14.

 ヘルヴィーグは、早速ソラヤにその時の話をした。上気し、鬼のような表情になった妹に、彼はたじろいだ。
「ローラントを夫にするということは……」
と言いかけるやいなや
「ないわ!あるわけないだろうが!」
と怒声が飛んできた。
「だが、そなたの出した結婚相手の条件では……」
 ソラヤの鋭い視線を受け、ヘルヴィーグは慌てて口を噤んだ。
 彼女自身も、それに合わせてローラントのことを考察してしまったのに、苛立たしさを感じていたのだ。他人に同じことを考えられているのは、我慢がならない。
「あいつ……そんな畏れ多いこと、二度と口に出来ぬようにしてやる。」
 そう兄に宣言した。

 翌日。ソラヤは広間の扉の外に仁王立ちし、朝議を終えて出てくるローラントを待ち構えた。
 彼が出てくるなり、彼女は黙って左耳を掴み、引っ張った。
「天狼が落ちる。」
 彼はそっと腕を掴んで下ろさせた。
 “天狼”とは、シークの耳飾りのことである。代々受け継がれる当主の証である耳飾りが落ちるということは、死ぬということである。それのある左耳を触ることは禁忌であった。
 彼女は掴まれた手を振り払った。百も承知で左耳を引っ張ったのに、何故か再び掴む気になれなかった。
 貴族たちが興味津々に眺めている。怒鳴り散らしたいところだが抑えた。
「話がある。」
 彼女は、沢山ある小部屋のひとつに、彼を連れ込んだ。
「お前、兄に何か言ったようだな。外堀から埋めるつもりか?」
「訊くから答えた。」
 しれっと答える彼に、彼女は上気した。
「殴るな。蹴るな。」
 先に釘を刺されて、彼女は唇を噛んだ。そう言われても、いつもなら遠慮なく殴り蹴るが、その時は何と言って撃沈してやろうかと、そればかり考えていた。
 彼の方が先に言葉を発した。
「お前は俺をひどく嫌うが、それはどうしてなのだ?」

 ソラヤは、そのわけを述べようとして戸惑った。
 最初こそ、どうせ浮ついた優男だろうと思ったが、今はそうではないことを知っている。
 認めたくはないが、彼女を慕っていた姫君の関心を奪い去ったことも、気に入らなかった。
 しかし、女である彼女にまとわりつくより、男であるローラントに目が行くことは、娘たちにはむしろいいことだ。元より、彼にそのことで敵意を持つのは、筋違いなのだ。
 それならばと、公女である身にぞんざいな口をきくからと言いたかったが、彼女の方こそ最初にそういう扱いをしたのだ。それも理由にしにくい。
 よくよく考えれば、彼は草原のシークなのである。
 都では、ラザックであると蔑視されることもあるが、何かあれば、大公家はすぐに草原の軍勢を頼りにするし、ラザックシュタールの富を頼りにする。ロングホーンの貴族たちも相当な数、彼に借金をしている。
 草原の民は、大公家など敬いもせずに、シークを貴ぶ。
 シークが臣従しているのは、大昔の恩義の為だけである。
 大公家の娘というだけで、謙る義理は無いと言えば無い。
 答えられなかった。

「それは、お前がおかしいからだよ。変だから!」
 ソラヤは辛うじて、そう理由づけた。
「そうだな。俺はおかしいのかもしれん。そればかり考え込むようになった。」
「考えたわりには、おかしいままだな。」
 彼女は嘲笑ったが、ローラントは怒るでもなくただ目を伏せた。
「そうか。」
 彼女は興醒めにも似た気持ちになり、どう話を続けようか惑った。
「猫を殺そうとした時、お前はおかしいと言って止めた。」
「おかしいだろうが。」
「うん。それで、猫を持って帰って飼っているうちに、いろいろ解ったことがあった。」
「……何が?」
 彼女は何となく予感がした。彼がおかしな発言を始めるという予感である。
 彼は顔を上げ、じっと彼女を見つめた。
「“可哀想”に“哀しい”に“寂しい”に“可愛い”だよ!」
 誇らしげに瞳がきらきらと輝いていた。
 彼女は頭を抱えた。
(やはり……おかしなことを言い出したか……)
「……それは猫を飼わねば解らんことか?」
「ああ。ようよう考えないと解らない。特に“可哀想”は難しかった。」
 彼はそう答えて溜息をついた。
 彼女は訊いたことを後悔した。
「……そういうのは、考えることではないぞ?」
「そうみたいだな。でも、俺はそうなんだよ。変なんだろうな。」
 そう言って、彼は踵を返したが、振り返って
「でも……寂しいと哀しいと可愛いは、日々詳しく感じるようになった。」
と言った。
「猫か?ティグルスとかいう猫を可愛がっていると聞いた。」
「あいつは可愛いだけだよ。……お前だ。お前がいると哀しくて、寂しくて、可愛くて堪らん。」
 目を伏せ顔を歪めた彼は、妙に幼い印象を与えた。
「愛しているのに、寂しくて、哀しいのはどうしてなんだろう?」
 彼はじっと見つめて、答えを待った。だが、彼女が答えないでいると、苦笑して扉を開けた。



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