追い込みをかけるかもしれん。現にラディーンの襲撃を黙認している風だ。何がテュールの思し召しだ。……ふざけるな! 大体、シークなどという大昔の風習をそのまま守っている草原がいかん。頑なな奴らめ。青二才がふんぞり返って!」
怒りをぶちまけても、治まりがつかなかった。
「どうにかならんか? 今度のことを大事にして、草原を取り上げようか?」
家臣は、無理なことを言い出したものだと嘆息し、主を諫めた。
「それはラザックとラディーンが騒ぐでしょう。成りませんよ。」
「全く……草原の奴らはすぐに暴れる。まあ、頭領が凶暴だから仕方ないな。……そなた、何か方策を思いつかないのか?」
家臣は思案顔をしていたが
「あまりいい工夫ではないのですが……」
と言い出した。
「申してみよ。」
「されば……ラザックシュタールさまを別なところに封じるのです。」
「ん……ラザックシュタールさまなどと、私の前では敬称で言わんでもよろしい。むしろ敬称で呼ぶな。」
「では、アナトゥール殿を別なところ、殿さまのご領地のお側の土地に。都の近くなら、近いほどよろしいでしょう。適当な土地に封じるのですよ。ラザックはもとより、ラディーンとも、良からぬ企みのできないようなところにね。監視もそれとなくしやすいでしょう。」
「なるほどな。」
「また、ソラヤさまを都に置けば、よりよろしいかと存じます。」
「いざとなれば、ソラヤを取ってどやしつけるか……」
「さようにございます。」
宮宰は腕を組み、思案顔になった。
「それを成すのは……ちと難しいかもしれぬ。」
家臣の言うように、あまりいい工夫ではない。宮宰もそれはわかっているが、何とか実現させたい気持ちが強い。できないとは言いたくない。
主の想いを察した家臣は的確な助言をした。
「大公さまのお身内に働きかけてはいかがですか? ほれ、大公さまの一番上の叔父さま、ウェンリルの公子さまは、ローラント殿とお仲がよろしゅうなかった。」
「そうであったな。ウェンリルさまは、アナトゥールの初陣の祝いも簡素であった。娘の恨みは本人の息子にまで及ぶか……」
宮宰はにやりと笑った。
家臣は自分の言った計略が優れているとは思えなかったが、主人がするというなら反対することもない。
「まあ、その辺はどうだかわかりかねますが……シークのことは、お好きではないようですな。」
宮宰は早速ウェンリルの公子、ギネウィスの父親に面会し、計略を開帳した。
「この度のことには驚いたが、そなたの話は飛躍しているね。」
予想通り、やんわり拒否された。
ならば、ウェンリルの嫌悪感を刺激すればいい。
「ローラント殿の……」
宮宰は言葉を切り、ウェンリルの表情を窺った。
「うん。ローラント殿がどうした?」
ウェンリルは、“ローラント”という名前に敏感に反応した。一瞬、頬を引き攣らせた。宮宰はそれを見逃さなかった。
「ローラント殿は酷かったですなあ。」
「何が?」
ウェンリルは気持ちを悟られてはいけないと、出来るだけ素っ気なく言った。しかし、酷かったという言葉に、ギネウィスに別れを告げたときのやり方が思い出され、ますます不愉快になっていた。
「ローラント殿は私に挨拶すらしなかった。それどころか、ラディーンをけし掛けるようなことを。早く亡くなられたが、それもテュールの天罰かと思いましたよ。国を乱すようなことをするから。」
宮宰は憎々しげに言った。ウェンリルと同じ気持ちだとすり寄っているつもりだった。
ウェンリルは、宮宰の手に乗るものかと
「滅多なことを言ってはならん。ちゃんと国の為に奉仕はしていたのだから。」
と冷静な答えを返した。
「ええ、勿論そうです。しかし、私としては、生き永らえていたなら、何をしでかしたか恐ろしいですね。」
「つまらんことを。」
「で、息子の方ですよ。父親に似た息子もあったものです。」
