5

 城には、貴族たちが個人的な相談をしたり、人に会ったりする小さな部屋がいくつかある。トゥーリとフレイヤは、その一室を借り受けた。
 部屋の中ごろに卓を挟んで椅子がある。城の召使いが置いていった燭台が卓にひとつ、部屋の隅までは照らすに能わない。
 外はますます荒れてきた。激しい霰が、みるみる地面を白くしていく。
 トゥーリは窓の外を見ながら黙っている。フレイヤは扉を背に立ち、彼の様子を眺めた。
(本当に立ち姿の美しい人……)
 彼女の胸は高鳴っていた。
「酷い天気だ。それに寒い。」
 彼女に言ったのか独り言なのかわかりにくい、ぽつりとした呟きだった。彼は一向に話し始めない。
(男の人は、どうしても口が重くなるのかしら……)
 話し辛いのかと思い、彼女から水を向けた。
「告白って何ですの?」
 彼は振り向き、隅の暗がりに馴染む彼女の黒い姿に向かって
「人でなしな告白です……もっと奥へ入ったら?」
と言った。
 心もとない灯りが照らす彼は、ひどく切なそうな目をしていた。
「ええ……」
 彼女が歩き出すのを一瞥して、彼は板戸を閉じた。そして、板戸を向いたまま、衣装の裾を引く音に耳を澄ませた。
 彼女は部屋の中心では立ち止まらなかった。座った様子もない。
 彼はすぐ背後に彼女が立った気配を察し、振り向いた。
 小首を傾げて見上げている彼女の視線は、広間の時と同じだった。
 熱っぽく、物欲しそうな目だ。
(……そんな目で見ないでくれ……)
 彼は己がアデレードに向けている目がこれだと思うと、耐えられなかった。目にしたくない。消し去ってしまいたいと思った。

 トゥーリは、フレイヤに一歩近づいた。胸元が触れそうな距離だった。
「さっきの姫君の話のように他言しない? 人聞きの良くない話なんだ……」
 俯き、ほとんど囁くように言った。
 彼女は距離に戸惑った。
「約束します。あの……そんな間近では……」
 言いかけた彼女の肩を彼は強く押し、よろける彼女を壁に押し付けた。
 彼は彼女の脚の間に片脚を入れた。衣装が壁に押さえられた。彼は更に近寄り、彼女の片腿を脚で挟んだ。そして、彼女の頭の横に片腕をつき、半身で彼女の動きを抑え込んだ。
 彼女は辛うじて自由な片手で、彼の胸を押し返そうとした。彼はその手を取り、壁に押し付けた。
 動きを封じられた彼女は、初めて彼の顔を見上げた。ぎらりと光る緑色の瞳が睨んでいた。
(これはいけない!)
 彼女は恐れたが、気持ちの半分はそう思っていなかった。
「ちょっと……」
 彼女の言葉尻が消えた。怒りなのか苦しみなのか判らない目に射すくめられていた。
「俺の告白は、お前とこうしたいってことだ!」
 彼はそのまま深く口づけた。身をよじる彼女を抱き留め、更に容赦ない行いを始めた。
「広間で、俺を見ていただろう? 望んでいたくせに!」
 そう言って、衣装の裾をたくし上げた。
 片手が自由になった彼女は、衣装を押さえようともがいた。
 彼は彼女の両手首を取り、片手に握った。
「先程、告白をお聞き届けいただけると伺いましたよ?」
と囁いて、衣装の奥に左手を突っ込んだ。
 フレイヤは小さな声を挙げた。それは悲鳴ではなかった。
 彼は小さく笑った。
「お前だって、もう十分そのつもりじゃないか。」
 彼女はもう抗わなかった。ここに来た時から、心の何処かではそうなればいいと思っていたのだ。自分の望みを受け入れただけだった。

