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 翌朝、王女がロングホーンのシークに守られて草原へ出立するのを見届けて、アナトゥールも自分の部の民と出陣した。
 戦いの最中、落ち延びる途中の一行が入江の民の別働隊に襲われたという報告が入った。
 アナトゥールは、傍流のラディーンの氏族に加勢を命じた。しかし、ラディーンの 氏族長 ( ヤール )は憮然として反論した。
「私どもがシークにお言葉を返すのは、慮外と思し召されるでしょうが、敢えて申し上げます。その儀はお受けしかねる。ラディーンは貴方様と共にいつもありたいのです。ラザックのヤールにお命じあれ。」
「ラディーンはまだ若く数少ないではないか。この度、私と共に戦って、みすみす血統の絶えるのを見るのは忍びない。」
「これはしたり。若くとも遅れはとらぬ。どうか、ラディーンの戦いぶりを見せよとお命じあれ。」

 聞いていたラザックのヤールが叱りつけた。シークの命令に異を唱えるなどはもっての外なのだ。
「これラディーン! シークのご命令に異を唱えるのか。って従わんか。ラザックの戦士に擁されてこそ、ラザックのシークである。我が共に戦うのだ。」
 ラディーンのヤールは聞きわけない。
「ラザックのシークは、誰とあってもラザックのシークよ! 異存を唱えるのなら、どちらがシークの御許で勲を競うか決めようではないか。」
「よかろう。どうやって決める?」
 ラディーンのヤールは川を見やった。何かを探している。しばらくそうすると、一点に目を止めた。
「……見よ! やつらの竜船の舳先に少年が立っているだろう?」
 ラザックのヤールは、ラディーンのヤールの指す先に目を凝らした。
「おう、見張りだの。」
 ラディーンのヤールは頷き、にやりと笑った。
「あの少年を射落とした方が、シークのお側に残るのだ。」

 二人のヤールは弓を取った。まずラザックのヤールが狙いをつける。よく狙ったが、的は揺れる船の上である。矢は少年をかすめて川面に落ちた。
「仕損じた!」
 ラザックのヤールは舌打ちした。ラディーンのヤールは軽く笑い
「ああ、見事に仕損じたな。」
と言った。
 少年は、矢の主を探して、きょろきょろしている。
 ラディーンのヤールは弓弦の張り具合を確認している。一世一代の勝負だというのに、緊張の感じられない朗らかな表情だった。
 ラザックのヤールは悔し紛れに
「ラディーン、少年は警戒しているぞ。お前の矢がかすりもしなかったら、我の勝ちだぞ。」
と言った。
 ラディーンのヤールは右肩をぐるりと回し、唇の端をわずかに上げて相手を見た。そして、箙の矢を吟味すると、一本取り上げた。
「念押しせずとも。まだ私は矢を放っておらんのだよ。」
 ラディーンのヤールが矢を放った。彼は名うての名手だった。その名に恥じず、見事に少年の額を射抜いた。
 ラザックのヤールは目を見張った。黙って見ていたアナトゥールも息を呑んだ。
「驚いた! ……揺れる船の上でなければ、容易であったものを。」
 ラザックのヤールは悔しがり、腿を叩いた。
「この戦が終わったら、弓の稽古に励むことだな。約束だぞ。我々が残る。」
 勝ち誇ってラディーンのヤールは、自らの兵の方に駆け去った。残された二人は苦笑した。

「……しかし、数に劣るラディーンを残しては不如意でしょう? 半分ほど残しましょうか?」
「ラザックのヤールよ、重要な役目を与えよう。」
 アナトゥールは左耳の耳飾りを外し、ラザックのヤールに渡した。
 ラザックのヤールは驚き、掌の耳飾りを見つめた。その耳飾りは一族の主の証だった。黄金の日輪に喰らいつく天狼の意匠。何度も見ているはずなのに今日ばかりは、爪を立て牙を剥く翡翠の狼に身震いが出た。
「子供は九人設けたが育ったのは四人、うち三人は娘だ。息子には恵まれなかった。だが、三番目の妻の許に先頃、男の子が生まれた。その子にこれを渡すように。」
 ラザックのヤールは、主人の覚悟を知った。
「……ご長男は?」
「あれは私と共に残る。父と共に死ぬだろう。」
「何もご長男まで……」
 アナトゥールはほっと息をつき、微笑んだ。
「息子はまだ家族もなく、死んだところで悲しむのは母だけだ、と言った。といってその母は、この正念場に背を向け草原へ生きて戻ったら、その後決して自分を許さないだろう、と。母を苦しめ続けるよりは一時悲しませる方がいい、と。あたら若い身で死なんでもよかろうと思うが、死んで悪いこともない。」
「はい……」
「お前らはこの後ロングホーンのシークに従い、都奪還の計に加わるように。私はこれより都への道をつけに参る。」
「承知しました。」
「赤ん坊のシークに従えよ。しっかりご機嫌を取り結ぶようにな。争いはならぬ。」
 アナトゥールはそれだけ言うと、乗馬に歩を命じた。ラザックのヤールは、その後姿を切ない気持ちで見つめたが、駆け寄り、思い切って尋ねた。
「ひとつお尋ねしたい。何故そこまで王家に尽くすのです?」
「昨日、私は正式に王家の臣下になった。だから主君の為に戦う。表向きの理由は以上だ。」
 淡々と言う言葉の最後に、少し感情が滲んだ。
「表向きとは? 本当のところをお聞かせあれ。」

 アナトゥールは少し逡巡する様子を見せ
「父の仇に後れをとった不名誉なシーク、と後々謡われるのは我慢がならぬ。恩義あるロングホーンのシークのために働いた信義厚いシークと讃えられたい。」
と言った。だが、余計なことを語ったといった風に目を逸らした。
「しかし……」
「ハヴァマールだよ。“永遠に生きるもの、其は死者の勲の誉れ”。」
「しかし、部族が疲弊して何の誉れでしょう? 幼いシークの許で何の栄が?」
 アナトゥールは目を閉じ、やがて厳しい表情で命じた。
「逆境にあっても子を産み育てよ。弱小の部族に成り下がっても、忠実なるラザックと呼ばれることに誇りを持て。」
 もう説得することすら無理なのだとラザックのヤールは悟った。
「はい……」
「赤ん坊のシークはお前たちが養育するのだ。栄のあるなしもお前たち次第だからな。」
「仰せの通りに、アナトゥールさま。貴方様のことは、末永く語り継ぐことでありましょう。しばしのお別れを申し上げます。」
 ラザックのヤールは溢れそうになる涙を隠す為に、平伏した。
 アナトゥールは下馬し、蹲る彼を跨ぎ、再び騎乗した。
「おう。では、私は竜船の主を討ち取って、天帝への土産となそう。……さらば、天上の宴席で待つ。」
 晴れ晴れとした口調だった。
 ラザックのヤールは、駆け去る足音を平伏したまま聞き続けた。それが遠く聞こえなくなっても、彫像のように蹲り続けた。

註   ハヴァマール:神の箴言、訓言。処世訓のようなものもの。


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