黒衣の女
3
十月。アデレードの誕生日の宴が催された。
いつになく盛大だった。国中の主だった家の者はもちろん、ごく小さな地方領主まで招待されていた。煌びやかな大広間は、見たことがないほど大勢の人がいた。
トゥーリは行きたくなかったが、大公の招待を断ることもできない。また、終わったと思いながらも、彼女の様子は気になった。
彼女は美しい青のセリカの衣装を着ている。彼は、和やかに談笑している様を隅から眺めた。彼女の様子は、いつもと変わらないように見えた。
彼は嘆息した。
(この間のことなど、なかったかのよう。それだけ些細なことだということかな。)
こうして毎回思い知らされていたら、いつかは楽になるのだろうかとぼんやり考えた。
そこに、テュールセンのリュイスが現れた。
妹のヴィクトアールからすっかり聞かされている彼は、トゥーリの腰の重さと不器用さに呆れ果てていた。それだけ本気であるのだろうと思うのだが、それらしく接しないのがもどかしい。
彼は陽気に声をかけた。
「また壁際か。広いところで生まれたくせに、隅っこが好きなんだね。」
「広いところで生まれたからこそ、隅っこが珍しいというもの。」
トゥーリは、構われたくなかった。素っ気なく答えたが、察しても、立ち去るような相手ではない。
大広間の入り口にざわめきが立った。諸侯がいつになく丁重な様子で、誰かに挨拶をしている。しかし、人が壁となり、中に誰がいるのかは隅からは見て取れない。
「おい、俺らも見に行こう。いや、挨拶をせねばならんのかな。……誰かな? 外国の王族でも来たか? 公妃さまのお里からかなあ?」
「別に見に行かなくても。そのうち知れるわ。」
トゥーリは興味がない。それどころの気持ちではなかった。
リュイスは強引に彼の腕を掴んで、広間の中ごろに連れ出した。
そして、人だかりの後ろから見ていればいいものを、リュイスは人をかき分けて前列に出た。腕を引っ張られて、トゥーリは彼の隣に並ばされた。
人々の真ん中を、三十歳前後に見える男がゆったりと歩いてきた。古風な、それでいて手の込んだ衣装を着ていた。
周りの諸侯とは違った雰囲気をまとった美しい人で、鷹揚に両側の諸侯や貴婦人に挨拶を返している。それは、生まれながらの気品が感じられる仕草だった。
リュイスは驚き
「珍しいのが来た。骨董品だよ。王家の最後の生き残り。アドラーシ家のカーロイ王子。」
と囁いた。
「ああ、そうだね。一度だけ拝謁したことがある。ほんの子供の時だが……。変わらないお人だね。」
トゥーリは無感動に応えたが、リュイスの方は興奮が覚めやらない。
「俺も親父に連れられて見たことがある。許婚者のキアラ姫の葬儀の時だったよ。それから……十年だぞ、十年! 引きこもりの王子が見られるとはね! 近くで見ねばならん。」
と言った。
「見るって……見世物じゃないだろ。じろじろ見るなよ。お前は相変わらずだね。」
「傍流も傍流、庶出の家だが、惑うことなき王家の末裔だ。さすがに我々とは違うな。所作が実に上品で、嫌味がない。」
リュイスは、ますます身を乗り出して見ている。王子はすぐ側まで来ており、するつもりもなかった挨拶をしなければならなくなった。
「テュールセンの二番目の息子、リュイス・デジューセンにございます。」
リュイスが改まった調子で挨拶をし、大げさな仕草でお辞儀をした。
「テュールセンか。デジュー殿は、立派な息子を二人も持って果報者だ。」
王子からにこやかな言葉が返ってきた。
「ラザックシュタールの侯爵、アナトゥール・ローラントセンでございます。」
トゥーリが続いて名乗ると、微かな間があった。
「ラザックシュタール……?」
王子は初めて聞いたというように、小首を傾げた。連れていた年老いた執事が
「カーロイさま、ラザックとラディーンのシークでございますよ。」
と囁きかけると、思い出したように頷いた。垂れた金茶の前髪をさらりとかきあげ
「ああ、イ=レーシか。」
と微笑んだ。
一同がざわめいた。トゥーリもぎくりとして、お辞儀をするのも忘れて王子の顔を見つめた。
“イ=レーシ”。それは、古い王家が、朝貢の返しにシークに与えた姓だった。そんなもので呼ぶ者など、もうないのだ。
元来、姓名を持たない彼らは、賜り姓などあるだけで使う者はおらず、昔通り父称をもって氏名としていた。