またウェンリルの古傷をえぐるような言葉だった。宮宰はギネウィスとトゥーリのことなど露とも知らないが、知らないながら彼の気持ちを的確に乱していた。
「……双子のように似ているな。」
「見た目だけではありませんよ! 今度のこと、お聞き及びでしょう? あの残虐なやり方。父親と同じ。それ以上かもしれん。若いだけあって、抑えが利かないところは、父親よりもわけが悪い。」
ウェンリルには不愉快な思い出のあるトゥーリだが、自分の甥でもある。それを見なければならんと、気を落ち着けた。
「この度一度のことではないか。諸侯の中には、峻烈な裁きをする者も他にたくさんおる。もう少し様子を見なければ何とも言えないよ。それに、今まではずいぶん大人しい男であったではないか?」
「草原の野蛮な血が騒ぐんでしょうよ。これからだんだんそうなる。」
「そなたの思い過ごしだよ。」
「そうなってからでは遅いのです。今時、シークなどと古臭い。草原の兵も、そろそろ我らの手の内に入れなければなりません。」
「雲を掴むような話を考えたものだな!」
ウェンリルは肩を竦めてみせたが、宮宰はその考えを推した。
「雲を掴むには、まず梯子を架けねばなりません。届くものも見上げているだけでは、いつまでたっても届きません。」
「アナトゥール殿を草原から離して縛り付けるのが、その梯子だとでも?」
「さようでございます。」
「愚かなことを……」
「何事も積み重ねです。塵も積もれば、ですよ。」
ウェンリルは実につまらん話だと思った。宮宰の話は現実感も成功の可能性もない。彼にはもう、表向きの政治に関わる意思はない。それ以上に、ローラントやトゥーリの話題に気持ちが耐えられなくなっていた。
「……面白い話だったよ。もういいかね?」
「お考えあれ。」
「わかったよ。」
ウェンリルは、気が済んだだろうという様子で、宮宰を見つめた。
宮宰は丁重に挨拶をして退出した。
元より、すぐに話が通るとは思っていない。今日はここまでで上出来だ。これから揺さぶればいいと考えていた。
一方、トゥーリは禁固を勤め上げ屋敷に帰されたが、登城の許しが出るまで謹慎ということだった。老ヤールに見張られ、屋敷に閉じこもりきりだった。
若い公達が彼の見舞いに訪れた。たいして親しくもないのに馴れ馴れしかった。
「先日はひどく興奮していたように聞いたが、頭は冷えたのか? 監獄は寒かっただろう?」
「いい感じに寒かったよ。」
「ま、監獄で改心するほど可愛らしかったら、あんな騒ぎは起こさないかと思ってね。お前の頭の具合を調べに、医者を連れてきたのだ。」
学堂の知り合いなのだろう、若い学生風の男を連れていた。
「医者? まだ修行中ではないのか? それに、俺は狂ってなどおらん。」
「診察して差し上げます。」
学生はにこにこしている。
「いらん。監獄で頭が冷えて、今は至って清明だ。必要ない。」
「どうだか……監獄慣れしているのでは?」
「俺は、そんなにたくさんの前科はない。」
「俺は一度も前科がないよ?」
「まあまあ。アナトゥールはラディーンのことが……」
「宮宰さまがなあ……」
皆で顔を見合わせては、苦笑している。
「宮宰はどうしている?」
「お屋敷で謹慎中。」
聞いていた通りのことだった。さんざん文句を言い、怒りまくったから、トゥーリには特に思うこともなかった。しかし、彼らの期待していることは何かわかっていた。
彼は近習に振り返り、彼らの期待通りのことを言ってやった。
「では、夜襲をかけよう。おい、都に一番近いラディーンを一旗呼べ。」
「は。」
近習が静かに出ていこうとした。
「ラザック、行かんでもよろしい。冗談だよ。」
トゥーリが止めると、近習は
「なさらんのですか。積年の鬱憤が晴らせると思ったのに……」
と残念そうに、開けかけた扉を閉めた。
「せぬわ!」
若君たちは青くなった。
