5

 ラザックとラディーンはロングホーンのシークと王女を連れて、彼らの村へ戻った。村は草原の最深部。もうその先は南の隣国へと繋がる場所にあった。ラザックのヤールは、代々南の百姓や商人と交易をしてきた場所で、“ 秦皮 ( とねりこ )の村”と呼ばれていると言った。
 なるほど宇宙樹を思わせる秦皮が繁る低い丘の下に、定住しない草原の民ならではの天幕の村が展開している。
 その中の大きなひとつに一行は招き入れられた。

 中には、左利きのアナトゥールの三人の妻がいた。
 まず年かさの一番目の妻がシークの死に様を尋ねた。ラディーンのヤールが見聞きした様子を話す。産褥間もない三番目の妻と思しき若い女が泣き崩れた。傍にいた、二番目の妻だろう、女が慰める。
 一室が葬儀の次第を尋ねかけて、遺骸すらないことに思い至り
「ラディーンのヤール。アナトゥールさまのお塚には、お納めするものすらないのか?」
と尋ねた。
「ご遺髪をお持ちしました。」
 ラディーンのヤールは、編んだ形の黄金の髪を捧げ上げ、一室に見せた。
 三人の妻たちは絶句した。
 一室はこくりと喉を鳴らし、ようやく口を開いた。
「何たる虚しさかな。私たち三人で、ご立派な体格に合わせた壮麗なる柩を用意したというのに。髪のみとは。ご生前通りの武装したお姿で葬りたかった。」
「シークの御髪、汚れていますわ。それにくしゃくしゃ。お姉さま、せめて洗って梳いて差し上げなくては……」
 三室はそう言って、再び静かに落涙した。二室も声を震わせ
「本当に。お日さまのような美しい髪だったのに。くすんで汚れていますわ。」
と言って、目元を拭った。
「二室、あなたがなさいな。三室は襁褓のシークを連れておいで。」

 二室と三室が連れだって出ていくと、一室が口説き始めた。
「まったく……無念なことです。私の産んで差し上げた息子ですら、しきたり通り葬られたというのに。……父より先に逝ったばかりか、先に葬られたる不孝者が。」
「そう仰せにならずとも……シークは自慢の息子と仰せでした。」
「生きていたれば父の誉れとなるように努めたでしょうが、死んでは話にならぬ。かといって、ひとり生き永らえたのなら、この母の恥辱の種にしかならぬ。」
「奥さまは誇り高いお方。ご子息もよう存じ上げていらした。……ときに、襁褓のシークに耳飾りを持ち帰りました。」
 彼女は深く溜息をついた。そして、二人のヤールを見比べ
「ラザックのヤール。アナトゥールさまの代わりに、お前が穿刺して差し上げて。哀れなこと。名前すらないのだよ。父親の代わりに名前はつけられないからねえ。私たちの最後の拠りどころが襁褓の中とは、心許ないこと。今の私たちには、幼いシークを盛り立てていく力もなくなったようだし。」
と言って、眉間を抑えた。
 ヤールたちは、一室がどうにか感情を抑えられる状態なのだと判断した。
「そのことですが、ご遺言がございました。」
 ラザックのヤールは、王家と正式に臣従の契約を交わし、保護を受けることになった旨を伝えた。
「ご遺言とヤールたちの決定に従う。」
 一室の宣言は無感情だった。ヤールたちは安堵した。
 一室は、ロングホーンのシークに初めて視線を据えた。
「貴方の前で失礼かとは思うけれど、夫を亡くした老妻の繰事とお許しあれ。アナトゥールさまは何故そこまで……と思うのです。」
「奥さま!」
 一室はラザックのヤールの制止を無視した。
「……お父上亡き後、あの方は苦しまれて私によう口説かれたよ。お側に上がって久しい私には気安かったとみえて……。その度にお慰めしたものだが、得心がいかなかったのでしょう。とうとう恩義を返して、それ以上のことをなさって逝ってしまわれた。」
 ラディーンのヤールは一室に同意し
「我々の思うのも、そのところでしてな……」
と言って、ロングホーンのシークに視線を向けた。
 二人の表情には、隠しきれない恨み辛みが滲み出ていた。
「奥さま、ラディーンのも。アナトゥールさまのなさりように疑問をはさむのか? お慎みなさい。そのことは二度と口にしないように。」
 ラザックのヤールに窘められて二人は口を噤んだ。しかし、ラザックのヤールとて同じ思いのことは知れていた。重苦しい雰囲気が流れた。誰も口を開くことはなかった。

