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 草原の民の母体である一族が去った。見るからに少なくなった軍勢を敵方は侮った。しかし、それが間違いであることがすぐに証明された。
 アナトゥールは、ラディーンの働きを大いに評価した。
「ラディーンよ。若きラディーンはまた、勇ましきラディーンだな。感服した。これ以降は勇敢なるラディーンの二つ名で呼ばれるがよかろう。」
「シークのお褒めをいただき、これ以上の喜びはありません。」
 既に、王女とロングホーンのシークが、多くの犠牲を強いられながらも落ち延びたとの報告を得ている。彼は、最後の戦いに出ることを決意した。

「さて……、私も在所を飾ることにしよう。」
「はい。」
「私はこれより竜船の主を屠りに参る。私が戻っても戻らんでも、ラディーンは草原に引き、ラザックの残った兵と合流して、都を取り戻すのだ。ロングホーンのシークに従え。くれぐれもな。我々は王家の臣下になったのだからな。固く申しつける。」
「かしこまりました。」
 アナトゥールは軍勢を眺め溜息を洩らした。
「ラディーンは数を減らしたな。だが……減ってなお意気盛んである。」
「入江の民どもに“狂犬のラディーン”の醜名をもらいました。」
 ラディーンのヤールが苦笑すると、アナトゥールも軽く笑った。
「悪くないではないか。ところで、我が息子の消息は?」
「天帝のお招きに応じられました。」
 目を閉じたアナトゥールに、哀しむ色が浮かんだ。しかし、ほんのしばらくで消えた。
「……武名高き自慢の息子であったが、運が尽きたか。父より先に逝くとはけしからん。」
「何事も天帝の思し召しかと存じます。」
「……では、きっと申しつけたぞ。」
「よくよく肝に銘じましたゆえ、ご安心あれ。……三騎ほど! シークのお供をせよ。」

 アナトゥールは愛刀に手を掛けた。震えるような気配が剣から伝わってくる。
“恐れるな! 力を込めて打ち掛かれ。私は常に御身と共にある。”
 それは、彼を守護する盾乙女のジークルーンの語り掛けだった。
「ああ。天帝の宴席で、お前が酌をしてくれるのを楽しみにしている。」
 彼は小さく独り言をして、女神と同じ名のついた剣を抜き放った。

 ラディーンの戦士を三騎伴い、アナトゥールは渾名通り左手に抜き身の剣を握り、竜船に軽々と駆け上がった。雑兵を伴いに任せ、揺れる船の上で船主と切り結ぶ。
 何度かの打ち合いのあと、船主の左肩から袈裟がけに深く切りつけて斃した。
 返り血を浴びた。施した茜の威し化粧と混じり、顔が真っ赤に染まった。
 彼は頬を伝う温い血潮を拭い、猛る馬を鎮めた。敵の骸を見下ろし
(私は生き延びるのか? …ジークルーンは再び私を守り抜いたのか?)
と自問した。
 ラディーンの戦士が大声で呼びかけた。
「船に火がまわった! 焼け落ちますぞ!」
 アナトゥールは我に返り、馬首を廻らした。
 その時。それは、一瞬のことだった。
「父を殺したな!」
 物陰から飛び出した少年が、背後からアナトゥールを槍で刺した。
 ラディーンの一騎が少年に剣を振り下ろし、あとの二騎が慌てて駆け寄った。

 驚き嘶いた乗馬は、よくしつけられていると見えてすぐ鎮まり、背の主人をじっと窺っている。三人のラディーンは、アナトゥールの胸から突き出た長槍の穂先を見た。
 アナトゥールは彼らに言うともなく、小さく、だが驚いた様子で呟いた。
「女だ……武装した……」
 そして、馬首に伏した。
 ラディーンの戦士が首をそっと探った。
 “左利きのアナトゥール”はこと切れていた。

 三人のラディーンの戦士は鳩首し、素早く相談をした。
「聞いただろう? ……ジークルーンが天帝の御許にお連れしたのだ。」
「馬に跨ったままのご最期とは……サガに謡われるような往生だな。」
 その間にも、炎はちらちらと甲板を這い寄ってくる。
「さて……このままでは。すぐに炎に包まれるだろう。我々はシークのお供を仕るか?」
「いや、船主を斃したらば、草原へ引き潮と仰せであった。」
「そうであったな。しかし、このままシークのご遺骸を放置するのは……」
 風に煽られた炎がぱっと立ち上がった。三人は怯える馬を宥めながら、大声を張り上げた。
「おお! 炎がそこまで迫ってきた。早く決めねば、我々はどっちつかずのまま不名誉な死を迎えることとなる。」
「ご遺骸はこの炎が清めてくれるだろう。ご最期を伝えるためにも我々は帰投せねばならん。」
「塚に葬るものひとつないのでは心苦しいな。」
「仕方ない。御髪を切って持ち帰ろう。」
「ご乗馬は?」
「動かんのか? ならシークと共に。よう働いたやつゆえ、天帝の許でも役に立ってくれるだろうよ。」
「お世継ぎの為に“刀身のジークルーン”をお持ちせねば。」
「急げ! 焼け落ちるぞ。」
 三人のラディーンは主の手から剣を取り、血に染まった金の髪を切り落として、それぞれ別れの挨拶をすると、火のまわった船から逃げ出した。

