2.

 草原のシークは大公の臣下として、ラザックシュタールの侯爵に封じられる。
 大公の居城では、新しいラザックシュタールの侯爵の受爵式に、多くの貴族たちが集っていた。
 美貌だと言う噂は知れ渡っており、無理についてきた奥方や姫君もいた。
「何でも、傾城“ラディーンの王女”によく似たたいそうな美貌だとか……」
「そりゃあ、宮廷も華やぐというもの。」
「しかし、随分とその……峻烈な戦をするとか……」
 ローラントの念入りすぎる戦の仕方は、都にも多少漏れ聞こえていたのだろう、そんなことを言って、恐ろしそうにする者もいた。
 皆、好奇心を抑えきれずに、入ってくるのを心待ちにしていた。

 ローラントが現れると、皆がほうっと溜息をついた。噂はいつも期待を裏切るものだが、彼らの期待も想像も超えた容姿だった。
 一点の欠点も見いだせない美貌の若い男が、皆の間を足早に通り過ぎていく。彼らは固唾を飲んで見守った。
 水を打ったような静けさの中、ローラントは正面に進み、段上に座った大公の目の奥をじっと見つめた。
 若い大公は照れくさそうな色を見せ、目を逸らした。
 彼は膝を折り、決まり通りの言葉を述べた。
 それが終わると、さっさと広間を出て行った。誰かと視線を合わせることもなかった。また、誰も彼に言葉をかける者もいなかった。憚られたのだ。

 ローラントが出て行くなり、広間はざわざわと話し声に包まれた。
「ローラントか……フランクの伝説の英雄の名前ですな。ツェツィル殿もようわかって名付けなさったらしい。物語の中だけにいるような美形ですなあ。」
「話しかけるのも躊躇するような……。話など……世間話などなさるのかな?浮世離れしておられた。」
「人形みたいでしたな。」
 貴族たちがのんびり感想を話し合っていることに、待ちきれない女たちが話しかけた。
「お父さま!あの方、祝宴に来られる?お出ましにならないってことはないわよね?」
「気安い場所ならお話になるかしら?……いい声だったわ……。どこか欠点があるかと……甲高い声だったり、濁声だったりするのかと構えていたけれど……」
「ああいう方もおられるのねえ……」
 話すだけ話すと、女たちは宴の為に念入りな支度をしなければと、我先に立ち去った。
 諸侯は女たちの様子に苦笑し、自分たちも並々ならぬ興味を抱きながら散会した。

 ローラントのための祝宴が開かれた。
 彼は夜会など知らない。何よりも興味がない。
 お近づきになろうと、何人かの公達が挨拶に来たが、彼は
「よろしく。」
と言ったきり、無表情に相手の目の奥を見つめるだけで、自分から話を振るわけでもない。
 太平を謳歌しているロングホーンの貴族たちには、その視線は睨んでいるように感じられた。射竦められ、言葉を濁して彼の前から去った。
 それでいて、皆目が離せない。
 ローラントはぼんやりと立ち、場を眺めるだけだった。
 男たちがいなくなると、焦れていた姫君たちが早速周りに集まった。
 彼の女たちに対する態度も、先程の男たちへのそれと変わらなかった。
 しかし、彼女らは男たちと違って、側を離れなかった。どんな男でも、女に興味を惹かれないはずがないと思っており、また誰かが自分を出し抜くのも我慢がならなかったのだ。
 あれこれ話しかけ、彼がごく短く答えるたびに騒ぐ。しなしなと含みのある視線を向ける女もいた。
 ローラントはぞっとした。女の媚びる姿は、彼に嫌悪しか感じさせない。
 どんどん言葉が短くぶっきらぼうになり、単語しか出さなくなった。

