宿命
5
小さな居間に招かれたソラヤは、大公とぎこちない世間話をしていた。
(こんな無駄話が旧交を温めるということか。煩わしい……)
ソラヤが思い始めたころ、テュールセンの公爵が入って来た。
途端に、固かった大公の表情が和らいだ。彼はソラヤが苦手なのである。
「叔母上、テュールセンです。懐かしいでしょう? よく一緒に稽古をしていらした。」
「麗しいソラヤさま、ごきげんよう。相変わらずですな。」
武門の者らしいきっぱりとした態度だった。ソラヤも彼に対する方が気が楽だった。
「久しいな。老公は息災か?」
「父は床に就きまして、私が家督を継いだのです。」
「そうか。先から片付いて行くのは、世の中の常だな。」
テュールセンの公爵は苦笑した。
「お口の方も相変わらずで。」
「何かね? その“相変わらず”というのは?」
彼は
「しゃべらなければいい女、口を開けば帰れ! ってやつですな。俗に言う。」
と言って、陽気に笑った。
「何を言う。私はしゃべってもいい女だよ。失礼な。」
ソラヤの様子を、面白そうにテュールセンの公爵は見つめているが、大公はうんざりした表情である。
「テュールセン、後はそなたが話せ。」
「はあ……、気が重いですなあ。」
「叔母上の気安いそなたからの方が、ご本人も聞きやすいであろう。」
「お血筋の大公さまからお話しては?」
テュールセンの公爵も言い難いことらしく、珍しく渋っている。
「お前ら、何をやっておる。こそこそと……。早く申せ。テュールセン、お前が申せ。大公さまはなにやら腰が引けているようだ。まったく……大公さまは文人肌と言えば聞こえがいいが、肝の据わらぬ男……」
ソラヤはつけつけと言って、申し訳程度に
「ああ、失礼。」
と言った。
大公は怒りもせず、ため息まじりに
「これだから、叔母上は苦手なのだ。顔をみれば、臆病者の、肝の据わらぬ、と。」
と言って、肩をすくめた。
「それではいかんと、しっかり鍛えてあげたでしょうに。」
「鍛えてって……意地悪されているのかと思っていましたよ。」
「叔母心のわからぬ甥だねえ。」
「もう、稽古はつけていりませんから。」
大公が苦笑すると、ソラヤは鼻を鳴らした。
「まあまあ……大公さまは学究肌でいらっしゃるから。武張ったことは、お嫌いでいらっしゃる。」
「で、何?」
ソラヤが促すと、テュールセンの公爵はひどく言い辛そうに眉を寄せた。
「あの、お気を鎮めてお聞きあれ。その……ソラヤさま、この後どうなさるので?」
「草原へ帰って、領地の采配を執る。」
「本気でおっしゃっている?」
「ふざけているように見えるか?」
「……それは、ヤールたちに任せては? 幼君を持った門地は家臣がそうするものですよ。ヤールたちは、常の家臣と違って、忠実で信用もなるでしょう?」
「もちろん。」
「で、ソラヤさまは都へお戻りあれ。」
「はあ?」
そう言ったものの、話の流れがどこに行きつくかは想像がついていた。
「あなたがいないと、宮廷も華がなくていかんわ。……冗談です。」
「つまらん前置きはおいて、本題を言え。」
「怖い目で睨まないで。都へ戻って来てほしいなあって……」
「都で遊び暮らすのかね?」
「また……おわかりでしょうに?」
彼が言葉を濁すのに、ますます見当が確実に思われてきた。それでも
「わからん。」
と言うと、彼はようやく決心がついたようで、核心に近づいた話をし始めた。
「なら、ありていに申します。あなたはお若いし、二人もお子さまがいらっしゃるとは思えませんわ。私の妻など、もうすっかり腰回りがぼってりと肥えて、見る影ないです。……昔と変りなくお美しいので安心いたしました。」
「どこがありていなのかね?」
「あのう……ご再婚など?」
「断る。」
