8.

 猫のティグルスを可愛がるローラントを、周りの者は安堵感を持って見守った。
 だが、それもすぐに落胆に代わった。
 戦に出れば、やはり女子供まで殺した。やめるつもりはないようで、テュールセンの公爵の軍勢が共に働いた時ですら、彼らが引き上げるのを待って殺戮を始めた。
 それは皆には悩ましく
(このシークに従っていいのだろうか?)
と思わせた。
 それでいて、問題が起った時は、誰に肩入れするでもない気質が良い方に働いた。
 何の感情を挿むことなく下される判断は、皆が異を唱える余地もない合理的なものだった。

 時々、大きな諍いがあると、ローラントは調停を早々と切り上げて
「やり合え。」
と一言命じた。
 皆は驚き慌てた。
「乱れます。」
 諫めても、彼は撤回などしない。
「乱れることなどない。強い者が勝ち、支配する。それだけのことだ。」
と言い捨てた。

 その頃、この土地では冬になってもあまり雪が降らず、東の山脈はごく頂のあたりが白くなるだけの年が続いた。
 乾燥する草原の夏は、冬場に山に積もった雪が融けて地下の水脈を満たすことで、命が繋がれる。
 雪が充分降らなければ、水は枯れ、草は芽吹かず、家畜は痩せる。
 冬の蓄えができずに食い詰めた氏族が、ローラントの命令そのままに近くの氏族を襲った。
 その度に彼は、草原に帰りたいと願い出た。
 大公は快くそれを許し
「大儀だね。身体を壊さないか心配だよ。」
と案じさえした。
「野蛮な草原……。この世の中に、いつまでも死闘を繰り広げているとは……。シークは苦労ばかりだな。」
 諸侯は眉を顰め、彼に同情した。
 ローラントは、大変だとも苦労だとも毛ほども思っていない。戦場の空気を感じるのは、彼にはむしろ喜びなのだ。
 最初こそ、草原の諸氏族は乱れたが、淘汰され、均衡が取れるようになった。そして、落ち着きを取り戻した。

 草原に帰っても、のんびり家畜を追うだけの日々が過ぎた。小競り合いもない。
 都の方がきな臭いにおいがした。若い大公に反抗する土豪が現れ、テュールセンの軍勢が駐屯に行っては、ときどき戦闘に至るという話が伝わってくる。
 その度に、ローラントは羨望した。嫉妬すら感じた。

 秋になった。上京すれば、軍務の宣旨が来るものとローラントは期待していた。だが、彼にとっては残念なことに、テュールセンの公爵の働きが効を奏して、争いの気配はなくなっていた。
 退屈な宮廷での毎日が続いた。
 彼は遊びの誘いをほとんど断った。猫のティグルスといる方が多くなり、自身も楽しかった。
 ただ、身分の高い数人の姫君の誘いだけは断ってはいけないと教えられ、嫌々応じた。姫君の脂粉の香り、宴席の酒のにおいに吐き気を覚え、相当我慢せねばならなかった。
 屋敷にいるティグルスのことばかりが気になり、いつも気が漫ろだった。

「……どうお思いになる?」
 そう問いかけられても、ローラントには聞こえていなかった。また猫のことを考えていたのだ。
「シーク?」
 誘いを断ってはいけない姫君のひとり、大公の従妹のギネウィスが覗き込んでいた。
「え……?何?」
 彼女は哀しそうな顔をし
「また、ぼんやりなさって……。わたくしといるの、退屈ですの?」
と言った。
 退屈ではなく、ティグルスが気になるだけだ。
「別に。何の話だった?」
 こういう彼の態度は、彼女にはもう慣れっこになっている。文句も言わずに、先程話したことを繰り返した。
「叔母さまが猫をね。三匹も飼っていらっしゃるの。とても可愛がっておられて。あの方がよ?どういうお気持ちの変化なのかしらって、申し上げたの。」
 彼は、ソラヤに渡した親子の猫のことをすっかり忘れていた。死んだ猫の母親ときょうだいが生きていることを初めて知った。
 猫の話は興味を惹かれたが、その飼い主のことはさして興味もない。答えられもしないし、答えを考える気もない。
「さあ……」
「もう!いつもそんなお答えしかなさらないのね。」
 彼女は拗ねて詰ったが、彼の気を惹きたくて故意にしたことだった。
 だが、彼は慌てもせず、勿論機嫌を取ろうとすることもない。そればかりか、言葉の真意を探るのがもう面倒だった。涼しい顔で黙っているだけだ。
 彼女が手を握って更に何か言ったが、彼は聞き流すことしかしなかった。
 生返事ばかり返すのにも、彼女は少しも気にしないばかりか、余計に構いかけた。
「もう帰ろう。」
 そう言うと、彼女は残念そうな顔をした。

 屋敷に着いても、ギネウィスは馬車から下りようとしなかった。
 ローラントが促しても下りない。
「もっと、シークと一緒にいたいわ。」
 彼は意図が解らず、彼女の目の奥を見つめた。
 彼女は思い切って、望みを告げた。
「ねえ……口づけして。」
 言ってから、あからさま過ぎたと悔やみ、俯いて赤くなった。
 彼は微かに眉根を寄せた。
 彼女は嫌がられたのかと思ったが、勇気を振り絞った。
「してくれないと下りません。」
 彼は黙って引き寄せ、頬に軽く口づけした。
「もっとちゃんとしてくださらないと嫌。」
 彼女はぎゅっと抱きついた。口づけどころか、もっと親密な行為を期待していた。
「そんなことはしない。」
 こうまではっきり言われれば、彼女は身を引くしかない。
「またお誘いしますわ。ごきげんよう。」
 涙目で彼に挨拶すると、屋敷に入って行った。

 ローラントは、ギネウィスのことが嫌いではなかった。しつこく誘う姫君の中ではいい方だった。
 若い彼女は厚く化粧をすることもなく、濃い香の匂いもしない。いいと思う理由は、それだけのことだった。



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