「草原は恐ろしいな……」
トゥーリは笑いを堪え尋ねた。
「何が?」
「シークの言うことはたちどころに……」
近習は、何を当たり前のことを言うのかと呆れ、思わず口を挟んだ。
「は? 当然ではありませんか。シークのご命令は絶対です。」
「シークの権威を初めて目の当たりにした……」
「ラザックもラディーンも、シークの手足でございますので。」
近習がそう言って軽くお辞儀をすると、一同は黙り込んだ。
彼らは宮廷貴族化しており、シークという草原の絶対的な存在の力を聞いてはいても、実際には知らなかったのだ。
「せっかく娑婆に出てきたのに、もう騒ぎを起こす気はないよ。屋敷から一歩も出ない。出るつもりもない。」
トゥーリがそう言って笑いかけると、やっと皆は安堵し、先程の調子に戻った。
「神妙だなあ。とっくに踏み倒しているのかと。」
「まさか! 今まで通りの行儀のよい貴公子でおらねばならん。」
「よう言うわ。宮廷は誤魔化せても、ここにいる皆は誤魔化せんぞ? 悪魔みたいな行状を知っておる。」
「何を仰っているのかな?」
「何か面白い話は? 女が忍んで来たとか?」
「ない。」
「手紙は届いていないか?」
「ない。」
「 “可哀そうなアナトゥールさま! ”ってな具合のはないか?」
「お前は頭がおかしい。その医学生に診てもらえ。手紙など書いてくる度胸のある女は知らん。辛うじて書くなら、“あんな残酷なことをなさるとは思いませんでした。二度と近寄らないで”くらいだろう?」
「それはね……」
皆は触れていいものか、触れてはいけないのか悩んで、お互いに顔を見合わせた。
「お前らとて、多少はそう思うだろう。思われたついでに、宮宰を……」
「宮宰さまには逆らわない方がいいよ。誰も逆らわないでいるんだ。」
「ロングホーンの戦士の末裔とは思えん言い草だな。情けない。俺は、事あらばやり合うぞ。」
そういうことを言うから、野蛮なラザックと陰口を言われるのだが、ラザックやラディーンは逆にそう思っている。そのまま言うと、また彼らは慌て出した。
「またそんなことを! さっき、騒ぎは起こさないと言っただろ? 今度勝手に軍勢を動かしたら、それこそ禁軍が草原に向かう。首が胴体から離れるかもしれないよ?」
「俺の軍勢は勝つまで引かん。」
「テュールセンさまと殺し合いがしたいのか? お前のことを可愛がってくれただろう?」
「そうだな。気が進まないが、テュールの思し召しがそうなら仕方がない。」
一同は途方に暮れた様子で黙り込んだ。
(飼いならされていると言おうか……)
トゥーリはそう思ったが、平和とはこういうことの上に成り立つのだろうとも思った。
「冗談だ。凍りつかなくていいよ。」
彼らは誰もが身震いし
「本気かと思った。」
と言い合っては、眉を顰めていた。
トゥーリには大笑いした。
「そんなに迫力があった? そんな思し召しがあるわけがない。美しい草原が、血潮と炎に汚れるのは許せない。しないから。安心したらいい。」
「くれぐれもね。宮宰さまには逆らわないように。テュールセンさまは庇ってくれるだろうが、あの人は何分荒事専門だから……大公さまもああいうご気性だし。」
「大公さまはお優しいね。でも、宮宰を抑えるほどお強くはない。」
トゥーリは、細やかな疑問を呈したつもりだったが、気楽な身分の彼らには通じなかった。
「こういう平穏なご時世には、ああいった方がいいのだよ。」
「で、宮宰さまだよ。和解に努めろよ。」
トゥーリは内心舌打ちしたが、彼らに期待する方が無駄なのだと諦め
「難しいなあ。あの物言いと態度を見ると、和解したくない気持ちが……」
と冗談めいた応えを返した。
「ならん、ならん。高飛車な態度が気に入らんのはわかる。俺も腹に据えかねる時がある。」
「“近頃の若い者は……”ってね。」