ロングホーンの貴族たちにも、それぞれ賜り姓はあったが、王子が口に出したのはトゥーリに対してだけだった。
今でも、ラザックとラディーンのシークは、王家の臣下の末席だと言っているかのようだった。
王子はまじまじと、上から下までトゥーリを見た。
「草原の者は、皆美しく生まれつく。そなたも。宮廷が華やぐというもの。」
珍しい生き物でも見るような目をしていた。
屈辱的だった。トゥーリは目元を赤くしたが
「お久ぶりに拝謁いたし、嬉しく存じます。」
と頭を垂れた。王子はそれには応えず、通り過ぎていった。
「なんだ、あれ。」
トゥーリの代わりに、リュイスが不愉快そうに呟いた。
王子は大公の家族に挨拶をし、当たり前のように一段上がった正面の大公の隣に立った。
大公が
「アドラーシ王家のカーロイさまがお出ましになられた。実に喜ばしく、ありがたいことだ。」
と皆に賛同を求めた。皆が拍手をすると、王子は引きこもっていたとは思えない慣れた仕草で手を上げた。
「皆の歓迎を嬉しく思う。これからは度々出ようと思うゆえ、よろしく頼む。」
尊大な感じを与えたが、皆は当たり前のように恭しく頭を下げた。
食事が済み、卓が片づけられた。それぞれに談笑が始まった。
例の如く、いつもの奥方連中がトゥーリの側に現れたが、リュイスは今晩は退散しなかった。奥方たちの話題は、当然のように王子のことだった。
「カーロイ・アドラーシ王子……お久しぶりにお見受けしましたが、変わらずのお姿。浮世離れしていると、いつまでもああ美しくいられるのかしらね?」
などと感心している。
「本当に……。あれから、さすがに時が経ちましたもの。以前のようなご様子に戻られましたね。」
リュイスが王子のことを知りたいと言うと、彼女らは口々に語り教えた。
古い王家のたった一人の末裔ではあるが、大昔の王が自分の庶子に与えた一家系で、王位の継承はできない家系であること。
ロングホーンの貴族ではなく、王朝の貴族の末裔であるキアラ姫という婚約者があり、結婚間際に亡くしてしまったこと。
そこまでは、トゥーリもリュイスも何となく知ってはいた。
「王子さまはキアラさまを、こよなく愛しておられたの。亡くなったときには、大変なお哀しみようでした。私たちも涙を誘われたものです。」
思い出したのか、一人がしんみりと言うと
「キアラさまのご葬儀の時は、今にも後を追って死んでしまうのではないかと、お労しいご様子でしたわ。」
と別な一人が同意した。
「それ以来、外出もなさらなくなったわ。キアラさまのいない宮廷は、あの方にとっては何の意味もない場所だったのね。」
奥方たちは口々に、キアラ姫の亡くなったときの王子の様子を語って聞かせた。
婚約者の突然の死に放心し、涙も失って、無言で葬列にとぼとぼ連なっていた王子の姿。憔悴し、蝋のような白い顔をして、まだ二十代の若者であったのが、初老の男にすら見えたこと。いよいよ墓に納めるときには、卒倒してしまったこと。
「北の海沿いのご領地に引き込まれて、小さな館にあの執事と二人きり。遊興に興じることもなく、折り目正しい生活をなさっていたの。」
「キアラさまを偲んでいらしたのね。貞淑で愛情深い方。」
皆、同情に耐えないと神妙な顔をしている。
「どうしたお気持ちの変化かしら……宮廷にお出になるお気持ちになられたのなら、よかったこと。」
「キアラさまのことは、一区切りついたのでしょう。これからは、お出になられると仰ったし。」
黙って聞いていたリュイスが、奥方たちに訊いた。
「お幾つなんでしょうな? 私やアナトゥールも、子供のころお見受けしましたが、あの頃とちっとも変らないように思えます。奥さま方の話によれば、そのキアラ姫が亡くなった時は二十代とか。十年は前の話ですよね?」
「ええ。それくらい前ね。お歳は三十と五くらいかしら。」
「私とは三つ違いだったから、三十七歳ですわよ。」
「なるほど。年齢からいけば、おっさんの仲間入りではありますが、年齢不詳な美貌ですなあ。まさに浮世離れです。奥さまたちも嬉しいでしょう。」
リュイスは聞くだけは聞いたと、いつもの調子で茶化した。奥方たちはいつもなら、彼につけつけと言い返すが、今日は様子が違った。
「嬉しい……まあ、不愉快ではないけれど。どうもね……あの気位の高さが好きになれないの。」
「見下すようなところがおあり。私たちとは違って、王家の流れを汲む方だからかしらね。草原を渡って来たロングホーンの者とは、違うというお気持ちがおありなのでしょうね。」
