もしも花弁が揺れるなら
氷のシーク
1.
ローラントを憎み疎み続けたツェツィルにも、死期が訪れた。
周りの者の強い勧めを受け、ローラントは父の床を見舞った。
「お前などに、会いたいと言った覚えはない。去れ。」
入るなり憎々しげに言われたが、彼は何も感じることがない。去れと言うから、そのまま踵を返した。
出て行く間際に
「俺の後がお前のような男だとは!草原は荒れ果てるだろう。ロングホーンに呑まれてしまうかもしれない。神さま……」
と嘆く声を聞いた。
元々、父に何の思い入れもない。疎まれたが、それで憎んだり嫌いになったこともなかった。
ずっと変わらず、好きでも嫌いでもなかった。
(くだらんことを思う男だ。)
そう思ったのが、父に対する最後の気持ちだった。
数日後の夜更け、二人の宗族のヤールがローラントの寝間を訪れた。
彼らは平伏して
「尊きシークにご挨拶申し上げます。お跨ぎあれ。」
と言った。
父が死んだのだと直ぐに解った。しかし、何の感情も湧かなかった。
彼は床から出、ヤールたちを跨いだ。彼らは何か短い一言があるのではないかと待った。
だが、彼には何も言うことなどない。
「手水。」
そう言ってヤールの側を素通りし、いつもの時間より早めの手水に立った。
いざ小用を足そうとした時、いつも右手の人差し指にある柘榴石の指環が視界に入った。彼は舌打ちした。
挨拶を受けた時にヤールたちが自分をずっと眺めていたのは、作法を間違えたからなのだと思った。
(指環を彼らの額に圧し当てるのを忘れていた。)
そんな小さなことがひどく気になった。
「指環、指環……」
と呟きながら、急ぎ気味に寝間に戻ったが、ヤールたちは退出した後だった。
(忘れないようにしなくては……)
彼はそれだけ己に言い聞かせると、ぐっすりと朝まで眠った。
アンフィサはツェツィルに殉死すると言い出した。ツェツィルは彼女を熱愛していたが、彼女が彼をそこまで愛していると思っている者はいなかった。
誰もが驚いた。
親密すぎる母子を知っている皆は、ローラントを気遣った。さすがに取り乱すのではないかと全員が思ったが、彼は涙ひとつ流さなかった。
そればかりか、アンフィサの入った喪室の前に佇み、殺される瞬間に叩き鳴らされる楯の音がする間も、じっとそこにいた。
“私、あなたのお父さまに殉死するわ。生きていても何の思いもなかったから、死ぬのも何も思わない。”
“そうだな。その通り。息をしているか、していないか。それだけだね。”
“あなたは私だもの。私はあなただし。解るでしょう、ローラント?”
“さようなら、母さま。”
“さようなら、ローラント。”
それが母と交わした最後の指の会話だった。
「亡くなられました。」
殉死の“手助け”をしたラースロゥが、沈痛な面持ちで出てきた。ローラントは入れ代わりに喪室に入った。
それは掟に反することだったが、ラースロゥも皆も見ぬふりをした。
父の大きな柩の側に、小ぶりな柩がある。そこに母が眠っていた。
白い寝間着のような物を着ているが、豪華な装身具に飾られている。大きな花束を胸に抱えていた。
彼は母の姿を随分と眺めた。しばらく小首を傾げていたが跪くと、母の唇に口づけした。異様に長い口づけだった。
ようやく立ち上がり、舌舐めずりすると
「血の味がする。母さまは死んだんだね。」
と小さく呟いた。
あれほど仲睦まじかった母の死だが、彼は哀しみや寂しさを感じていなかった。
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