 三室に抱かれて襁褓のシークが現れた。皆は王女の許へ赴き、形通り臣従の儀式を行った。
 王家の臣下となった宣言の後、それまで大人しくしていた赤ん坊が、火のついたように泣き出した。母親が慌てて宥めたが、泣き喚き続けた。
「襁褓のシークは、乳の飲みがあまりよろしくなくてね。よくむずかるのです。草原の暮らしに戻れないのも、そこが心配でね。」
 一室は、三室に目配せをした。
「ヤールたちに、この子の母として頼みがあります。」
「シークのご生母の仰せを伺おう。」
 三室は躊躇し視線を彷徨わせた。皆の強く促す気配を感じて、ようやく小さな声で
「あの……襁褓のシークの為に、私は定住したいのです……」
と述べた。
 ロングホーンのシークは驚愕した。王女も小首を傾げた。
 ヤールたちは眉を顰めた。怒鳴り出しそうだった。
 一室は慌てて、言い連ねた。
「法外なことと思わないで! もうこの赤子しか残されていないのだから。三人で話し合ったのです。皆までとは言いません。私たちと身の回りの世話をする者をいくらかでも。」
「我々の立場は大きく変わったのです。ロングホーンのように定住するのも事の流れでしょう?」
 妻たちは必死に訴えた。
 ラディーンのヤールは渋い顔をしたままだ。定住は堕落につながると思っているのだ。
「ラディーンは定住などできない。ラザックはどうなのだ? 家畜はどうする?」
 ラザックのヤールも、いい顔はしなかった。だが、頼りない赤子を見ては、反対もできない。
「邸を構えるのは、襁褓のシークのためには仕方がない。我々はシークのごく傍で、草原の暮らしを続けよう。王家は本領安堵を約束した。草原のうちに、天幕暮らしをしようと不都合は無いはずだ。」
 そう言って、ロングホーンのシークを見つめた。強い目だった。
 ロングホーンのシークは、ラザックのヤールの決して言えない感情を痛いほど理解できた。彼は同じように感情を抑え込み
「勿論そうだ。襁褓のシークはこの場所に邸を構えるのか?」
と尋ねた。
「ここは温かいし、物も楽に手に入る。赤子の為には良いだろう。ラディーンはどう思う?」
「よかろう。秦皮の村はよう知れた場所だからな。」
「秦皮の村か……何やら寒村めいた名前だな。」
 ロングホーンのシークは、ラディーンのヤールの背負っている“ジークルーン”と銘じた馬上刀に目を留めた。
「襁褓のシークの健やかなるご成長を祈念して、また新しき門出の餞に、私にさせて欲しいことがある。」
「何なりと。」
「忠実なるラザックと勇敢なるラディーンのシークにして、誉れ高き左利きのアナトゥール殿のご子息。その御方の在所として、相応しい名を与えよう。“ ラザックの剣 ( ラザックシュタール ) ”」
「それは勇ましくも立派なお名を。ありがたいことです。」
 二人のヤールと三人の奥方は恭しく首を垂れた。


 こうして、ラザックシュタールと名付けられた街を得て、ラザックとラディーンは王家の臣下に入った。
 ロングホーンのシークは王女を連れ、都に帰還した。そして、約束通り女王の戴冠を行い、その夫となって、大公と称されるようになった。よく女王を援けて都を復興させ、仲睦まじく暮らし、子供にも恵まれた。
 しかし、ひょっこり女王が他界した。長子が母の後を継いだが、王を称することはしなかった。子供は父系に属するものとするロングホーンのしきたりを重視したのだ。
 王家の名は歴史の中のものとなった。以降、この国は大公家が支配することとなった。

 一方、ラザックとラディーンは王家の保護下で威勢の挽回に努めた。女王の亡き後も、大公に忠誠を尽くし保護を求めた。
 彼らは、ラザックシュタールの街を、秦皮の村と呼ばれた元の場所からもう少し南に移動させ、襁褓のシークの為に邸を建てた。
 やがて、南方から続く街道がラザックシュタールから都へ伸びた。
 かつては、草原の民が羊と馬を物々交換するための市に過ぎなかった名ばかりの寒村に、南から様々な物資を携えた隊商が訪れるようになった。そして、草原の民を傭兵に雇い、都へ赴く。
 この交易が富を生み、この地で発見された良質の岩塩が、莫大な富を生むこととなった。


 ラザックシュタールは直ぐに都に匹敵する栄えを見せた。
 多くの塔を擁する長く厚い城壁に囲まれ、その中には“塩の山”と呼ばれる岩塩鉱山をも含まれた。
 シークの邸は大食の建築家による壮麗なものと変わった。といっても、シークが街の中で寝泊まりすることは数えるほどだった。家畜を追い、時に襲撃をし、先祖がそうであったように暮らした。

 長い年月の間に、大公家とシークの関係にも変化が訪れていた。
 王家の臣下として対等であった二者は、王家の断絶後、大公に臣従するシークの図式になった。大公は度々シークを都に召し出して忠節を試した。やがては、半年ずつ都と草原に暮らす生活を強いるようになった。
 シークは交わした契約を愚直に遵守し、大公家に従った。
 しかし、そのことが都のロングホーンの貴族たちの侮りの対象となり、誰よりも忠実でありながら、外様の立場に据え続けられることとなった。



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