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※ 残虐な表現あり。苦手な方は、読み流すか、次の章へどうぞ。

 トゥーリが去った後、リースルに悪阻が本格的に始まった。
 周りの女も気づき始めた。
「リースル、様子がおかしいわ。あれって……」
 あちこちで、そんな噂が囁かれるようになった。
 ヤールの奥方も気づいた。
「リースルや。あんた、シークのお子さまを宿したんじゃないの?」
 リースルは慌てた。
「いいえ……」
「女は皆気づいているよ。リースルのあれ、悪阻ではないのかって。」
「はあ……調子が悪いだけです。」
「誤魔化さなくてもいいわよ。恥ずかしいの?」
「いいえ……」
「だったら……。そうなんでしょう?」
「わかりません。」
 はっきり答えないリースルに、奥方が次々に尋ねた。
「本当に? 月の障りはどうなの?」
「まだ……」
「一度、産婆に診てもらったら?」
「……私は障りが遅れたりするから……」
「そう。でも、遅れているにしろ無いのなら、そうかもしれないでしょう? これ以上無いなら、診せなさい。」
「はい……」
 リースルは消え入りそうな様子になった。
 奥方は大いに期待していた。リースルの様子をいつものことだと気にも留めなかった。
「もし、そうだとしたら……こんなにおめでたいことはないわ。シークの初めてのお子さまが、うちの縁から生まれるなんて。男の子ならどんなにいいだろう!」
「あの、私の身の上では……」
 リースルが控えめに反論したが、奥方は受け付けない。
「父親は間違いなくシークですもの。母親が卑しい身分だからと言って、誰もシークの息子を軽んじることはない。」
 満面の笑みを向けられ、リースルは困り果てた。
「はあ……でも、まだよくわからないのです。」
「……まあ、シークの最初の息子が婢から生まれた話は聞かないわね。でも、気にしなくてよろしい。」
 その言葉がリースルの心を寒くした。彼女は顔が急速に青ざめていくのを感じ、俯いた。
「ここしばらくのうちに、産婆のところへ行きなさい。」
「はい……」
 リースルは早足に天幕から出て、しゃがみこんだ。
 彼女は、厄介な問題にならない女の子を望んでいたが、もし男の子を産んでも跡継ぎにしなければ、それで済むと思っていた。
 実際、シークの息子を祖にする家系は幾らでもあった。身分の軽い母から産まれた祖もある。
 だが、トゥーリには未だ子がない。今度が初子なのだ。
“シークの最初の息子が婢から生まれたことはない。”
 婢に男の長子を産ませた初めてのシーク。それは、彼女には汚名にしか聞こえなかった。トゥーリがそのように思われるのは耐えられなかった。
 間違いであって欲しいと思ったが、喜んでいた彼を想うと、腹にいるかもしれない子が愛しかった。
「お願い、女の子であって……」
 彼女は腹を抑え、すすり泣いた。

 ある夕方、いつものように女たちが、帰って来た家畜を数えていた。
「あら、足りない。」
「そう?」
「もう一度……親が……子供が……やっぱり。」
「どう?」
「子供が足りない。」
 全員でよくよく数えてみた。
「顔の黒いのが一頭足りない。」
 羊はまさしく財産である。数が足りないのは大問題だ。
 女たちは慌てた。
「まずいわ。ちょっと! みんな! 探して!」
「その辺にいないか見て。」
「子供だから、そう遠くには……」
 牧人、牧童を含めて皆で辺りを見渡し、灌木を分けて探した。ところが見つからない。
「いないわよ?」
「草原ではぐれたのかしら?」
「全部連れて帰ったよ?」
「いないんだもの。」
「手分けして探して。」
 手の空いた者たちで子羊を探すことになった。リースルにも声がかかった。

