黒衣の女
1
九月。その年は大公が位について、二十五年目の年だった。
諸侯は挙って祝いの品を贈った。
トゥーリは、草原の女が織る羊毛の緞通と馬を用意した。
当代一の織り手だという名手の織った、複雑な吉祥模様の大きな緞通。馬は選りすぐった駿馬を十頭。強く勇敢なラザックの馬と駿足のラディーンの馬、それぞれ五頭ずつ。
それとは別に、マフマーと呼ばれて珍重される、左右の目の色が違う白毛の馬を連れて行った。
「十頭の他に、白毛のマフマーを公女さまのお誕生日に。馬場の丞に既に預けておりますので、ご覧ください。」
すると、大公はことのほか喜んで、家族を連れて馬を見に馬場に出た。
大公は驚きの声を挙げ、称賛した。
「美しい! こんなにはっきりと色が違うのだな。右は琥珀色、左は青か。」
「大食の国では特に珍重されます。」
「同じ重さの黄金と引き換えするとか聞く。娘には惜しい。アナトゥールが乗ってはどうか? 武装して乗れば見栄えがしそうだ。」
大公はそう申し出たが、欲しいという本音は顔に出ていた。トゥーリは、大公の遠慮深さと、戦場での実際を知らないのに苦笑した。
「白毛ですから戦場では的になる。軍馬にはなりません。それに、生来の気性が優しいから、婦人の乗馬用に調教してあるのです。風のような脚のラディーンの馬。お気に入りになるでしょう。」
大公は微笑み頷いた。
「そうか。ありがたく受け取ろう。」
アデレードは父とトゥーリのやり取りを心配そうに聞いていたが、その言葉を聞いて目を輝かせた。
「名前はあるのですか?」
「サーディフ。大食の言葉で、風の精霊のことだそうです。」
「まあ! とても良い名前!」
「なるほど。俊足の馬には、これ以上ない名前だろう。姫、良かったね。」
アデレードは何度も頷いた。小躍りしそうだ。大公と公妃は見合わせて、満足そうに微笑んだ。
「私は早朝に、ヴィクトアールと乗馬するのです。楽しみが増えました。早速、乗ってみたいわ。」
「姫はこれから、毎日出かけそうだな。」
「早起きの習慣はいいことですわ。」
二親はそんなことを娘に語り掛けている。睦まじい様子に、周りの者も微笑んだ。
トゥーリは心底嬉しかった。
サーディフは、大食の商人が同じ重さの黄金どころか、倍以上の黄金を積むと申し出た馬だった。
だが、大量の黄金よりも彼女の笑みの方が、比べられないほど価値のあるものだと、彼は改めて思った。
公妃とコンラートは、二人で午後を過ごした。
彼は諸侯の祝いの品の目録を、ひとつひとつ捲って批評した。
「宮宰はセリカの織物と銀。テュールセンは無償の軍役と銀。大きな家門であってもこの程度ですね。諸侯はそれぞれ、領地の名物を持ってきたようですが、珍しさはないね。」
公妃は眉を顰めた。
「この程度などと……。皆の祝いの気持ちを計るようなことをなさってはいけませんよ。」
「贈り物の内容で、諸侯をあれこれしようと思ってはいないよ。父さまだって、そんなことはなさらないでしょう。」
「勿論です。」
「ロングホーンの貴族たちと比べて、ラザックシュタールの侯爵は随分貴重なものを持ってきたね。皆、汲々としているのに、アナトゥールは相当裕福だと見える。……大食やセリカやマラガの隊商は、ラザックシュタールを通らないと都には来られないんだものね。豊かなはずだよ。」
「都は山に囲まれていますからね。」
「自然の要害と言えば聞こえはいいけれど、小さな狭い土地だよ。西にしか開けていない。北はすぐ海。……アナトゥールが羨ましいなあ。」
「羨望は見苦しいですよ。」
彼女は今までも、息子が他人を妬むことばかりすると嘆いてきたが、また溜息のつく思いがした。