即座の答えだった。テュールセンの公爵は安堵のため息をついた。彼には思い当たることもあり、無理な話だと思っていたのだ。
「だと思った。まあ、宮宰さまの提案を申し上げたまでで、私は無茶を言うと思っていましたしね。大公さま、義務は果たしましたよ。」
大公は苦虫を噛み潰したような顔になったが、説得を始めた。
「はあ……無理とは思ったけれどね。あたら若い身で、しかも尊いご身分が、この先永く亡夫の墓守に身を捧げるとは……」
「こ・と・わ・る!」
「ご一考あれ。」
大公が言いすがったが
「くどいわ! 二夫にまみえるつもりはない。それに、ローラント殿の形見を宿した身で、どこに嫁げと言うのだ!」
と一喝された。
「あれれ……ご懐妊中で?」
「耳が聞こえんのか? そうだよ。わかったか、両名。私は再婚などせん。話はそれだけだな。退出する。」
ソラヤは怒って退出してしまった。男二人がぽつねんと取り残された。
ソラヤを見送って、テュールセンの公爵が
「そうではないかと思っていました。苛々したご様子でしたからな。」
と静かに言った。
「いつもああいう調子のお人だが?」
「お顔がね……ご気分がよろしくないんでしょう、冴えなかった。」
「そなた、鋭いな。」
「麗しくて激しいソラヤさま、……懸想していましたのでね。私は妻帯していたけれど。そうでなければ、みすみすシークに明け渡すなど……」
テュールセンの公爵は照れくさそうに大公を見て、俯いた。
「あの人を嫁さんにすると、早死にしそう。現にローラントは早く死んだ。」
「ワルキューレですなあ……。ワルキューレの微笑み見ると、この世とおさらばですからな。」
「あの叔母が微笑むのかね? 想像できんわ。」
「きっと、とても魅力的……」
テュールセンの公爵はうっとりと言うが、大公にはとても理解できない。
「……ローラントがあの人をくれと申した時も耳を疑ったが、そなたもかね? 世の中には、奇特な人がいくらもいるのだね。」
「変ですか? 変といえば、ローラントも変わっていますな。より取り見取りだったくせに。もっと大人しい、女々した人を妻にすると思っていました。おまけに、あの口の重い彼が、口の減らぬあの方と、どんな結婚生活をしていたのかと思うと、私悩みます。」
彼は首を傾げた。ソラヤが男に従う様子がどうしても想像できないのだ。
「謎の夫婦ってところかな。仲は良かったのではないか? 短い間に子供三人も作って。」
「ああ、そこのところ思うと私、もうひとつ悩みます。」
「しっかり励まないと怒鳴られそうだね。ローラントはやはり勇気がある。しっかり励んで、子供三人だもの。」
二人は大笑いした。
テュールセンの公爵は
「何をおっしゃるやら。大公さまも、早く公子さまをお見せあれ。」
と片目を瞑ってみせた。
「痛いところを突かれた。もうそろそろと思うけれど、こればかりはね。」
「アデレードさまが可愛い盛りで、娘さんばかりでもと思っていらっしゃるのでしょう?」
「まあな……。時に、小さなシーク、ちょうど城内に住む。娘の遊び相手にいいな。」
「そうですな。アデレードさまは小さなシークに任せて、お妃さまのことを気遣って差し上げねばね。」
「近頃、公妃は機嫌が良くない。近寄りがたいのだ。」
「それは珍しい。でも、女人はそういうこともありますからな。いつものではないのですか?」
大公は曖昧に笑って、それには答えなかった。
一方、不愉快な話を聞かされたソラヤは、かつての自分の翼に向かった。親族であるソラヤの翼は、大公の私翼とは目と鼻の先。回廊でつながっていた。
(何故、私があいつらの言うなりに、次の連れ合いをもらわねばならんのだ。)
怒りと悔しさばかりが湧いたが、やがて
(男勝りのなんのと言われても、所詮は女だからか? ああ、悔しい。殿は何故私を置いて死んでしまわれたの?)