「そうそう。昔の若い者は頭が固くて困ると言い返したいよ。まあ、あの方の若い頃は、想像すらできないな。」
「樹の股からあのまま生まれてきたんじゃないのか?」
「そう言われても信じてしまう。」
ロングホーンの若い貴族たちは笑いさざめいた。中の一人が
「あまり言わないでくれよ。俺は宮宰さまの遠い血縁なんだぞ。」
と窘めると、他の一人が頷いて
「そういや、我が家もそうだ。身内の悪口は控えなくてはね。」
と言って、舌を出した。
そんなことを言って納得しているのが、安穏と暮らしている若君たちの実情でもあり、宮宰に逆らわないで、家門の安寧と繁栄を望んでいる狡さでもある。
「血縁の掟か。」
「ラザックとてそうだろう?」
「血縁に敬意を払うのは同じ。」
「だろう?」
「だが……」
「だが?」
「俺はシークゆえ、敬意を払うのは亡き父上だけだ。……大公さまと。」
大公のことは、それとは思わずに付け加えた感があった。しかし、誰もさっぱり気づいていなかった。
「宮宰さまにも、父君の半分ほど敬意を。」
「難しいなあ。」
「素直に“うん、わかった”と言えないの?」
「うん、わかった。言えるぞ?」
「神妙なご態度! もう少し頭冷やした方がいい。」
「お許しがいただけるように大人しくね。お前がいないと夜会がつまらん。」
「お姫さまの集まりが悪いとか言うんじゃないだろうね? だったら、それはもう無理。鍍金がはげた。」
「そうではなくて、それもあるにはあるんだが……、奥さま方に責められている。しつこくてね。我々の所為でもないのに。」
「え……おばさまたちのお使い?」
例の奥方たちの異様な様子が思い浮かんだ。若君たちとの無駄な会話にも飽き飽きしていたが、更にうんざりした。
「いやいや……まあ、早く顔を見せて、安心させて差し上げて。」
「一生謹慎中の身でいたい……」
皆は午後の遊びの予定があると言って、帰って行った。
トゥーリは皆を笑顔で見送った。しかし、扉を閉めて一人になるとほっと溜息をつき、眉根を寄せてこめかみを抑えた。彼らの気楽さが羨ましくもあり、情けなくもあった。
彼らのことを案じるのにも倦み、大食の商人にもらった幾何の本を寝台に持ち込んだ。
流れるような大食の文字は読みにくく、内容も難しく、余計なことを考えずに済んだ。やがて、読んでいるうちに眠りに落ちた。
一時の午睡だと思ったが、晩秋のこと、暮れるのが早い。目覚めると、もう辺りは暗くなり始めていた。
薄暗い寝室で、トゥーリは長い夜の間をどうして過ごそうか考えた。だが、気の紛れそうなことなど、何も思いつかなかった。
すると、控えから小姓の声がかかった。
「シーク、お目覚めでいらっしゃいますか?」
「ああ。」
「お客さまがお見えです。」
彼は舌打ちした。
「客? 悪友ならもうたくさん。気分がようないゆえ、お帰りいだたけ。」
「あの、それが……ご婦人でございます。」
女にきいきい騒がれるのもたくさんである。
「女? もっと用がない。追い返せ。」
「しかし……」
小姓が言い淀んでいる。
「できんのか?」
「はい……」
「お前の主は誰か? その女か?」
「……お許しください。」
小姓は今にも泣き出しそうだ。トゥーリは責め立てるのを止めた。
「居間に通して接待しておけ。身支度する。」
「申し訳ございません。」
小姓まで言うことを聞かないのかと苦々しかったが、起き出して服を着た。そして、寝乱れた髪を梳いていると、控えが騒がしくなった。
(全く……不調法な小姓だな!)
彼は髪を編みながら
「静かにせんか!」
と怒鳴った。
それと同時に、扉が乱暴に開けられた。女と、彼女を慌てて押し留めようとしている小姓が転がり込んできた。
「お止めしたのですが……お急ぎのようで……」
小姓の弁解が遠くに聞こえた。
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