「イ=レーシだなんて……失礼ね。」
一人が言うのを、他の者が慌てて窘めた。言った方も気がついて、きまりの悪そうな顔をした。
「それを言うなら、私はイル=シテー。奥さまは?」
「確か、イ=ガラン。」
奥方たちは不愉快そうに顔を顰めた。
「テュールセンさまのところは、イル=ダーニヴですね。」
「確かそうです。そんなことを言い出すと、大公さまのところはイル=ブリード。何だか新鮮ですなあ。宮廷で賜り姓を名乗るのが流行りそうだ。」
リュイスがおどけて言うと、皆笑いさざめいた。
「アナトゥールさま。お気になさらないで。大丈夫よ、私たちはあなたの味方。あなたのお父さまとあの方と、宮廷の婦人は二派に分かれていたけれど、私たちはあなたのお父さま派よ。」
と、あまり嬉しくもないことを言う奥方も出てきた。
「ええ、もちろん。驚いただけで。気にしていません。」
彼が微笑むと、奥方たちも安堵した。
彼はこの後の遊びには参加するつもりはなく、帰りたかった。
「奥さま方は、向こうの素敵なおじさまたちのところへどうぞ。私はもう帰ります。」
「お帰りになるの? もう少し……」
「いえ。もう十分ですから。」
退出しようとする彼を、リュイスが留めた。
「アナトゥール。もう少しいようや。奥さま方は向こうからご覧なさい。あなたたちは、アナトゥールがあまりしゃべっては気に入らないのでしょう? 向こうから穴が開くほど見ていればいい。後は若い者同士です。」
残るのは気が進まなかったが、リュイスには何か言いたいことがあるように見えた。
リュイスは奥方たちに笑顔で手を振っていたが、それも十分したと思うと、深刻そうな顔をトゥーリに向けた。
「トゥーリ。この宴の意味、解ったか?」
「公女の誕生会。いつもより賑やか。」
トゥーリが面倒くさそうに答えると、彼は苦笑して
「それで正解ではあるが……三角だな。二重丸はやれん。」
と言った。
またくだらないことを言い出したとトゥーリは鼻で笑ったが、リュイスは真面目くさった顔でじっと見つめ
「これはな、公女の非公式な見合いだ。」
と言った。そして、発言の効力を窺った。
「そうか。」
トゥーリは驚くほどさらりと答えられた。
信じられていないと思ったリュイスは、向きになって言い連ねた。
「見てみろ。若い男が異様に多いじゃないか。地方のおっさん領主は皆、若い息子を連れてきている。ただの祝いなら、おっさん領主だけでいいじゃないか。」
トゥーリは、広間を一瞥した。
「後学の為だろ。それに見合いだとしても、俺には何ら関係がない話。」
「そうなんだよ!……大公は、ある程度公女の気持ちを汲むつもりなのだろう。でなければ、田舎領主の後継ぎまで呼ばないだろうよ。」
「まあ、田舎領主といっても、豊かな者を選んでいるようだ。気持ちを汲むにしても、そこら辺は気にするらしいな。」
「当たり前。で、だ。大公とて、地方の領主に嫁がせるよりは、大貴族に嫁がせたいだろう。家格だよ。」
「かもしれんな。」
「つまらんことだと言いたげだな。顔に書いてある。聞けよ。……それでだ。大公の本音は、宮宰の息子、大公の妹の息子たち……まあ、俺もかな。で、お前だよ。妹の息子は公女から見れば従兄だ。大公の中では今一つ劣る相手だ。宮宰のところは、娘が太子と婚約している。これ以上の縁戚を重ねたくはないはず。」
「じゃあ、本命はお前じゃないか。」
トゥーリは話を終わらせたい答えを返した。しかし、リュイスは取り合わずに続けた。
「不本意ながら、そうなってしまうな。しかし、俺は公女には気に入られたりしない。俺も公女は趣味ではない。女はもっと出るところが出て、引っ込むところが引っ込んでいるのが好きだからな。だから……お前だよ、お前! 本命はお前だって。」
「そんなことはないよ。お前と俺しかおらんようなことを言うが、公女が他の誰かを気に入れば? 公女の意向をと、大公は考えているんだろう? お前の説によれば。」
「この際、蕪を咥えた雄鶏みたいな奴らは、気にしなくていい。問題はあれだ。」
リュイスは、王子を顎でしゃくった。
「あの王子だよ。大穴馬が現れた。誰をとっても、家格の面では敵わない。あの美貌、典雅な身のこなし。歳は若いとは言えないが、今から子を得ることも、その子の行く末を見届けることもできる。」
