12.

 ローラントが来なくなると、ソラヤの方が気になりだした。
(最近見ないな。いかにも“偶然ですよ?”というふりをして、しつこく私を見物に来ていたくせに……)
 彼女は、彼の来るであろう時間を見計らって、例の水場に赴いた。
 何日目かに、彼を見つけた。彼は馬の側に座って、ぼんやり水面を眺めていた。
「おい。」
と声をかけると、彼は振り向きもせず
「何だ?」
と言った。
「最近、馬場に来んな。」
「ああ、そうだな。」
「やっと私を諦めたか。ま、お前には過ぎると助言してやったから、聞き入れたのは素直でよい。」
 ローラントはやはり振り向きもしない。しばらく黙っていたが、全く違う話を始めた。
「お前、いくつになった?」
 年齢の話は、ソラヤには不愉快な話だった。彼女はこの頃の結婚適齢期を過ぎている。自ら望んで独身でいるのだが、奇異の目で見られていた。彼女とて人目は気になる。
「……二十五だよ。悪いか。」
「悪い?何が悪い。何故、結婚しない?」
「お前には関係ないだろう。お前こそいくつか知らんが、結婚せねばならん立場だろう?おかしい。」
 彼は相変わらず水面を見つめたまま、苦笑して
「また“おかしい”か……」
と言った。
「そう。お前はおかしい。」
「俺は二十七になった。お前がいいから、その他の女とは結婚しない。」
「……また蹴られたいか?」
「いや。あれは痛かった。二度とごめんだな。」
 彼は小さく笑うと立ち上がり、不自然な動きで騎乗した。
「おい、何故わざわざ私から顔を背けるのだ?」
「お前を見ると辛くなるからな。」
 彼は依然として顔を背けたままだ。
「何故だよ?好きな女を見たいと思うものだろう?」
「お前は俺を嫌うから。見るのも嫌みたいだ。どうしてだか知らんが。お前はすぐ顔に出るから、俺には解り易い。でも、好きな女が嫌そうにそっぽを向くのを見るのは辛い。そういうことだ。」
「なるほどな。解り易く説明できるようになったではないか。……お前、喋るんだな。片言しか話せないのかと思っていた。」
「喋られないのは俺の母だよ。俺は喋られるし、耳も聞こえる。」
 ローラントは、馬の首に視線を落としたままだった。絶対にソラヤの姿を見まいとしているのが可笑しかった。
 彼女は大笑いし、笑い咽びながら
「お前……可愛いな。」
と言った。
 彼は咄嗟に彼女を見て、慌てて目を逸らした。その仕草が、また彼女を笑わせた。
 彼は笑っている彼女を見たかったが堪え、“可愛い”という意味をしばらく考えた。猫のことを思い出した。
 彼の唯一の可愛さの対象は、猫である。
「俺を撫でたいってことか?」
(淫らがましいことを!)
 彼女はかっとして睨んだが、彼は何の含みもない表情であらぬ方向を眺めている。
(また、こいつ特有のおかしな発言か……)
 彼女は不愉快そうに鼻を鳴らした。彼は気にするでもなく、更に思ったことを口に出した。
「ああ、そう言えば、俺はお前を撫でたいな。お前は可愛い。」
 可愛いという形容詞を当てはめられたことは、ソラヤにはなかった。そもそも、彼に可愛いと思われるような言動をした覚えは一切ないのだ。実際、逆のことしかしていない。
 彼女は戸惑い、目を白黒させた。
 彼はこっそり彼女を見て、少しだけ表情を読む努力をしたが、よく解らなかった。それよりも、逃げられる前に言ってしまいたいことがあった。
「愛しているかもしれんと言ったが、あれは間違いだ。」
 彼女は己を取り戻し、咳払いした。
「気の迷いだと、やっと解ったか。」
「そうではない。“かもしれん”ではない。愛しているんだ。」
「……どこを?」
「解らん。……それは重要なことなのか?」
 彼女は答えあぐねた。愛着の理由など問うことが愚かなのだ。彼の答えも疑問も正しい。
 彼は一向に返答しない彼女を不思議そうに眺めていたが、急に表情を輝かせた。
「そうだ。お前はあの時、跪けと言った。褒め称えろとも言っていた。」
と言うなり下馬して、あっさり跪いた。
「可愛いソラヤ。草原のどんな娘より、宮廷のどんな姫君より可愛い。愛している。結婚してくれ。」
 彼女は呆気にとられた。冗談かと見れば、瞳をきらきらさせて、真面目な顔で答えを待っている。
「そういうことは、いきなり言うことではない。お前は……やはりおかしい。」
 彼女は辛うじてそう答えた。
「また“おかしい”か……。でも、断られたわけではないな。よかった。」
 彼は照れ臭そうに目を伏せ、微笑んだ。
 左の頬にひとつ笑窪が浮かんだ。人形のような美しい顔に、可愛さがひとつ滲んだ。
「お前、笑うと笑窪が出るんだな……」
「そう?」
 その後は何を言うこともなく、ローラントはさっさと騎乗して駆け去った。ソラヤは物足りなさを感じた。