 “左利きのアナトゥール”は、まるで船の上に巨大な針で刺しとめられた蝶のようだった。胸に長槍を刺したまま忠実な乗馬に跨って炎に包まれた。三人は船の焼け落ちる様を見届けて、言葉を交わすこともなく帰陣した。

 ヤールは金の髪と剣を見て、静かに問うた。
「立派なご最期か?」
「馬に跨ったまま……」
 こらえ切れず、皆はひとしきり慟哭した。ヤールは咽びながら、残った兵に召集を命じた。

 ラディーンはシークの命令を実行し、ラザックと合流すべく草原を南下した。
 この戦いで、ラディーンは戦士の数を十分の一に減らした。王女を守って草原に展開したラザックもまた、大きく数を減らした。それでもなおシークの遺言通り、ロングホーンのシークの許で軍勢を立て直し、都を目指して攻め上ろうとする。
 そこへ、ロングホーンのシークの従兄弟にあたるテュールセンが、 手下 ( しゅか )の軍勢を連れて現れた。
 彼は合流する前に、まず都へ向かったのだった。が、時すでに遅く、船主を喪った入江の民は、残党をまとめて海へ去った後だった。
 それからここまでの道中、累々たる草原の騎兵の骸と焼け落ちた船の残骸ばかりを目にして、テュールセンは自分の遅参をいやがおうにも知らされた。彼はすっかりやつれ果てていた。
 彼はラザックとラディーンの参戦のいきさつを聞いて更に恥じ入り、身を投げ出して声を挙げて泣いた。
「私の為すべきことを代わって為された恩義には、お返しするすべとて思いつきません。この身の不甲斐なさ! 死して、アナトゥール殿に申し開きがしたい。」
 ラザックのヤールは彼を助け起こし、静かに語り掛けた。
「これは不思議なことを耳にする。かつて、我々のシークも同じことを仰せになった。父の仇に後れをとった不甲斐なさをとな。テュールセン殿のお気持ちは、シークが何よりもお解りであられるよ。」
 テュールセンは気色ばみ
「それでは私の気が済まん!」
と叫んだ。
「兄の氏族が弟の氏族を援けるのは当然の道義である。それに我々も王家に臣従したのだ。」
 ラザックのヤールの冷静な意見を聞き、テュールセンは激したことを恥じた。
「しかし……シークを亡くして、お世継ぎのご長男も戦死されたと聞く。一人息子であったとも。この先どうするのだ?」
「先日、三人目の奥さまに男の子が生まれたので、その子をシークとせよとの御遺言があった。ラザックとラディーンは 襁褓 ( むつき )の中のシークに忠誠を誓ったのだ。」
「そして、ロングホーンのシークに従えと仰せであった。我々は以後ロングホーンの保護を受けたい。」
 二人のヤールには、微かな疑問の色もなかった。テュールセンとロングホーンのシークは信じられない思いで、顔を見合わせた。
 ロングホーンのシークは、かつてラザックやラディーンと共有していた思想を持ち出し拒否した。
「兄の氏族が弟の氏族へ下るなど……。それは、お前たちにとって、恥以外の何物でもないだろう? できる限りの助けはするが、私に従うのはまかりならん。」
 ラディーンのヤールの表情が揺れた。彼は少し考え
「恥……恥か。仕方ない。我々は数を減らした。残してきた女子供も疲れているだろう。家畜もままならん。ラザックのヤールはどうか?」
と尋ねた。
 問われた方も考え込んだが、渋い顔で
「我々とてこの様だ。保護とその確約がほしい。」
と言った。
「確約とは?」
 ラザックのヤールは、ラディーンのヤールと頷き合った。
「ロングホーンのシークと保護契約がしたい。」
 口約束ではなく重い契約の形を取るということは、確実な保護を得る反面、自らを弱い立場であると宣言するのと同じことである。
「誇り高き草原の民が保護契約とは……」
「霞を食っては生きられないのだ。」
「では、王家と契約せよ。我々と対等に。封を受け、保護を得るのだ。」
「封とは? 草原はあまねくラザックとラディーンのシークのもの。ここからは離れない。」
「わかっている。草原は本領安堵だ。約束しよう。」
 二人のヤールは顔を合わせて、無言のうちにお互いを探った。二人とも同じ気持ちのようだとわかると
「ロングホーンのシークよ、貴方を信じよう。……アナトゥールさまの奥さま方と襁褓のシークに、その旨を申し上げてくれ。」
と言った。



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