と悔し涙がこぼれた。
しかし、しばらく泣くと、すっかり気が済んだ。
「こんな女々しい姿を見られてはならん。私はコブ二つも、いやもうすぐ三つか、抱えた身なのだから。おまけに、頭領だというのに、アナトゥールはまだ乳離れしない。しっかりしこまねば。」
そう呟くと、新たなる闘志が湧いてきた。
ソラヤは、トゥーリの様子を確かめた。ぐっすり眠っている。彼女は、乳母と老ヤールを呼んだ。
「私は明日、ラザックシュタールへ帰る。息子は頼む。ヤールよ、お前が朝議には代理で出よ。そして、その様子は息子にちゃんと話せ。わかってもわからんでも、話せ。」
「かしこまりました。草原の動向について議された場合はいかがいたしましょう?」
「お前に任す。草原の利益になるように。お前はようわかっているゆえ。頼んだぞ。」
「承知いたしました。」
「それから、息子に明日から馬と武芸の稽古を始めさせよ。」
「……鐙に足が届かないのでは?」
「草原の子は、鞍も鐙も使わずに裸馬に乗るではないか。息子も、羊に乗って遊んでいたと聞いた。乗せろ。しっかりしこめ。」
「武芸の稽古、四つでは早すぎませんか?」
「早すぎん。最初から真剣にせよ。」
「はあ……」
「わかったのかね? ……それからアーマ、いつまでも添い寝してやらなくてもいいのではない? 乳離れさせて。」
「はい……あの、トゥーリさま、今回はお母さまとご一緒で、とても喜んでいらっしゃいます。もう少しご一緒できませんの?」
「ならん。」
「でも、お父さまを亡くされたばかりで、とても寂しがっていらっしゃいます。夜などには、思い出されて、お泣きになるのです……」
「いつまでも、父を想って泣くなと教えるのだ。」
「それはあまりに……」
「お子さまは卒業せねばならんのだ。頼んだよ、アーマ。明日……そう、アナトゥールが昼寝している間に発つ。わかったね。」
ソラヤの物言いはきっぱりとしている。アーマは諦めて
「なら……今日だけは、トゥーリさまと居て差し上げて。」
と言った。断られるかと思ったが、ソラヤは長いため息をついて
「……わかったよ。」
と言った。
最後の夜は母子だけで過ごした。
翌朝、トゥーリは母に促されて、大公を起こしに行き
「よう出来たね。」
と褒められたと言って、嬉しそうに帰って来た。
朝議から戻った老ヤールは言われた通り、彼に武芸の手ほどきをした。
昼寝の時間が来ると、トゥーリは時計を見たかのように眠いと言い出した。
「ねぇ、母さま。トゥーリ、いい子で賢かったでしょう? だから、ずっと今みたいに一緒にいて。」
寝台の中からの訴えに、ソラヤは言い淀んだ。
いてくれるのではないかという期待が目に浮かんでいた。いるとは答えられない。しかし、いられないと答えるのも憚られる切ない目だった。
「わかったよ。いい子でね。ねんねして。」
彼女は辛うじて応え、息子が寝入るのを待った。やがて寝息を立て始めた息子の額に口づけをして、部屋を後にした。
その小一時間後、トゥーリはいつになく早く目が覚めた。
「母さま……」
辺りを見渡したが、いると言った母は見当たらない。寝間から飛び出して、控えにいたアーマに詰めよった。
「母さまはどこ?」
彼女は彼の様子を予想していたものの、うまく言葉を返せなかった。
「あの……大事な御用があって……」
誤魔化す彼女に痛烈な一言が浴びせられた。
「嘘つき!」
彼は叫ぶなり駆け出した。
「ああ、お待ちなさい。」
止めるのに振り向きもせず飛び出して、片端から部屋の扉を開けては、母を捜した。
どこにもいないことを悟って、玄関に走って行こうとしたところを老ヤールに抱きとめられた。
「母さまはどこ?」
「草原にお帰りになられた。」
「じゃあ、トゥーリも帰る。」
「なりません。」
「一緒にいてくれるって言ったもん。」