 城に帰って、自室に落ち着いて考えてみても、先程のローラントの突然の求婚が信じられない。
 気まぐれで言っているようには見えなかった。
 彼は出自のことで、宮廷の姫君と結婚することはできないと解っているはずだ。それをいいことに、遊び歩くこともできるのだが、そういう話は聞かない。
 ギネウィスから、どんなに側近く寄り添っても、甘えても、にこりともしないと聞いていた。
(宮廷の伊達気取りの男どもとは違うか……?)
 見直す気持ちが湧いた。だが、直ぐに得体のしれない不安を感じた。
(私にだけか……どうしよう?あんなおかしな男に付け狙われるとは……)
 考えるのにも倦み、溜息をひとつついて庭に視線を向けた。すると、植栽の緑色がローラントのきらきらしていた瞳を思い出させた。
「あの樫、あれの葉を全て落とせ。一枚たりとも残すな。あっちの木立も。全部だ。」
 侍女はおかしな命令に戸惑った。
「冬になるのに?丸坊主ではますます殺風景になりますよ?」
「よいのだ。命じた通りにせよ。ついでに、それも取り払え。」
 ソラヤは、夏の野原で狩りをしている情景を刺繍した壁掛けを指さした。
「お気に召していたのに……」
 侍女は首を傾げていた。

 下男が庭木の枝を落とすのを眺めながら、ソラヤは再びローラントのことを最初から考えた。
(まあ、あいつは腕がたつ。それは決闘騒ぎでも判った。念入りな戦をするそうだし。テュールセンの話では、あの姿形からは想像もつかん勇猛さだとか。)
 そこはソラヤも認めるところである。
(見た目も優れておる。娘どもと、ちゃらちゃら遊んでいる風でもない……)
 それも、認めざるを得ない。
(家系も……ラザックではあるが、二つとない高貴な一族であるからして……)
 そこまで考えて、それはかつて父や兄に、自分の結婚相手の条件として宣言したことだと気づいた。
 条件は合致している。
(ただ……あの中身がなあ……どうと言っていいものか……?おかしいとしか言えんわ。)
 普段の無表情な様子、猫を平然と殺そうとした時のこと。
 かと思えば、死んだ猫を惜しんで、神官を呼ぶと言い出したこと。
 見ると辛いからと、そっぽを向き続けていた様子。いつも言葉の足りない話。
 そして、本人は真剣だったようだが、冗談のような求婚。
 思い出せば思い出すほど、笑えてきた。
 下ろされた壁掛けが巻かれて、部屋の隅に置かれている。その端に、親子の猫がじゃれついていた。
 ローラントは猫の墓に花を供えているのだろうか、と思った。



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