8.

 ローラントの何の感情もなかった緑色の瞳が、ぎらりと光った。
「父上は無理に母上を奪ったのではないか。それも自分の父親から!六十の男の妻になり、その息子の妻になるなど……。ただ、美しいというだけで……。こんなひどい辱めがあるか!」
 無口で、その気持ちを語ることなど、今まで一度もなかった息子だった。その激しい詰りに、ツェツィルは怯んだ。
「俺とてそうだ。汚辱を負って生まれた。俺はあなたの息子なのか?あなたの弟ではないのか?……この身が厭わしくてならんわ!」
 ぎくりとさせる言葉だった。それは、ローラントが生まれてから、いや生まれる以前から、ずっと秘め隠してきた疑問だった。
 ローラントは探るように、じっとツェツィルの瞳の奥を見つめていた。真意を測られ、何でも見透かされてしまうと思うような視線だった。

「お前は確かに俺の息子だよ。辱めも汚辱もない。アンフィサと俺はちゃんと愛し合っておる。厭わしく思う謂れはないぞ。」
 ローラントは強い苛立ちを瞳に浮かべて、父を睨んだ。
 ツェツィルは怒りを感じたが、怒鳴りつけたところで、ますます固い態度になるだけなのは、よく知っている。
「子供のお前には、男と女のことは、まだわからんだろうがね。」
 そう言って、出来るかきり気持ちを抑えて、微笑みかけた。
 睨んでいたローラントの目から、すっと苛立ちが消えた。ふっと笑うと、黙って踵を返して出て行った。
(あの息子とはうまくいかない。難しい年頃と言えばそれまでだが、幼子のころからウマが合わん。男にも女にも、誰にも懐くということがない。母親だけ。まるで野生の獣のようだ。)
 苦い思いは、その日のローラントの言葉で増した。時間が癒すことはなかった。

 ツェツィルは、それから、ほとんど草原で寝起きするようになった。ローラントと同じ屋敷にいるのは、気が進まなかった。
 ラースロゥは何となく気づいていたが、まったく屋敷に帰らないのはいけないと思った。町方のやりくりが滞るというもの。
 それとなく帰るように促した。
「息子がな……合わん合わんとは思ってきたが、もう誤魔化しが利かんわ。」
 ツェツィルが皮肉な笑みを浮かべて、そう言った。
「何か?」
「……先日、アンフィサのことでな。無理やり妻にしたと思っておる。そればかりか、自分は俺の弟ではないのかなどと、馬鹿馬鹿しいことを申した。潔癖と言えば聞こえはいいが、どうにもこうにも……。恋のひとつもすれば変わるのかな?……あれが恋など、想像もできんな!」
「そう言うたものでは……。」
「女でも知れば、また変わるのかもしれんな。まあ、もうしばらくすれば、固さもこなれるだろうから、それを待つことにしよう。」
 ラースロゥは考え込んだ。そんなことでは変わらないだろうと知っていた。
「そうですなあ……」
「どうした?何かあるな?言えよ。」
 ツェツィルがじろりと見た。
 ラースロゥは、気づかれた、まずいことになったと思った。
「実は……春先でしたな……ずい分冷えた日に、私の妻が夜は寒いからと、女をね……ローラントさまに侍らせた。」
 ツェツィルは持っていた盃を取り落した。
「何だと!お前……あれはまだ十三だぞ?やっとなったばかりのころだろう?……二つに髪を結った子供に、何ということを!」
「まあまあ、お鎮まりあれ。」
 ツェツィルはラースロゥを睨んだが、やがて笑い出した。
「そうだな。女に抱かれてぬくぬくと眠っただけだろう。つまらんことを思った。怒鳴ったりしてすまんな。」
 ラースロゥは笑いもせずに黙り込んだ。
「何だ?女に跨ったとでも?」
 ツェツィルは笑っている。ラースロゥは溜息をついた。
「何だ?ありていに言えよ。乳兄弟が水臭い。」
 ラースロゥは渋々話し始めた。