 フレイヤは乱れた着衣のまま、荒い息遣いで床の上に横たわっていた。トゥーリは窓辺に椅子を引きずり、乱れた髪で外ばかり眺めていた。
「静かだと思ったら、雪に変わっている……」
 彼は立ち上がって彼女を跨ぎ、落ちていた上着を取り上げた。
 神経質なほど上着の襞を気にし、帯を結んでいる。玉の首飾りを上着の上に出し、その垂れ具合までまた気にして、あれこれ弄っていた。
 彼女が問いかけるような目を向けたが、彼は無視して、苛立たしい様子で着衣を弄り続けていた。
 彼がようやく髪を編み始めるのを、彼女はぼんやり眺めた。
 服の乱れはあれほど気にしたのに、髪は櫛を二・三度入れただけでささっと束ねて終えた。整っていない髪と整い過ぎた衣装が、妙に艶めかしい。
「早く身支度をしろよ! 行くぞ。」
 彼は吐き捨てるように言った。
 彼女は身を起こし、おずおずと
「あの……何処へ?」
と尋ねた。
 彼は感情が逆撫でされたように感じ、舌打ちしながらつけつけと言った。
「頭でも呆けたか。いつまでもこんなところにおられんわ! お前、一室取ってあるんだろう? そこへ行くんだよ。それとも、俺の屋敷に来るか?」
「あの……お屋敷に戻られるのですか? ソラヤさまのお部屋にお泊りになると……」
 どうしたわけか、彼女が口を開くたびに、彼には苛々が募った。途轍もなく意地の悪い気持ちになり、自分でも驚くような言葉が口をついて出た。
「城内の方が都合いいか? まだ足りんのか?」
 彼女は顔を歪め、目を伏せた。
「そんなこと……」
 彼は更に昂り、どんどん卑しい台詞を口走った。
「随分とご不自由なさっていたようで。人生半分過ぎた亭主に女盛りの嫁では、そんなものなのか? おまけに度々お籠りではな、無理もないとも言える。……だが、その間にこんなことをしているとは呆れるわ。清らかな顔して、娘どもの聴解などようできたな。それとも、姫君の可愛らしい発展話を聞いて欲情していたのか?」
「それは……あまりな仰せです。」
「本当のことだろう? 今だって、抗ったのは最初だけではないか。散々よがっていた。」
 彼女は赤面し俯いた。
「もうこれっきりに。何もなかったことにしてください……」
 消え入るような口調だった。
「お前がそれでよければ。」
 彼女は下を向き、何と言おうか考えたが、何も言えなかった。
「明日の朝議が終わるころ、またここへ来い。」
 彼はそう言い放つと、呆然としている彼女ににっと笑いかけた。そして、口づけをして出て行った。
 彼女は来てはいけないと思ったが、それよりも強く来なければいけないと思った。
 部屋の扉が、かたりと音を立てて閉まった。

 昨夜からの雪が大雪になり、翌朝は皆大忙しだった。
 通り道を作る者、廂から落ちそうな雪を突き落とす者、吹き込んだ雪で濡れた床を拭く者。下働きの男女が走り回っている。
 フレイヤはどきどきしながら、夜の小部屋に入った。何度も行ってはならないと思ったのに、抑えられなかった。
 召使いは申し訳なさそうにし
「大雪の所為で忙しくなりました。ご不自由をおかけします。」
と直ぐに言って立ち去った。
 理性では、彼と二人きりになってはいけないと思うのに、ほっとしていた。
 一人になると、夜のことが思い浮かんだ。同じ部屋は同じ空気のような気がした。留められない気持ちが湧き上がってくる。
 早く彼が現れないかと、そればかり思っていた。

「しばらく待っていろ。」
 廊下からトゥーリの声が聞こえた。途端に彼女の胸は高鳴った。眩暈すら感じた。
 彼は入ってくるなり、彼女を抱き寄せ囁いた。
「あれっきりではなかったの?」
 優しい声だった。しかし、目はらんらんと物騒に光っていた。彼女はまた射すくめられ、小さく震えた。
 彼は答えも待たず、彼女の胸元を開けて撫で始めた。
「表に俺の近習がいる。声を挙げると聞こえるな……俺は困らんが、お前はそうではないだろう?」
 それが刺激になり、彼女は強い快楽を覚えた。
 しかし、彼は途中で手を止め
「お前、今にも大声を出しそうだ。」
と言い捨てて、出て行こうとした。
 彼女は焚きつけられた情欲を抑えられず、彼の袖を掴んだ。
「今晩、私の屋敷に来て!」
 彼女の甘さに彼は苛立った。ああいう目をしていたからには、動くのは彼女の方なのだ。
 彼はふっと笑ってみせ、彼女の手を引き離した。
「お前の屋敷などに行かねばならん義理はない。お前が俺のところへ来い。」
「それは……」
 彼は、彼女の想いを見透かしていた。
「どうした? どうしようもないんだろう? 欲しくて欲しくて。」
 彼女は顔を赤らめた。
「そんなことは、そんなことは……」
「裏門を開けて待っていてやる。夜中の鐘が鳴るころに来い。一人で。」
「一人で夜中に出歩くなど……」
「なら止めれば? ずいぶんと可愛がってやらんでもないのに。」
 尊大な彼の様子に、彼女は腹が立った。拒めばいいと思うのだが、どうしてもできなかった。それどころか、行きたくてどうしようもなくなった。
 彼は彼女の顔を見つめた。拒めば、それでいい。彼女も苦しまないが、何より彼自身が苦しまないで済む。だが、結局は拒まないだろうと予想をつけた。
「こんなに雪が積もって……伺えません。」
「雪か。そうだな。無理かな? 無理だな。」
 あっさりと涼しい顔でそう言って、彼は出て行こうとした。
「アナトゥールさま、意地悪を仰いますな。」
「親しげに呼ばないでくれ。」
「失礼しました……侯爵さま。」
「そう呼ばれるのは嫌いだ。気の利かない女だな!」
「シーク、後生ですから。」
「夜中においで。待っているから。」
(ずるい女……。全てを捧げる気もないくせに、俺を……俺なんかを……)
 彼は顔を顰めたが、彼女の望みを叶えなくてはならない気がした。望みの叶った彼女を見てみたいと思った。

 二人ともに、自分を咎める気持ちがあった。何をしているのかと自問し、己の愚かさに溜息の出る思いがした。しかし、得体の知れない悦びがあった。



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