それでも、我が息子は無条件に可愛い。こういう計算する性格も聡さの表れだと考えようと、気を取り直した。
彼が思い出したように言った。
「姉さまの誕生祝いを持ってきたのも、アナトゥールだけだね。」
彼女はぎくりとしたが、微笑んで軽い相槌を返した。
「そう言えばそうね。気の回ること。」
しかし、彼は困った顔をして
「アナトゥールはいつも、姉さまにこんなことをする。去年は大きな真珠を持ってきた。その前は東方の見事な生地。特別扱い? 今度はあんな素晴らしい馬をね! ぼくに馬をくれたことは一度もない。まあ、ぼくは馬など嫌いだから、もらっても困るけど。」
と言った。
彼女から笑みが消えた。指環の一件を思い出し、得体の知れない不安を感じた。
彼は母の変化に気づかぬふりを決め込み、話を続けた。
「白毛のマフマーか! 大食の商人なら、同じ重さの黄金どころじゃないだろうね。」
「あら、大公さまは同じ重さの黄金と仰っていたわ。」
「一点の黒い毛もないんだよ? 倍の値打ちがあるはず。おまけに、駿足の名馬らしいじゃないか。もっと高価なはずだよ。」
彼女はこれ以上、ねちっこい話を聞きたくなかった。
「そうかもしれないけれど、それが何? 馬の値段がそれほど気になるの?」
彼は笑って首を振った。
彼女は、何を言うのか身構えた。
「姉さまは結婚できる歳だね。アナトゥールはもしかしたら、身の程知らずなことを考えているのかも。」
彼はそう言って、彼女を意味ありげな目で見つめている。
曖昧な言い方をしているが、実際は断定していると見えた。
何かを知っているのだと、彼女は愕然とした。が、単なる邪推の域かもしれないと思い直し、窘めようとした。
しかし、そうする前に、彼が重ねて言った。
「アナトゥールは、姉さまが欲しいんじゃないかな?」
「そんなこと……。そうだとしても、悪い縁組ではないでしょう。」
彼女は窘めているつもりだったが、それは既に自分に言い聞かせている言葉だった。
彼は信じられないというような顔をして、彼女を見た。そして
「母さま、冗談でしょう? ラザックとこれ以上の縁戚になるなど……。アナトゥールを義兄と呼ぶのは嫌ですよ。」
と苦笑した。
彼女は不愉快になった。個人的な関係もそうだが、次の君主となる者が、同じ国にある草原の者を差別するのは良くない。それだけでも正さねばならないと思った。
「どうして、ラザックやラディーンを特別視するのか、私にはさっぱりわからないわ。少し……」
彼は皆まで聞かずに、反論した。
「格下だからですよ! 襁褓のシークは、ぼくたちのおかげで生き延びた。アナトゥールがいるのは、ぼくたちのおかげ。それに、ぼくらは王朝の青い血を引いているんだ。」
彼は胸を張っている。彼女はくだらない優越感だと思った。
「お父さまも仰っていましたが、あなたはラザックシュタールさまを大切にしなくてはならないのよ。それはよく聞き分けて。何を思おうが自由ですが、彼の前でそのような態度はいけません。」
「解っていますよ。だけど、姉さまのこと。姉さまもアナトゥールがお気に入りだし、アナトゥールもそういう気持ちのようだし。もう特別な間柄だったりして。」
彼はそう言って、薄ら笑いを浮かべた。
彼女は、胸の底が不安に揺れるのを感じた。
「そんなことあるものですか!」
その声色に不安感を読み取ったのか、彼は薄ら笑いを浮かべたまま
「姉さまには相応しい相手を早く考えてほしいな。ねえ、母さま。」
と言った。
心を見透かしたような言葉だった。
返す言葉もなく黙り込んだ彼女を、彼がじっと見つめていた。
Copyright(C)
2015 緒方しょうこ. All rights reserved.