 草原に出てあちこち探したが、子羊は見つからなかった。秋の日は暮れるのが早く、夜闇が下りてきた。
 リースルも、埒が明かないと帰ろうとした。すると、辺りを揺らす風とは別の、がさがさという音が聞こえてきた。
 目を凝らしてみると、ひょっこりと子羊が頭を覗かせた。
 彼女は急いで駆け寄った。
 しかし、子羊は群れから離れて怯えていたのか、向こうにどんどん逃げて行く。彼女は慌てて後を追った。
 ようやく捕らえたが、もう月明かりしかない。宿営地から離れ過ぎていた。彼女は不安になり、従おうとしない子羊を引っ張った。
 すると、背後の闇の中、何頭かの蹄の音がした。彼女は宿営地の男たちが探しに来たのだと思い、立ち止まって待った。
 瞬く間に騎馬が駆け寄ってきた。
「ラザックの娘。」
 野太い声に呼びかけらた。
 月を背にした見知らぬ男が、馬上から見下ろしている。後ろにもう二騎いた。
 大きな戦闘用の馬に乗った武装した男たちだ。傭兵上がりに見えた。装備は粗末ではないが、荒んだ感じがした。髪を短く刈り込んでいる。ラザックの氏族でもラディーンの氏族でもないとわかった。
 彼女は身構えた。
 後ろの二騎が、ゆったりと馬を歩ませ、彼女の背後に回った。
 膝が震え出した。彼女は悟られないように、話しかけた相手を黙って見上げた。
「ラザックの娘。こんなところで一人かな?」
 男はそう尋ねて、馬上からじろじろ見まわしている。
「恐れなくてもよろしい。お前の氏族は、この近くで宿営しているのか?」
「……はい。」
 彼女の後ろになった二人が、忍び笑いを漏らしながら小声で話し合っている。
「兄者、可愛らしい娘ではないか。」
「小さくて、子供みたいだな。」
 彼女はますます不安になった。
「……何か?」
「我らは、ロンバルディアから長い旅をして帰ってきた。疲れたので、食事をして休みたいのだ。」
「私の氏族のところへ。おもてなしいたします。」
 男たちは笑った。
「いや、幕屋で寝るのは慣れない。」
「では、ラザックシュタールの街までいらしたら? 少しあるけれど、立派な馬をお持ちだから……」
「ラザックシュタールの城門は、もう閉じた。」
「いいえ、まだ……」
「我々は、シークに従う氏族の出ではないゆえ、晩に入れてもらえないのだ。」
「では、やはり私の主のところへ。」
「羊臭くておられんわ!」
 男は嘲笑した。
「では、どうしろと?」
 後ろの一人が手綱を握りなおした。
「つべこべ言わすな! 早くかっ攫おう!」
 三人は、逃げるリースルを追いかけ、難なく彼女を馬上にすくい上げた。そして、暴れるのを抱き留めて、宿営地とは逆の方向に走り去った。

