16.

 ヘルヴィーグが特別おしゃべりだったわけではない。だが、宮廷の貴族たちは皆、色恋の噂は大好きなのだ。話がどんどん広まった。
 皆がローラントに助言した。
 おしなべて、ソラヤは止めておけ、ということだった。
「あの方はね、絶対に皆の手の届かない星のようなもの。見上げて愛でるものということだよ。星を眺めて、花を手折る。そういうこと。現に触れられる花を手に入れたらいい。」
 デジューでさえ、そう言って止めた。
 しかし、ローラントが助言を受け入れることはなかった。そればかりか
「もう、公女は承諾している。」
と言って、皆を仰天させた。
 大公さえも驚き止めたが、彼の決心は固く、認めざるを得なかった。
 婚礼は、十日後の冬至の祭りの日と宣旨が下った。

 話が知れ渡り始めた頃だった。
 ギネウィスは、城の中庭にローラントを呼び出した。
 冬枯れの庭園には誰もいない。彼女は心細さも感じない程の焦燥感を抱えて、彼を待った。
 彼の姿が見えるなり、彼女は裾を乱して駆け寄った。
「あの恐ろしい話……本当ですの?」
「何?」
「叔母さまと結婚なさるって。」
「本当。」
 即答だった。言い淀む素振りは微塵もない。彼女は絶句した。
 彼女は、彼の一番親しくしている女は自分だと思っていた。度々の誘いを拒まないのは、憎からず思っているからだと疑ってもいなかった。
 都の姫君の誰かを奥方にするならば、自分しかないと思っていた。
 大公の従妹であり、父親が大公家一族の筆頭格であることを遠慮して、求婚をしにくいだけなのだと思い、必ずそのうちに言い出すと信じていた。
 彼女は既に、父親に自分の希望を告げてあった。父親は、ローラントの血統のことは問わず
「遠慮せず、早く求婚すればいいのにね。」
とすら言った。彼女を溺愛する甘い父親だった。

 ローラントは涼しい顔で、ギネウィスを見下ろしている。
「どうして?何故?いつの間にそんなことに……?何故、わたくしではなく叔母なのです!」
「答えに困る。」
 彼女の眉尻が上がった。
「答えて!わたくしのことお嫌いですの?わたくしより叔母のことがお好きなの?」
 彼女は必死に詰め寄った。
 彼にとっては、ソラヤへの気持ちとギネウィスへの気持ちは、種類が違う。比べる対象ではなかった。
 その違いを説明するだけの言葉を、彼は持っていない。元より、説明する気もなかった。
「いや。」
「なら……」
「あなたでは……」
 彼はそこで言葉を切った。
 必ずしも考え込んでいるわけではなかった。苦しそうに見える彼女が、己に及ぼす感覚を確かめていただけだった。
 だが彼女には、彼がソラヤと自分の間で迷っているように見えた。
「わたくしでは……?何?」
「無理。」
 今度はギネウィスが考え込んだ。ソラヤに出来て、自分に出来ないこととは何か。
 彼女は典型的な都の姫君である。雅やかな教養はあったが、ソラヤのように乗馬をすることもなく、もちろん武芸などできない。
 草原では、そういったことも必要なのだろうかと思った。そのことを無理と言っているかもしれないと思った。
 だが、そんなことは取るに足らないこと。はっきりそう言ってくれればいいのにと思った。
 今日ばかりは、口の重いローラントが苛立しかった。
「何が無理なの?叔母みたいに武芸の心得がないから?叔母みたいに馬に乗れないから?今から習います。それに叔母にできないこと、わたくしいっぱいできます。男勝りのあの人にはできないような女らしいこと……」
「習わんでもよろしい。」
「それに、叔母より美しいとは思わないけれど、醜いとも思わない。わたくしは叔母よりずっと若いもの。あの……子供だって、この先いっぱい産んでさしあげられる……」
 涙目で訴えかけたが、彼の表情は少しも動かなかった。
「そういうことではない。」
「そういうのも、こういうのも、どうだっていい!あなたのことを愛しているのです。」
 そう言って、ギネウィスはローラントに抱きつき、胸でさめざめと泣いた。
 切ない思いとは別な期待もあった。
 男が女の涙に弱いのは知っている。彼の言葉が少しでも揺らいだら、付け込むことができるだろうと思った。

 ローラントは
「泣いているのか?」
と言って、ギネウィスの肩をそっと押して、顔を覗き込んだ。
 見つめている緑色の瞳が、少し申し訳なさそうに見えた。
(これは……お考え直しになったのでは?)
 彼女がもっと説得しようとしたところに、絶望的な一言が返ってきた。
「泣かないで、ギネウィス。ソラヤを愛しているんだ。」
 口の挟みようもない。
 だが、彼女は諦めきれなかった。
「……わたくしのことは?」
「好き。」
 しかし、それは彼女を気遣って言っているのではない。訊かれたから答えたにすぎない。
 彼にとって、姫君たちの中では、好きな方というだけの意味であった。
 好き・嫌い・無関心の三つの中で、嫌いではない、どちらかと言えば好き、という程度でもある。
 しかし、そんな意味だとは、ギネウィスは思わない。思いたくもない。
「……だったら……」
“わたくしの方がいいではありませんか?”と言う前に、痛烈な言葉を聞かされた。
「でも、妻と呼びたくはない。以上。」
 言うだけ言ったとばかりに、ローラントはギネウィスを押しやって、早足に立ち去った。振り向くこともなかった。
 彼女はすっかり涙も失せ、呆然と後ろ姿を見送った。

 我を取り戻したギネウィスの内に、沸々と怒りと恨みが湧き上がってきた。ローラントに対するそれと、ソラヤに対するそれと。
 やがてそれは、ローラントへの諦めきれない想いになり、ソラヤへのやり切れない恨みに凝っていった。



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