「だったら、王子のところでいいじゃないか?」
「愚かしいことを……。お前の方がいいに決まっているだろ。ロングホーンの貴族でないことは不利だとしても、お前のお袋の前例もあるからな。気にしないかもしれない。歳の部分は絶対的にお前が有利だよ。面も負けておらん。気障ったらしいあいつより、お前の方がいい。俺が女ならば、お前の方がいいと思うだろう。早く全力で自分を売り込みに行くのだ。」
彼は、アデレードのいる方へトゥーリの背を押した。
「リュイス! 止めろって! 公女は俺など選ばない。俺とてそうだ。」
リュイスは目にも苛々して
「トゥーリよ。もう俺やヴィクトアールは判っているんだよ。お前、アデレードさまが好きで好きで仕方ないんだろ? ヴィクトアールの話では、向こうも満更ではないようだ。お前、いつまで小柄な金髪碧眼の女を蒐集しているつもりだよ? ほら! 王子があんなに親しげに公女と話をしているぞ! 何とかせねばならん。お姫ってのは、ああいう優男に弱いところがある。」
と盛んに煽った。
トゥーリは話の前半にはどきりとしたが、もう判っているのなら好都合だ。
「有態に言う。公女には振られたのだ。もう関係ない。」
リュイスは驚いた。
「え? いつの間にそんなに進んでいた?」
「進んではいない。ただ、もう近づくなと言われた。」
「何? お前の思い過ごしじゃないのか? 最初は断るわ。その気があってもな。そういう女はたくさんいる。もうひと押し……」
トゥーリは苦笑しながら続けた。
「いや、はっきりと。子供の頃のようにはいかないと。“さようなら、ラザックシュタールさま”だってさ。もはや公女とその父の臣下の関係だよ。おまけに、違う女を探せとお命じだった。楽観論者のお前でも、希望があると考える余地はないだろう?」
「いつ?」
「ほんの数日前。」
「それはまた……。ようやく素直になったと思ったら、いきなり幕切れですか……」
「そういうことだ。もう帰る。」
彼は、呆気にとられたままのリュイスに背を向けた。
「待て。だったら、仰せの通りにしようぜ。今日はいろいろ揃って、絶好の日だぞ?」
リュイスなりの気を紛らわせようという心だとは解ったが、とてもではないがする気になれない。
「気楽なやつだね! その気はない。」
彼の視線の先には、王子と親しく話しているアデレードの姿があった。彼は奥歯を噛み締め、苦しさと哀しみを堪えた。
彼は早足に広間を出て行った。
大公の即位の記念行事が続いた。城以外でも、あちこちで諸侯の主催する宴が催された。
いつまでもアデレードに執着して、哀しんで引きこもってはいられない。トゥーリは、誘われるままに夜会に出た。
そして、それまでのように壁際にいることはせず、華々しく中央に立ち始めた。出れば出ただけ、誘われる会も多くなり、同伴を求められることも多くなった。
最初はヘルヴィーグ伯父の娘、ガラード伯父の娘と高位の姫君であったのが、直ぐに臣下の姫君になった。断られないようだと思った軽い身分の姫君も、彼を誘うようになった。
しかし、気持ちは一向に晴れなかった。好きになれそうな姫君もいなかった。誰かを連れるたびに、心が渇いていった。
毎回のように違う姫君を連れているトゥーリを見て、例の奥方たちは当惑した。以前とは全く振舞いが違い、彼女らを近寄らせることすらしなくなった。
「最近、お変わりになりましたね。弾けたとでも申しましょうか。」
「そうね。現れては忽ちに消え、手の届かない寂しげな月のようだったローラントさまの路線を踏襲しておられると思ったのに。全く別人のよう。あれは……ソラヤさまの血かしらね。」
ひとりが溜息をつくと、別の奥方が
「ソラヤさまは、確かに殿方の関心を奪ったけれど、たまにしかお出ましにならなかったわ。よく出られる分、アナトゥールさまの方がわけが悪いわ。」
と顔を顰めた。
「歌って踊って、ちやほやされて。いい気になっている若さまと同じに成り果てるとは……」
「それも、ご本人にとっては、かえって良いことかもしれませんわ。今まで、私たちの思うように振舞ってくださっただけかもしれないし。」
「そうね……。私たちも、現実に目を向けねばならないのね。青春のほろ苦い思い出に浸る時間は、もうおしまい。」
幻滅なのか、さながら息子を送り出す母の思いなのか。どちらでもある思いを抱き、彼女らはトゥーリの側を離れることを決めた。
