5.

 鷹狩り、会食、夜会。ローラントは誘いを断るいわれもなく出たが、相変わらず、何の楽しみも喜びも感じることはなかった。
 デジューを初め、何人かの公達と一緒にいることは多くなった。しかし、誰が一番の友人か、誰がそれほどでもないのかなどといった違いは全くなかった。
 誰にも分け隔てしないし、誰にも親しい感情もない。去るなら去ればいい、来るなら来ればいい、それだけの思いしかない。
 何人かの姫君が彼を熱心に誘い、中には物陰に引きこんで抱き付いてみたりする者もいた。時折、若衆好みの男が誘ってくることさえあった。
 だが、彼が誰にも興味を示さないのを知ると、彼の心を動かすことなど不可能なのだと、多くの者がため息をついた。
 潔癖症なのだろうかと言う者もあり、感情がないのではないかと鋭い洞察をする者もあった。

 ローラントは、男はもちろん論外だが、女と交わることでは、もう快楽を感じなくなっていた。単なる排泄だった。
 戦場で得た興奮を思い出し、じっくり反芻しながら自分の手で与える刺激の方が、ずっと強い快感と満足感があった。その意味では、彼は不能だった。
 戦場を遠ざかり、脳に刻み込んだ記憶が徐々に薄れていくのだけが辛かった。
(戦はないのか……?)
 そればかり思った。

 戦ではないが、一度だけ決闘騒ぎが起こった。
 女を巡るくだらない逆恨みに因することで、皆は失笑して相手を諌め、ローラントに無視すればいいと言ったが、彼は受けた。
 他愛もない相手だった。打ち落とし、蹴り倒し、馬乗りになった。
 目を見開く相手の顔に恐怖を見出した時、ぞくぞくと歓びが湧き上がった。
 しかし、短刀を抜いた時、見物人たちに羽交い絞めにされ止められた。
「シーク、ここは都です。草原とは勝負のつけ方が違います。」
 近習に諌められ刃を引いたが、直前で奪われた快楽を諦めるのに、随分と努力が必要だった。
 ロングホーンの貴族たちは、色を失った。
「恐ろしいですな。なんともまあ……激しいご気性のようで……」
 多くの者はそう言ったが、ローラントの潔白を皆が知っている。
「おかしな言いがかりを付けるから、さすがにお怒りだったのだよ。」
などと好意的に見る目もあった。
 それを耳にした近習は、こっそり安堵の溜息をついた。

 ローラントの待ちわびていた戦の風がにおってきた。地方のある城主が、大公家に謀反を企てているという噂だった。
(早く俺に命じてくれ。とにかく出陣したい。)
 神にも祈る気持ちだったが、気性の優しい若い大公はなかなか宣旨を下さない。
「冬戦は辛いものだ。」
と言い
「その城主を糺してみるのが先だ。」
と言い、ローラントを焦れさせた。
 兵を集め、城を大きくするための資材を集めているという情報が入って、やっと大公は討伐を決心した。
 戦の計画が議された。
 戦費がどうの、誰の領地を通るの、誰が軍役を負うのかなどと、ローラントにはどうでもよい議題がぐずぐずと話し合われた。辟易した。
(簡単なことだ。俺が手を挙げればよい。)
 しかし、彼が申し出る前に、宮宰が指名した。
「ラザックシュタール。そなただ。」
 ローラントはほくそ笑んだ。
(手間が省けた。)
 誰かが自分が行くと言い出すのを嫌い、彼はすぐさま
「かしこまりました。」
と頭を垂れた。
 連れていた近習がびくりと震え、色を失って俯いた。
 大公は申し訳なさそうだった。
「すまないな。ローラント。」
 宮宰は
「冬戦は草原に任せるのが慣例ですよ。」
と大公に柔らかに言葉をかけ、皆に向けて
「ローラント殿は初めて大公家にご奉仕する。テュールセンさまのご子息に、戦目付を頼むことにしよう。」
と言った。
 その提案に誰も反対しなかった。
 戦目付の付くのは気に入らなかったが、ローラントはそれ以上に嬉しくてしかたがない。笑い出しそうなのをどうにか堪え、いつもの無感情な顔を作って退出した。
「一旗呼べ。どの氏族でもよい。」
 にっと笑って、蒼白の近習にそう告げると、自分は喜び勇んで手ずから出陣の支度をした。

