5.
 エティエンヌの運が開けた。
 かつての主君が彼を探していた。
 ノルマンディーの国土は敵に蹂躙され、城をいくつも失っていた。
 公はエティエンヌを惜しみ、邪悪な心から、彼を中傷した者は追放した。
 かつて、エティエンヌが王に立てた忠誠の誓いと、助力の約束をたてに、帰還を懇願した。
“私を助けに帰って来るように。そなたが必要なのだ。”
 書状には、そう書かれてあった。
 エティエンヌはこの知らせに、王女のために心痛めた。

 二人は既に深く愛し合うようになっていた。
 しかし、二人の間には、恋に狂った振舞はなく、卑しい軽はずみもなかった。
 ただ、物語をし、贈り物を交わすだけであったが、それが二人の恋の姿だった。
 王女は彼を我が夫として引き留めたかった。
 彼女はエティエンヌに、妻ブランシュがいることなど、露ぞ知らなかったのである。

「行くべき道はいずれか?
 この国に長く居すぎた。
 ブロドウェンと巡り合うとは、不幸だったのかもしれぬ。
 互いに、これほど愛し合うようになるとは…。
 別れがこれほど辛いとは…。
 姫と私と、どちらか一人、或いは二人とも死なねばならぬのかもしれない。
 かと言って、主君が私を必要と思召されるならば、戻らねばならぬ。誓願がある。
 この地には、これ以上留まるべきではないということだ。
 だが、恋しいブロドウェンと結婚して伴おうにも、神の教えが許しはしないだろう。
 何もかもが、思うように運ばない。
 神よ、お憐みください。」
 彼は思い悩んだ結果、ノルマンディーに帰る決心をした。
「ブロドウェンのお父君は、平和を取り戻し、お心安くおられる。
 どんな敵ももう戦いを挑むことはないだろう。
 王にお仕えすると約束した期日は、未だ過ぎぬが、主君の懇願に応じることをお伝えしよう。帰還すると願い出ることにしよう。
 ブロドウェンには…、事情をお話して、それでも私をお望みになるならば、出来るだけのことはしよう。」

 エティエンヌは主君の書状を王に見せ、暇乞いを願い出た。
「主君が苦境にあるからには、帰還し、お助けせねばなりません。誓願を立てておりますから。
 しかし、今後、もしあなたが助力を必要とする時がくるならば、その時はまた御許に戻って参りましょう。」
 王は哀しみに沈んだが、これまでの働きに倍するほどの報奨を与え、暇をとらせた。
「お許しをいただけるならば、王女さまにもお別れを申し上げたいと思います。」
 エティエンヌの丁重な言葉に、王は喜び、王女に会うのを許した。

 王女は彼の来るのを見ると、喜び、すぐさま駆け寄った。
 彼は事情を話し、帰還することを告げた。
 すると、妻のあることを話そうとする前に、ブロドウェンは悲嘆のあまり、泣き崩れた。
 彼女の様子に彼は、胸が潰れそうだった。
 彼女を援け起こし、腕にきつく抱きしめて言った。
「愛しいブロドウェン、私の申すことをお聞きください。
 あなた次第で、私は哀しみもすれ、喜びに打ち震えることもします。
 やむなく、故国に帰りますが、あなたのお望みになることは全て成し遂げましょう。」
 ブロドウェンは答えた。
「ここに一人残されるのには耐えられません。私もお連れください。
 それが叶わぬというのならば、死んだ方がましです。」
 エティエンヌは苦しげに言った。
「お父君とのお約束の期日を待たず、やむを得ないとは言え、出発するのです。
 その上、あなたをお連れしたら、王は裏切られたとお思いになるでしょう。
 しばらくのことです。お待ちいただく期限を決めましょう。
 戻ることをお望みであれば、命のある限り、あなたの許へ帰りましょう。」
 王女は、自分を連れに来る期日を決めて、彼に告げた。約束を取り交わすと、二人は長く別れを惜しんだ。
 別れ際に、お互いの指環を交換し、約束をきつく確認し、口づけをした。

 エティエンヌの乗った船は順風に恵まれ、ほどなくノルマンディーの地へ降り立った。
 主君である公はもちろん、多くの人が、彼の帰還を喜んだ。奥方のブランシュも喜びの涙にくれた。
 しかし、彼は物思いに沈んだ様子で、人を遠ざけ、嘆いてばかりいる。
 ブロドウェンとの恋が、気がかりで仕方がなかったのだ。
 ブランシュは理由がわからず、心を痛めた。
 留守中の仕儀に、何か気に入らない点があるのかと、夫に尋ねた。
「ブランシュ、そなたに落ち度があったのではない。
 私は彼の地の王との約束を違えて、契約の期日を待たずに帰還した。
 王は私を惜しんでくださった。それで、必ず戻りましょうとお約束したのだ。
 約束をまた違えたくはないから、何を見ても、何をしても、心が晴れぬ。」
 それは半ば本当であり、おおむねは偽りだったが、ブランシュに全てを話すことはできなかった。
 彼女はそれ以上、何も尋ねなかった。

 エティエンヌは公に従い、大いに働いた。公も彼を頼りにした。やがて、国は回復された。
 ブロドウェンとの約束の日を守るため、彼は敵方と和平の交渉に駆けまわった。
 公と敵は和睦を結んだ。

 エティエンヌは出発するのに、かつて共に海を渡り、王女との秘密の恋を知る楯持ちの若者だけを伴った。
 彼の地に到着すると、忍んで宿を取り、若者を使いに出した。
“約束通り、御許に戻りました。日が暮れたら、この若者と共に街をお出になってください。私もお迎えに上がります。”
 そう伝言を持たせた。

 若者は苦労して、こっそり王女に会うことに成功した。
 ブロドウェンは打ち沈んでいたが、エティエンヌの到着を聞くと、涙を流して喜び、若者を抱き締めさえした。
 彼女と若者は夜を待って、街を抜け出した。
 街から出たすぐそこの森、その柵に恋人が待っていた。
 再会を喜び合うと、すぐさま街から駆け去った。



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