「いられんのです。」
必死の表情で尋ねるのに、老ヤールは切なくなったが、そうきっぱりと答えた。
涙を堪えながら、トゥーリが
「トゥーリがいい子でなかったから? じゃあ、ごめんなさいして、いい子になるよ。」
と言った。
老ヤールはますます不憫に思った。だが、ここで優しくしてはいけないと思った。
「いい子になっただけでは足りんのです。」
「どうして?」
「いいシークになってもらわねば。そして、大公さまの忠実な臣下にならねば。」
「そんなの、わからん。」
「やっぱりいい子でないですな。」
「いい子だったよ。お言いつけどおり、大公さまを起こしたし、おじいとお馬とお稽古もしたよ。」
「いや、悪い子ですわ。おじいの言うこと、聞き分けない。」
「トゥーリはシークだよ。おじいはヤールだ。シークは、ヤールの言うことなんか、いちいち聞かないからね!」
トゥーリは涙に濡れた顔を上げると、ぎっと老ヤールを睨んだ。
「だから、母上さまは帰られたのです。トゥーリさまがあまりに悪い子だから。」
「悪い子じゃあない!」
足を踏み鳴らして怒るのに手を焼いていると、アーマが現れた。
「あれれ、舅どの。こんな小さい子に何です?」
「ご後室さまのおっしゃるとおり、あまり甘やかしてはならん。」
「でも、もっと柔らかいやり方あるでしょう?」
彼女は老ヤールを窘め、トゥーリを抱き上げると
「肌着姿で風邪をひきますよ。あっちに行って着替えて、涙を拭いてね。」
と微笑みかけた。
アーマは、肌着のままのトゥーリを膝に乗せた。そして、髪を撫でながら、柔らかく諭し始めた。
「お母さまはね、赤ちゃんを産みに帰られたの。」
「えっ! 赤ちゃんが生まれるの?」
「そうですよ。楽しみでしょ。弟がいい? 妹がいい?」
彼は考え込んだが、急に膝の上から飛び降りた。
「……どっちもいらん! 母さまは、トゥーリより赤ちゃんの方が大事なんだね!」
「そんなことないわ。」
「赤ちゃんのためにトゥーリを置いて行った。悪い子だから置いて行った。母さまはトゥーリのこと、もういらないんだよ!」
「なんてことを……。どう言ったらいいのかしらねえ……」
「もういいよ! 早くして。」
怒りと哀しみに、緑色の瞳がぎらぎらと光っていた。よく瞳の光る子供で、そういう時には、まったく聞き分けがないことを彼女は知っていた。
トゥーリは着替えが済むと、乳母に見向きもしないで庭に出て行った。
庭は高い金柵に囲まれていた。それはずっと向こうまで続いていた。
どこまで続いているのかと、金柵伝いに歩いた。これが切れたら、ここから出られるのではないかと思えてきた。そうなら、一人でも母親の後を追って草原に帰ってやると思った。
しかし、無茶だと諭す冷静な自分も在った。
悔しくて、悲しくて、寂しくて。募る思いがまた涙になった。泣きべそをかきながら、とぼとぼ庭の奥まで歩いた。
部屋に帰れるか不安になり始めたが、戻って皆に構われるのも、今は嫌だった。
立ち止まってすすり泣いていると、隣の庭の植え込みから、よちよち歩きの女の子が現れた。
「ああっ!」
そう叫んだきり、彼女はにこにこ笑いかけるだけだ。まだ言葉が出ないのだろう。
トゥーリは突然現れた彼女に驚いて、涙をぬぐった。
彼女の大きな青い目が、じっと彼を見つめていた。つられて笑いかけたが、向こうから
「姫さま!」
と呼ぶ声がすると、彼女は走り去って行った。
(“姫さま”って名前なのかな?)
彼は首を傾げた。周りに姫さまなどという高貴の人はいなかった。
それとは別に、心の中に、何とも説明のつかない気持ちが湧いた。
(なんか……変な感じ……)
彼はとぼとぼと来た道を戻った。
Copyright(C)
2015 緒方しょうこ. All rights reserved.