もしも花弁が揺れるなら
4.
若く美しい姫君が、ソラヤに一生懸命話しかけていた。
「でね、叔母さま。わたくしがお願いしたら、ローラントさまは草原の歌をうたってくださったの。とても情熱的な恋の歌。……ね、あれはわたくしを想って、歌ってくださったのだとお思いになる?そうだったら……」
その時のことを思い出したのだろう、彼女は頬を朱に染めうっとりとしている。
「……寒いな。」
「え?」
外は雪模様だ。しかし、ソラヤが寒いと言ったのは、天候の所為ではない。
「ああ、雪ですもの。……ローラントさまは、わたくしをじっと見つめて……どきどきしましたわ。美しい緑色の瞳がきらきらしていました。……わたくしのこと、お嫌いではないと思うのだけれど……」
(その男の様子は飽きるほど聞かされておるわ。まったくギネウィスも!そんな伊達男に熱をあげるなど……。それはそいつの手だよ!)
「ねえ。また誘ったら、一緒にいてくださるかしら?」
くだらないことを訊くと思ったが、ギネウィスの真剣な表情を見ると邪険にはできなかった。
「そなたは美しいし、嗜みも心得ておる。嫌な気はしないだろう。」
ギネウィスは嬉しそうにして、相も変わらずローラントの話を続けた。
ソラヤは苦々しい思いで、長々と続く話に相槌だけを返した。かなりの忍耐が必要だった。
ソラヤは先々代の大公の五番目の娘である。末の子供であった。
艶やかな黄金の髪、灰色がかった薄い青の瞳。すらりと背が高く、清々しい容貌の美女に成長した。両親もきょうだいも彼女を可愛がり、麗質を褒め称えた。
元々のきっぱりとした性格は長じるに従って、益々凛然とした気質になった。
淑やかな女らしさは全くない。そればかりか武芸を好み、自分も嗜んだ。そこいらの若君よりもずっと腕がたつ。
他の姫君のように、恋に憧れることもなかった。
縁談が出るような歳になり、父や兄たちが勧めても、一向に受け付けない。多少怒っていた父の大公が詰め寄ると
「私が認める男なら夫にしましょう。」
と言い、候補の若君を馬場に連れ出し打ちのめした。
「こんな男、私の夫になりたいなど、片腹痛いわ!」
万事がその調子であった。
何人かが挑戦したが、誰もが失敗した。
美しいが、気位が高く気性の荒い彼女を、男たちは変わりなく称えたが、求愛はしなくなった。
むさくるしい男の生々しさを嫌い、親の決めた相手に嫁ぐことを強いられる姫君たちの多くは、ソラヤに憧れ喝采した。ソラヤも彼女たちを可愛がった。
どの男よりも凛々しく勇ましいと、熱狂的に慕う姫君も現れた。
姫君たちの期待に応えるように、ソラヤは化粧も髪も結い上げることもしなくなった。
持っていた美しい衣装は、男の着る膝丈のチュニックに全て仕立て直し、長靴で闊歩する。話し言葉もどんどん男のようになった。
父の大公も兄の大公も、亡くなる時には、ソラヤの結婚相手を定められなかったことを悔やみ、どういう男ならばよかったのかと尋ねた。
「腕がたち、清冽凛然とした、高貴な家門の若い男。宮廷の男どものように、恋愛遊びに現を抜かす軟弱者ではいけない。それに、私に釣り合う美形でなくてはな。」
彼女は当たり前のように涼しい顔で答え、二人の大公を呆れさせ、気落ちさせた。
(そんな男は……いない。絶対に……)
落胆したまま、大公たちは死んだ。
勧める者もいなくなると、ソラヤには好都合。崇拝者の姫君を引き連れ、女だけの小さな集まりを開き、男無しの清らかな生活を楽しむようになった。
しかし、ソラヤが馬場に出ても、いつも見物に来る大勢の姫君が減ってきた。彼女の後をついて回っていた姫君も、めっきり来なくなった。
それに従って、ローラントの話が耳に入ってくる。
その男が、彼女の可愛がってきた娘たちの関心を奪っているのに気づかないわけはない。
上手に歌い、踊り、姫君たちに取り巻かれているとも聞こえてきた。
(どうせ、娘たちの間を泳ぎ渡って、いい思いをしているに違いない。嫌な奴がまたひとり増えたか……)
気にしないでいようと思ったが、気になる気持ちをどうしても抑えきれず、ある夜の宴に出た。
姫君が十人ほど集まっている。背の高い黒い髪の若い男が、その中心にいた。
(あれか……なるほど、禍々しいほどの美貌ではあるな。私に匹敵するかもしれん。ま、僅かに……いや、明らかに私が勝っておるが……)
ローラントがソラヤの厳しい目に気づいて、彼女を見た。
強い視線だった。視線が絡み合ったが、ソラヤの方が思わず目を逸らした。
(あいつ……こともあろうか、この私を睨んだ。)
睨み合いに負けたと思った彼女は、これ以上逃げるものかと向こう気が湧き起り、つかつかと彼に歩み寄った。
「お前が、新しいラザックとラディーンのシークか?」
と低く尋ねて、睨みつけた。
姫君たちが、彼女の物騒な雰囲気に慌てた。
「ソラヤさま。“お前”だなんて……」
「ローラントさま。お気になさらないでね。ソラヤさまはこういう調子の方なの。」
姫君が自分ではなくローラントに気遣いするのに、ソラヤは苛立った。
彼は姫君たちの取り成しなどには応えず、彼女の質問に短く
「そうだ。」
と答えた。
先ほどと同じように、じっと強い目で彼女の目の奥を見つめている。
「名を名乗れ。無礼者。」
少し怯んだのを悟られまいと尊大に言ったが、彼は気にする素振りもない。
「ローラント・ツェツィルセン。」
淡々と無感情に答える彼に、彼女は更に苛立った。
「ローラント・セシルセン……」
彼女は一撃で参らせるような言葉を探した。
「セシルセンじゃない。ツェツィルセン。」
静かに言い、彼は目を伏せた。そして、少しだけ唇の端を上げ
「帰る。」
と言うと、振り返りもせず立ち去った。
彼女はぎりぎり歯噛みしながら見送った。
(笑った。私がうまく発音できなかったのを笑った。)
姫君たちは呆気にとられ見送った。
「今……笑った?」
ひとりが言うと、他の者は激しく頷きながら同意した。
「初めて見ました……。“氷のシーク”の表情が揺れるの……」
きゃあきゃあ言って喜ぶ姫君たちを、ソラヤは苦々しい思いで眺めた。
「でも……お帰りになってしまいましたわ。ご気分を害されたのかしら……」
姫君たちは切なげな溜息をついて、ソラヤに非難がましい目をちらちら向けた。
(嫌な男だ。実に嫌な奴だ。澄ました態度が実に嫌味だ。最悪だ。多少、容姿が整っているだけではないか。どこがいいのか、さっぱり解らん。)
ソラヤは、姫君たちの咎める視線に負けるものかと意地を張って、宴が開けるまで居続けた。
ソラヤの顔中に浮かんだ感情は、さすがにローラントにも判った。怒りと憎しみ、敵意だ。
感情を探ろうと努力しても、いつも無理だった彼には、感慨深かった。ただ、敵意を持たれる理由は解らなかった。
しかしそれは、特段悩むことでもなかった。
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