保護者を自認する奥方たちがいなくなれば、また好都合。トゥーリは、ますます華やかな場の中心に出るようになった。
彼の評判を見聞きした公妃は、居間に呼んだ。
「お招き、ありがとうございます。で、何のご用でしょう?」
あまりにも単刀直入な問いだった。
「しばらく親しくお話をしていませんから、話したくなりました。」
「不思議な気まぐれを……。戸惑います。私からは申し上げるような話はないですね。何の話をなさりたいのですか?」
会話を拒否するかのような口調だった。公妃はたじろいだ。
「……最近、盛んに夜会にお出になっていますね。この前などは、その……ずいぶん下った家の集まりにもお顔を出されたとか。」
「趣が違って楽しかったですよ。気楽な身の上の方が沢山いて。さばけた雰囲気でした。」
「いつも違う姫君をお連れになるとか……。以前と様子が丸っきり変わられましたね。少しお控えになってはいかが?」
「何を控えろと? 商家の夜会ですか? 毎度違う姫君を連れることですか?」
彼女の顔が険しくなった。
「……どちらもです。」
彼は気づいていながら、逆撫でするようなことを言い続けた。
「それは、私だけに忠告なさることではないでしょう。宮廷の若い公達は、皆同じようですよ。」
「……あなたは、そういうことをなさらないと思っていました。」
「かいかぶり過ぎです。公妃さまがご存じないだけで、今までだってあった。」
彼女が厳しい目を向けた。挑むように彼も見つめ返した。
彼女は溜息をついて視線を落とし
「せめて、いろいろな姫君と噂の立つようなことはなさらないで。」
と言った。
「どうして? 皆いい姫君ですよ。」
「お気に召した方はいらっしゃらないの?」
「どの方といって……ないですね。彼女たちも、別に私自身をお気に召しているわけではない。上面ですよ。」
「上面?」
「飾りみたいなものです。どうも私の外見がお気に召すらしいですね。人形と同じですよ。見た目が良ければそれでいい。そういうことです。」
彼は薄く笑った。
彼女にはその表情を寂しそう見えた。
「……虚しくないのですか?」
虚しいと答えて欲しかったが、彼は
「別に。」
と味気ない答えを返した。
彼女はしばらく考え込み、声を顰めた。
「アデレードが……」
そこまで言い、その後をどう言おうかと、言葉に詰まった。
彼の目許が僅かに引き攣った。
「公女さまに何の関わりがあるのです?」
「私、知っています。」
「だから、何を?」
彼は挑むように睨みつけた。瞳に強い苛立ちが滲んでいた。
彼女も負けん気が湧いた。
「指環の話。」
公妃はトゥーリの表情を窺った。しかし、思いも寄らないほど無感動だった。
彼は微笑みさえし
「変だと思った。だから? どうということはないですよ? 公女さまは、私など取るに足らないとお思いです。」
と言った。
彼女は戸惑った。
「そんなことは……。幼馴染みのあなたには、特別な想いがあるのではないかと……」
彼は高笑いした。
「全く誤解していらっしゃる。確かに私は懸想しました。でも、公女さまは違う女人を探せとお命じになりました。」
「でも……」
言いかけて、彼女は口を噤んだ。彼のこの様子では、春のアデレードの様子を話しても無意味だと思った。
「だから、仰せの通りしているのです。」
挑戦的な彼の眼差しの奥に、何か哀しみを見つけられるのではないかと、再び彼女はじっと見つめた。が、心を測れるようなものは、何も見つけられなかった。
「そういうことをお聞きになりたかったのですね。安心なさったらいい。」
彼女はどうしたものかと考え込んだ。
「お話はそれだけですか? 帰って休みたいのです。連日の夜会はさすがに疲れるので。」
「……飽きないの?」
「飽きませんね。……では、失礼します。」
これ以上の話はしないだろうと公妃は思い
「ええ。」
と答えた。
立ち上がったトゥーリが、長い溜息をついた。見上げると、瞳が哀しそうに灰色にくすんでいるように見えた。
公妃ははっとして、引き留めようと思った。しかし、彼女が何か言う前に
「ごきげんよう。」
と言って、彼は出て行った。
虚勢を張っているだけなのか、すっかり諦めているのか、彼女には判然としなかった。
公妃と話をしたのを、トゥーリは後悔した。渇きは格段に増していた。
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