 たった一旗のラザックの戦士を連れたローラントを見て、デジューは驚いた。
「敵は相当の兵を用意しているとか。小さすぎるこしらえではないか?」
「いい。」
「もう二、三旗呼んではどうか?」
「いい。減る。」
「減る?」
 それには答えず、ローラントはさっさと軍勢に出発を告げた。
 やり取りを聞いていた馬周りの戦士が、ひとつ身震いをした。彼らには、ローラントの言葉の意味は解り過ぎるほど解っていた。
(大勢呼んだら、俺の殺す分が減るではないか。)
 彼の心にあるのは、そんな残忍な想いだった。

 戦闘が始まった。
 いつも通り、ローラントは我先に斬り込んだ。鬱屈していただけに、酔いしれ具合も格別だった。
 こうなったら、牧に放たれた飢狼のようなものである。斬り伏せ、斬り伏せ、邪魔になると味方すら斬りつけた。
 忘れかけていた快感が、じわじわと染み渡ってくる。頭の奥にちらちらと蠢く何かがある。久しぶりに、生きている気になった。
 血の臭い、悲鳴、恐怖の表情。全てを脳に刻み込んでいった。
 戦目付役のデジューは、離れた高台から眺めていた。ローラントの戦いぶりは遠目にも判った。彼は驚嘆した。
(勇猛だとは聞いていたが……。噂以上。大人しそうな……女と見紛うあの美貌からは、想像もできぬ戦いぶりだ。)
 “熊皮の戦士ベルセルク”という言葉が思い浮かび、デジューはまさしくそうだと思った。

 一日の戦闘が終わっても、ローラントは陣に帰ってこなかった。デジューが心配して探すと、戦場に立ち尽くしていた。
 そこには凄惨な光景が広がってた。炎が燻り、切断された四肢が散ばっている。沢山の屍が打ち捨てられてもいた。瀕死の怪我人の呻き声がする。
 デジューは目を背けた。
 彼は“どうした?何をしている?”と言いかけて、言葉を飲み込んだ。
 ローラントは眉ひとつ動かさず、虹彩の開ききった真っ黒な目をして、じっと辺りを見渡していた。
(よく見ていられるな……。これこそ草原の育んだ剽悍な気性、というやつか……)
 身動きもしないローラントをしばらく見つめた後、デジューは静かに尋ねた。
「戦が好きか?」
「いや。」
 そうとは思えなかったが、嘘とも思えなかった。
(硝子玉のような目をして……どうにもこうにも気持ちが読めん。まさに“氷のシーク”だ。)
 ローラントにとって、戦は好き嫌いではない。生きる実感そのものだ。
 終わった戦闘を惜しみ、刻み込んだばかりの生の悦楽を思い出すために、立っていたのだ。

 翌日、その翌日と戦闘は続いた。
 一瞬のうちに斬り倒すのにも快感はあったが、十分ではない。
(手の下で、息絶える様子を見たい。感じたい。)
 ローラントは城を眺めた。城は明け渡させて、大公に献上すべきだろうかと躊躇った。しかし、一瞬の躊躇いだった。
 城についての注文はなかった。要するにこの戦は、城主を斃せばいいだけだろうと考えた。
「城に火をかけろ!」
 炎に追われて逃げ出してくるのを待った。
 程なく、兵に守られた城主らしき者が現れた。猛烈な速さで逃げ去っていく。
「出た!追え!」
 そう叫ぶと、一番先に追いかけ始めた。
 相手は一目散に逃げる。立ち合うつもりはないらしい。
 彼はもどかしげに弓を取り、射かけた。
 城主が落馬した。すかさず駆けより見下ろすと、彼の射た矢が肩甲骨の間に突き刺さっていた。
 下馬して蹴ってみたが、身動きもしなかった。
「しまった……」
 彼は何度も舌打ちした。

 報告を受けたデジューは
「戦の常だよ。捕えられたら、処刑だったんだ。死ぬのが早かっただけ。大きな手柄だ。」
と慰め、労わった。
 勿論、ローラントはそんなことを悔やんでいない。
(射殺すなど……。焦って、何とも愚かなことをしたものだ。すぐ目の前にあれ・・があったのに……)



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