7.

 アンフィサは、ローラントを他の者に渡すのを強硬に拒んだ。少しの間だけ他人に抱かせるのも、嫌がった。
 ツェツィルは気が進まなかったが、そのまま彼女が自らの手で子を育てるのを許した。
 美麗な子供だった。子供らしく可愛いという言い方ではなく、美しいという表現がいつもぴったりだった。アンフィサの面影を余すところなく引き継いでいた。成長すれば、たいそうな美貌になるのは想像に難くない。
 だが、皆が褒め、頭を撫で、微笑みかけるのにも、あまり反応をしない子供だった。
「母君が大事にされるから、他の者には人見知りなさるらしい。」
と皆は苦笑した。
 だが、人見知りという程度ではなかった。ひとと話すよりも、母親と指を使って会話するのを好んだ。
 二人だけの指の動きを決めているらしく、ツェツィルにすら二人の話している内容はわからなかった。
 困ったと思わないではなかったが、明らかにひとを避けたり、人前から逃げるようなこともない。ツェツィルはそのまま様子を見ることにした。
 ただ、おかしな癖があり、それはきつく直した。
 ローラントはかなり大きくなっても、食器のみならず、初めてみるものは何でも口に入れた。舐め、噛み、それをしてやっと納得するようだった。
 言い聞かせ、咎めても、隠れてしていた。だが、狼茄子を口に入れて死にかけると、ようやくしなくなったようだった。
 
 母親の部屋にいつも入りびたりで、楽しそう過ごす息子に、ツェツィルは複雑な感情を抱くようになった。
 ローラントを草原に連れ出し、家畜を見ることを教え、ラザックのヤールに頼んでしばらく置いてもらうようにした。ひととの付き合いを通じて、変わることを期待した。
 ローラントは文句も言わず父の言いつけに従い、ちゃんと仕事をしたが、屋敷に戻ってくると、やはり母親の部屋に真っ先に行っては、夜更けまでいる。
 草原でも屋敷の中と同じで、普通に会話もするのだが、誰といって親しくするわけではなく、一様な態度で接しているという。
 当然、馴染まない性質も変わらない。
「草原はどうか?」
 出来るだけ柔らかく尋ね、何でも聞いてやるという顔をしても
「別に。」
とか
「問題ない。」
と無表情で答えるだけだった。
(可愛げのない……。どう扱っていいものかさっぱりわからん。)
 ツェツィルの苛立ちはどんどん増した。

 相談されたラースロゥは考え込んだが
「誰かに肩入れして道を誤るという話は、よくありますからなあ。それを思えば、悪いことばかりでもない気もします。」
と答えた。
「俺にお前がいるように、相談相手を持ってほしいのだが……そうだろう?一人で物事を決めるのは、唯人には荷が重いこともある。」
「最後に物事を決定するのは、自分ひとりの仕事ですよ。それまで、我々がお支えするわけだし。まあ……確かに、もう少し馴染んではどうかとは思いますね……。孤立しているわけでもないのですが、何分口が重くていらっしゃるから……」
「ほとんど、しゃべらんな。」
「母君と指でお話なさるからかもしれませんね。“寡黙の人、内に力あり”とも言います。」
(受け取り方の問題であると、ラースロゥは言うのだろうか?)
 ツェツィルにはどうしても、ローラントのことをいい方向に解釈できなかった。
(とにかく、アンフィサとべったりはいかん。これはローラントの為である。)

 ツェツィルは、ローラントを自分の居間に呼び出した。小姓も近習も下がらせた。
「お呼びですか?」
 入って来たローラントは、いつも通りの感情の読めない硝子玉のような目を、ツェツィルにじっと向けている。
(こういう表情すら、アンフィサ譲りか……)
 アンフィサの眼差しには心騒ぐが、ローラントの同じ眼差しには苛立ちと嫌悪感しかない。
 気持ちを抑え、どう和やかに話そうかと考えたが、単刀直入に言うことにした。
「今後、お前は週に一日しか、母上に会ってはいけない。」
 さすがに顔色を変えるかと思ったが、ローラントは淡々と
「さようですか。」
と答えた。
 ツェツィルの方が驚いて、言い連ねた。
「何も、意地の悪い思い付きで申しているのではないぞ。」
「はい。」
「お前は、母上にべったりしすぎゆえ。それはよくないと思うのだ。もっと、ひとと交われ。」
「はい。」
 言い訳がましくなったかと
「何か思うことがあるのなら、申せ。」
と優しく尋ねた。
「母上も同じお考えですか?」
「母上も同じだろうね。」
「母上の意向は後回しなのですね。」
 ツェツィルは、母親はこの話を納得どころか知りもしないと、ローラントに知られてしまったと悟った。
 慌てているのを気づかれるわけにはいかない。気を落ち着けて
「こういうことは父親が決めるものだ。」
と静かに諭した。
「さようですか。」
 息子のあまりに無表情な目が不気味だった。内心では軽んじ嗤っているのではないかと思えてきた。
(これは……口先だけで、従うつもりなどないぞ!)
「申し付けたぞ。父の言いつけは守れ。」
「はい。」
「きっとだぞ?」
 ローラントはじっと見つめたまま、答えなくなった。
「何も、母上をお前から奪うわけじゃないんだ。」
 しばらくの間があった。ローラントはぽつりと呟いた。
「……いつもそうですね。」
 気味が悪いほど何の表情も浮かんでいない。
「何がだ?」
「母上の気持ち。」
「……意味がわからんぞ?」
「父上はいつも奪う。」
「何の話だね?」
「いい。」
「申せ。」



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