 ツェツィルが都から帰った直後には、代わりにローラントが、草原に家畜を追いにくることが多かった。
 陽の射す温かい春の夜は、かえって冷える。その日もそうだった。
 夕食を終えると、ローラントはうっそりと
「馳走になった。」
と呟いて、父親の天幕に入った。
 入るとき、寒かったのだろう、ぶるっとひとつ身震いをした。
 それを見て、ラースロゥの奥方が言った。
「寒そうにしていらっしゃる。今晩はもう早から冷えてきた。寒くなるだろうから、伽を遣りましょうよ。」
 伽とは、冷える夜の天幕で、一緒に寝る女のことである。客人の接待の一環でなされた。そして、暖を取るためだけのものではない。
「伽?まだ子供だぞ。」
「ローラントさまは身体が大きいし、声だって低くなった。子供の天幕で休むのは嫌がるようになられたし……」
「戯れを申すな。」
 厳しい顔を向けると、奥方はふき出した。
「ええ。冗談ですわよ。ただ、寒いから一緒に誰かと休んだら、ゆっくり朝まで温かく眠れるでしょうから。それだけの思いで申し上げたんですよ。」
 ラースロゥも笑って、奥方の額を弾いた。
「揶揄ったな。俺が驚くのを笑いたかっただけだろう?」
「そうですけどね。」
と奥方も大笑いした。
「でも、寒いのは本当。」
と言い、側の女に
「誰か、心利いた奴婢をひとり、ローラントさまのお寝屋に行かせて。」
と命じた。
 一抹の不安を感じたラースロゥだったが、現れた奴婢があばた面の冴えない娘だったので、すっかり安心した。
(この娘ならば、間違っても手をつけんだろう。また我々がそういうつもりで遣ったなどとも、思わないだろう。)
 奥方が娘に予備の毛布を渡して
「失礼のないようにね。」
などと言っているのを背中に聞いて、一族の男たちと酒盛りを続けた。
 翌朝、娘は泣きながら出てきて、自分たちの天幕へ入ると、それっきり出てこなかった。
 伽のつもりではなかったが、曲がりなりにも側に侍った女ならば、朝食の世話をするのが習慣なのに、他の女たちがあれこれ言うのにも一向に従わなかった。

「それで?あれがその娘に乱暴なことをした、とでもいうのかね?」
「……ローラントさまは、娘の乳房に噛みつきました。」
 ツェツィルはラースロゥの顔をまじまじ見て、それから笑い出した。
「そりゃ、お前……感極まったんじゃないか?そういうことをする男はおるぞ。案外可愛らしいところがあったな。」
「かなり強く噛んだようで……」
「そうか。それは悪いことをした。若い娘の喜びそうな物を何か、その奴婢にやってくれ。ローラントにとっても、あまりいい思い出にはならなんようだな。翌朝はさすがにバツの悪い顔をしただろう?ああ……表情のないやつだから、それも出ないのかな?何か申したか?」
「……ローラントさまは“つまらん女だ。手ごたえもなにもない”とおっしゃいました。」
「首尾よくいかなんだくせに、偉そうな強がりを申したものだ。まあ、恥入ることでもない。おいおいうまくいくだろうよ。……そういう話でもないか。そんなことがあったとはなあ……。毛ほどの素振りも見せなんだわ。ああ、可笑しい。」
 ツェツィルは笑い咽ている。
 それだけのことならば、笑い話ですんだかもしれない。
 まだ先の話があったのだ。
 しかし、ツェツィルがローラントのことを御しがたい息子だとあまり好いていないのを思うと、ラースロゥには話しにくかった。
 言い争いをしたのを聞いたから、余計に話せなかった。
 今まで以上に、父親に疎まれるだろうと思うと憐れだった。疎まれるどころではすまないかもしれないと思った。
 娘にも奥方にも厳しく言いつけてあったが、絶対に誰にも知られてはならない。
 ラースロゥは改めて、一生誰にも話さない、墓まで持っていくと固く決心した。

 ローラントは娘の乳房を、反応を観察しながら、徐々に深く噛んでいったという。
 首尾よくいかなかったどころか、痛がる娘を情け容赦なく犯して、朝まで一連の行為を続けた。
 そして、実に楽しそうに笑っていたと、娘は震えながら言った。
 奥方もラースロゥも嘘だと思った。責められた娘が、泣きながら服を開いて見せるまで、信じられなかった。
 娘の乳房には、おびただしい数の赤黒い噛み痕がついていた。

 普段のローラントには、そんな酷いことをする素振りもない。
 無口で、ほとんど笑うことも楽しそうにすることもなかったが、怒鳴り声を挙げるのも聞いたことがない。
 誰に対しても、愛想はなかったが、接し方に隔てもなかった。馬や犬・家畜を傷めつけているところを見たこともなかった。
 それゆえに、ラースロゥは得体の知れない恐怖を感じた。



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