 どれくらい走ったのか、草原の真っただ中で馬が止まった。
 傭兵たちは、リースルをつき転ばした。のしかかってくる。
 彼女は必死に抵抗したが、屈強な傭兵相手では無駄である。むしろ、その暴れる様子が、彼らの情欲を刺激した。
「小さいなりして元気がいいな。それでなくては面白くない。」
 男たちは嘲笑し、押さえつけた。
 彼女は手足をばたつかせて、相手を振り切ろうした。
 無我夢中で暴れていると、手に傭兵の佩いていた牛刀が触った。掴んで振り回した。切っ先が、傭兵の皮鎧を傷つけた。
 傭兵は他愛もなく、彼女の手首を捕らえた。握りあげた力は、骨を砕きそうな強さだった。彼女は牛刀を握った手を開いた。
 その行いは、傭兵を激昂させるのには十分だった。
「この娘……!」
 逆上した彼は、腹の上に馬乗りになって殴りつけた。
 酷く殴られ、彼女は気が遠くなったが、男が服の裾を捲りあげる気配に正気を取り戻した。押しのけようと再び暴れた。
 あとの二人が、野卑な笑みを浮かべて見ている。
「兄弟! 早くしろ! そんな小さな女に手こずるな。待っているんだ。」
「観念しろよ。何をしても無駄だぞ。」
 リースルは、押さえ込んでいる傭兵に噛みついた。
「こいつ……あいた!」
 男は半身で抑え込みながら、手を伸ばして先ほどの牛刀を取り、彼女の顔に突きつけた。
「暴れるな! 顔に傷をつけられたいのか!」
 冷たい刃が頬を撫でている。
「大きな傷をつけるなよ。可愛い顔がもったいない。」
「娘! そいつは容赦ないぞ。遠慮なくざっくりいくぞ。」
「そうそう。余計に痛い思いをしたくなければ、ちょっと大人しくしろよ。」
 後ろの二人がにやにや笑いながら囃し立てた。
 彼女は、だらりと四肢を投げ出した。心細げに
「あまり、酷いことをしないで……」
と言うと、傭兵は
「言うことを聞けよ?」
と言って、刃を目の前にかざした。
「顔を切らないで。」
「言うことを聞けば切らないよ。」
「大人しくする。……重いの……少し……」
「ああ、重いか。」
 傭兵が体を浮かせた。彼女は膝を思いっきり股座に叩きつけた。
 傭兵は唸り声を挙げて地面に転がった。彼女はまろびながら、立ち上がったが、残りの二人にすぐさま捕らえられた。
 彼らは、湿った草の上に彼女の顔を押さえつけた。そして、着ているものを引きちぎり、唸りながら抵抗する彼女を殴りつけた。
 そこへ、どうにか痛みの治まった最初の男が近寄り、腹立ちまぎれに殴る蹴るの暴行を加えた。
「おい! 死んでしまうぞ。止めておけ。」
 仲間が止めるほどの激しさだった。
「このあまっこ! 蹴りやがったんだ!」
「おいおい、死んでしまったら、お楽しみがふいになる。」
「畜生! こうしてやる!」
 容赦ないと仲間が言っていたのは、脅しではなかった。
 男はリースルの脹脛を掴み上げると、何の躊躇もなく足首の筋を切った。
 リースルは絶叫した。激痛に気が遠くなった。
 今度こそ逃げられなくなった彼女に、ひとりがのしかかった。
 彼女は身を縮め、脚を固く閉じた。残りの二人が、横から脚を掴んだ。
「固いな。恋人に操立てするのか? 助けには来てくれないよ?」
「恋人などいるのか? 生娘かと思った。」
「ラザックの娘なら、観念するのも早い。これだけ暴れるんだから、よほど惚れた男がいるのだろう。」
「二世を誓った仲ってやつか。今頃、幕屋で眠りこけているだろうよ。」
 その何が可笑しいのか、大笑いしている。
「……あまり知らんようだな。最初の恋人ってところか。」
「堪らん。早くやれ。」
「あんたみたいな小さい女の子と、俺みたいな大きな男がこんなことをすると……押し潰しそうだな。」
「大丈夫。大柄なラザックの恋人と慣れておるわ。」
「なるほどな。なかなか具合がよさそうだ。羊臭いラザックの恋人にはもったいねえ。」
 男たちの野卑な嘲笑と、腐った玉ねぎのような体臭に、リースルは吐き気を覚えた。
「下衆! こんなこと……私の恋人が……」
 傭兵たちはげらげら笑った。
「お前の恋人が何だ? 面白い。食後のいい運動だな。」
「若造に、後れを取る我らではないわ! 膾に刻んでやる。」
「あんたたちみたいなならず者とは違うんだから!」
「元気がいいな! まだ抗うつもりか?」
「もうやめて。無法者! 薄汚い戦場稼ぎ!」
「うるさい!」
 再び強かに殴られた。組み敷かれた手足を動かす力も無くなった。
 リースルは抵抗する術もなく、湿った草の上に転がされたまま放心した。ならず者の傭兵は、彼女を代わる代わる暴行した。

 長い一夜が明け始めた。
 傭兵たちは立ち去る準備を始めた。彼女に気に留める者はない。
 彼女はのろのろと身を起こした。痛む身体を撫で、筋を切られた片足を庇って起き上がろうとした。
 ひとりが彼女を見やって、大声を挙げた。
「待て!」
「……もう気が済んだのでしょう? それとも、私を殺すの?」
「ちょっと待てったら!」
 男は彼女の手首を捻りあげて、仲間に見せた。
「こいつ、綺麗な指環をしている。」
「……ひゃあ! これ、青い金剛石じゃねえか! 身なりにそぐわぬ値打ちものだな。渡せ!」
 傭兵が狂喜して、手を引っ張った。
「嫌!」
 彼女は腕に喰いついが、すかさず殴り倒された。
「痛い! まだそんな元気が残っているとは!」
「兄弟。それはすごい金になる。盗れ!」
「これだけはだめ!」
「寄こせ!」
 男は指環を抜き取ろうとした。しかし、リースルが暴れる上にしっかり指に嵌っており、容易くは抜けない。
 別な男が面倒だとばかりに刀を抜いて、一刀で彼女の手首を切り落とした。
 絶叫して倒れる彼女に、指環を抜いた手首が投げ返された。
 三人の傭兵は満足げに指環をしまいこみ、顧みることもなく走り去った。
 彼女は転げ回り、やがて蹲ったまま動きを止めた。



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