(困っているようだな……)
 そう思った若い公達がひとり、近寄って来た。
「姫君。ほら、シークはお困りですよ。初めて都に来られたのですから。恋の鞘当ては、もう少しお待ちなさい。」
 彼はにこやかに、女たちを窘めた。
「あからさまに……いつもながら、失礼な方!」
 女たちはぐちぐち言ったが逆らうことはしないで、皆名残惜しそうに立ち去った。
「いやいや、都の姫君は皆、積極的でね。驚いただろう?」
 その男は親しげに話しかけてくる。女よりも男の方が、ローラントには気楽だった。
「いや。だが、草原の娘の態度とは違うようだな。」
「草原の女はもっと楚々としていたか。……私はテュールセンの公爵の息子。デジューだ。」
 ローラントは都の貴族など興味もなく、どの家門がどうだと知ろうとも知りたいとも思ったことがなかったが、男の名乗った武門の古い名家のことはさすがに知っていた。
「そう。デジュー殿、よろしく頼む。」
 “よろしく”とも“頼む”とも一向に思っていないとわかる、淡々とした口ぶりだった。
 デジューは一頻り笑った。
「心にもないことを!素っ気ない男だな。私のことはデジューと呼べばいい。私もローラントと呼ぶから。」
「そう。」
 デジューは益々嬉しそうに
「酒でも。」
と言って、酒杯を差し出した。赤い液体が入っている。
 ローラントは酒杯の端を噛み、歯で質感を確かめた。デジューが不思議そうに見ていた。それに気づいて噛むのを止め、酒を口に入れた。
「これが赤い葡萄の酒というやつか。“左利きのアナトゥール”の話で、ロングホーンの堕落を表す文句にある。」
 ローラントは意識していないが、皮肉にも取れる言葉である。だが、デジューは皮肉とも感じず
「ああ。お前も堕落してみるか?」
と言って、片目を瞑ってみせた。
 ローラントはちろりと舌を出して、唇に残った葡萄酒を舐めた。
「甘くて、不味い。」
 そう言うと、デジューの目の奥をじっと見つめた。
 その仕草には、妖しい艶っぽさがあった。デジューは背中がぞくりとした。
(女たちには、可哀想なくらい冷淡だったが……男が好きなのかな?)
とすら思わせた。
 彼は気を取り直して
「アルヒの方がいいか?あれはきつい酒だから、宮廷ではまず出ない。」
と言った。
「酒は嫌いだ。」
 ローラントは酒杯の端を舐めている。デジューは不審に思ったが、癖なのだろうと軽く考えた。
「その癖……止めた方がいいかもしれんな。」
「え?」
「盃を舐める癖。何か……妙に色っぽいぞ。誤解しそうだ。」
 デジューが笑うと、ローラントは慌てて止めて小さく苦笑した。
「嗚呼、やっと表情が揺れた。お前、楽しそうにもしないし、笑いもしないから、人形みたいだったぞ。よかった。緊張していたのか?」
 ローラントには緊張も何もなかったが
「そうだな。」
と答えておいた。
 デジューは、あまりに無口だからやりにくくなったが、何となく放っておけずに話しかけ続けた。
「歳は?」
「二十五。」
「結婚しているのか?」
「いや。」
「恋人でも?」
「いない。」
 会話を拒否しているわけでもないが、どうにもこうにも続かない。
「つまらんか?」
「いや。」
 楽しくもないが、つまらないほどでもなかったから、ローラントはそう答えた。

 デジューは自分のことを話し、ローラントのことを尋ね、しばらくそうしていた。
 質問しても嫌がる顔もせず答えるが、いくら話しても親しみを見せるわけでもなく、楽しそうにするわけでもない。
 彼は、初めて来たローラントに、無理に自分の相手をさせるのも酷だと思った。
「……ローラント?俺に気を使っているのか?」
「気?使わない。嫌なら帰る。嫌でないから居た。」
 ローラントは相変わらずの無表情で答える。
 そして、ぐるりと広間を見渡すと
「帰る。」
と言って、さっさと歩き出した。
「今度は馬場に来いよ。」
 デジューが背中に呼びかけると、ちらりと振り向いて頷いた。

 デジューは、以前他人から聞いた話を思い出していた。
 草原ではひとの気質もずっと剽悍で、都の者のような思わせぶりな言動は一切せず、直情のままを出すという話だった。
(それなのかなあ。ツェツィルさまはそうでもなかったが……。その話が本当ならば、少なくとも嫌ではなかったということだな。)
 そんなことを考えていると、ローラントのいる間は遠目に窺っていた姫君たちが、どっと寄って来た。
 デジューに詰め寄り、ローラントが話した内容を食い入るように聞いていた。
 妻も恋人もいないそうだと話したときは、格別だった。お互いに目配せして、何か探り合っていた。


註   アルヒ:馬乳酒を蒸留して作る酒。アルコール度数30〜40度。

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