13.

 翌日。
 ソラヤは、朝議の時間を選んで、城の厩舎に赴いた。
 ローラントの馬車の御者を探した。長い髪の草原の者はすぐに見つかった。
「おい。お前の主。ラザックシュタールの侯爵。飼っていた猫が死んだだろう?」
「ええ。それが?」
「どうしておる?」
「シークですか?シークは大変なお哀しみようで、毎日お猫さまのご陵墓に花輪をお供えしておられます。」
 “お猫さま”だとか“ご陵墓”という言葉に、ソラヤは大いなる違和感を覚えた。だが、それが草原の者のシークへの態度なのだろうと思うことにした。
 それを置いても、御者の言葉にはおかしなところがある。
「花輪と申したか?花でも花束でもないのか?」
「さようです。毎日、お城の帰りに大きな花輪をお求めになり、それをお供えしておられます。人の墓に供えるような……それだけ悼んでおられるのでしょうなあ。ご陵墓は花輪に埋もれていますよ。あの世のお猫さまは、花畑でまどろんでいらっしゃるでしょうねえ。」
 ソラヤは唖然とした。
 御者は同情に耐えないとでもいうように、しんみりとした口調で続けた。
「今は、ティグルスさまという新しいお猫さまをご寵愛になっておられますが、前のお猫さまのことを思い出されるようで、そういう時にはお厨にお食事を用意させていらっしゃいますね。」
「食事?」
 まだあるのかと驚いて、単語しか出なかった。
「ええ。前のお猫さまがお好きだった、鴨の肉を細かく叩いたものですよ。」
「それは?」
「それはと仰られても……お猫さまのご陵墓にお供えするんですよ。他にどうしろと?シークがお召し上がりになるわけではありません。」
「……おかしいと思わんのか?」
 御者は苦笑した。
「そりゃあね……多少変わっているとは思いますが。異を唱えるほどのことでもありません。」
「そうか……」
 ソラヤは城に戻りかけて立ち止まり、自分の馬をこっそり引き出した。
 そして、諸侯の屋敷街に繋がる、城の東の橋の側に隠れた。
 朝議が終わったのか、諸侯の馬車が出て行く。
 ローラントの馬車が出て行くのも見えた。彼の馬車は東の街の方へ行かず、南の方へ走って行く。
 ソラヤは、馬車の後をぶらぶらついて行った。
 商人や職人の多い南の街で、馬車は止まった。
 小姓が下り、花屋に入った。ほどなく大きな白い花輪を抱えて出てきた。
(聞いた通り。大げさな花輪……)
 彼女は笑いを噛み殺した。
 ところが、小姓は一向に馬車に乗らない。側で立ち尽くし、やがて項垂れた。
 再び、小姓が花屋に戻った。
 今度抱えて戻った花輪は、先程のものに桃色の花が加わり、より豪華になっていた。
 彼女は腹を抱えて笑った。訝しそうに見ている町人に手を振り、城に戻った。その間も笑いが止まらなかった。
(“氷のシーク”どころか……“子供のシーク”だよ!)
 涙の出るほど笑えた。

「最近、そなたは馬場に来ないね。どうしてだ?」
 いきなりの問いかけだった。ローラントは驚き、振り向いた。
 すぐ後ろに、ソラヤの兄がにこにこして立っていた。
「ヘルヴィーグさまか。驚いた。」
「ぼんやりしていたか?……そなたが来ないと、見物人が少なくて、つまらんのだよ。」
 ヘルヴィーグはそう言って笑ったが、ローラントの表情がいつもと微妙に違うのに気づいた。心配になり、尋ねた。
「相変わらず口の重い男だね。どうした?何やら沈んでいるようだが?……何を考えているのかな?」
 ローラントは淡々と答えた。
「結婚。」
 聞くなり、ヘルヴィーグは実に嬉しそうな顔をした。ローラント自身の為でもあり、面白い話だった為でもある。
「それを悩んでいたか……宮廷の姫君に恋をしたんだね。」
と自分の思いつきに納得して、頷いた。
「姫君……?そうだな。姫君ではある。」
 そんな呟きは、ヘルヴィーグにはどうでもいいことだった。
「誰だ?ギネウィスか?エイリーズか?オードか?それとも……」
 彼はローラントを連れ歩いていた高位の家系の姫君の名前を次々に上げた。
 そして、にやにや笑った。
「まだ、隠しているのがいたか。誰だね?」
 ローラントが口を挟む間もなく、ヘルヴィーグは話し続ける。
「うんうん。解っているよ。そなたはラザックだから、ロングホーンの姫君は頂けないと悩んでいるのだね。そうでもないぞ。私の兄のウェンリルなどは、ギネウィスを溺愛しているからな。彼女の望むことは何でも叶える。オードの父君は難しいかもしれないな。私が口添えしてもいいが?」
 そう言い終えてやっと、ローラントの答えを待った。
「ソラヤ公女と結婚したい。」
 ヘルヴィーグは言葉を失い、ローラントの顔をまじまじと見つめた。
 やがて彼は、笑いながら諭した。
「こんな可笑しな冗談を聞いたのは久しぶりだよ!でもね、ローラント。あれは私の妹なのだから、いけない種類の冗談だよ?」
「冗談?そんなものは申しておらん。」
 いつも無表情な顔に、少し苛立ちが浮かんでいるのを見取って、ヘルヴィーグは笑うのを止めた。
「本気?止めておけ、止めておけ。奥方に治まっているようなソラヤではない。……大体、いつからそんな話になっていたのだ。何故なんだね?」
「何故?」
「ソラヤは美しいよ。そりゃあね……私の姉妹の中では、一番美しく生まれついた。宮廷の婦人の中でもとびぬけた美貌だと思う。贔屓目無しだ。だが、あの気性……」
 ローラントは黙って聞いている。ヘルヴィーグは溜息まじりに続けた。
「行く末が心配ではあるのだが……。気位の高い、あのじゃじゃ馬は、誰にも乗りこなせ……」
 言葉も終わらぬうちに、ローラントは怒鳴った。
「じゃじゃ馬?草原の男に乗りこなせん馬などいない。俺が乗りこなす!」
 瞳がきらきらと深い緑色に輝いている。どう見ても本気だった。ヘルヴィーグは唖然とした。
「何故、ソラヤなのだ……」
 その呟きに、忽ちの答え。
「可愛い。」
 ヘルヴィーグは再び耳を疑った。
「え?何だって?よく聞こえなかった。」
 聞き返すと、ローラントは不思議そうな顔をして
「可愛いではないか。」
と答えた。さも当たり前だと言わんばかりだ。
「世迷い事を……」
 ヘルヴィーグは失笑した。
 ローラントは不愉快そうに
「世迷い事ではない。」
と言い返した。
「気の迷いだよ。」
 彼はもう応えず、鼻を鳴らして早足で去って行った。



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