6.

 シークがラザックシュタールに帰って来た。
 相好を崩して、出迎えたアンフィサを抱き寄せるのを、ツェツィルは苦い思いで見つめた。
 シークは、今まで以上にアンフィサを側近く置いた。男も女でさえ、近くに寄れなくなった。
(親父殿のいる間は、絶対に近寄れないか……)
 耐えられないと思った。ふと不吉なことを思いついた。
(殺すか……?)
 ぞくりとする思い付きだったが、慌てて引っ込めた。
(シークを殺害するなど……。俺は息子なんだから。……だが、死ねば……?もう歳だし、もしかしたら……)
 どうにか自分を宥めても、アンフィサがシークといるのを目にするたびに溜息が出た。
 彼は父の死ぬのを待ちわびた。

 年齢に過ぎる荒淫が祟ったのか、夏風邪を患っただけなのに、シークはどんどん衰弱し危篤に陥った。
 死に際の床に呼んだツェツィルに
「お前、アンフィサを相続するつもりだろう?……あれが産むのは、お前の次のシークだな。」
と言った。その言葉は、気がかりな響きで心に残った。
 シークの葬儀が済むと、ツェツィルはその日のうちに、アンフィサを自分の三室として受け継ぐ宣言をした。
 ラースロゥだけは渋い顔をしたが、他のヤールたちはむしろほっとしていた。
 夫のいなくなった“ラディーンの王女”を巡って、また諍いが起こるのを怖れていたからである。

 アンフィサはその後間もなく妊娠した。死んだシークとの間には一向に懐妊の気配もなく、子供のできない女だと思っていた周りの者は、望外のことに喜んだ。
 ツェツィルは戸惑った。
(こんなにすぐに……?いや、年寄りの親父殿には、もう妊娠させることができなかったに違いない。俺は若いから。それだけのことだ。)
 そう思ったが、どこかに胎の子は父親の種ではないかという引っかかりがあった。
 アンフィサを眺めて見るが、何か含みのあるような表情を見せるわけでもない。愛しげに大きくなった腹をさすっては、ツェツィルにも時々微笑みを見せるようになった。

 春、ツェツィルが都から帰った直後、アンフィサが出産した。
 男の子だった。
 ツェツィルは早速、赤ん坊の耳元で指を鳴らしてみた。赤ん坊は音のした方に反応した。
(耳は聞こえるか。)
 安堵し、今度は指を赤ん坊の顔の前で動かしてみた。赤ん坊は指の動きを目で追った。
(目も大丈夫か。)
「きれいな赤さまでしょう?生まれた時から、こんなにくっきり二重の赤ちゃんは、そうそういませんよ。鼻だって、ぺちゃんこじゃない。さすが“ラディーンの王女”のご子息ですよ。」
と産婆が感嘆した。
 改めて見ると、なるほど美しい赤ん坊だった。生まれたての赤ん坊独特のぶよぶよした感じもなく、顔立ちも既にはっきりしていた。彼の他の子供たちの誰とも違っていた。
 ひっきりなしに瞬きをしている。緑色の瞳がツェツィルを見つめていた。
「月足らずで心配しましたけれど、普通の赤ちゃんと変わりない大きさですよ。安心なさって。八ッ月の赤ちゃんは育つと言うし。」
 忘れたかった不安が、産婆の言葉で湧き上がった。
 ツェツィルは、にこにこ笑いかける産婆に悟られぬように微笑み、じっくり顔を確かめようと被されていた帽子を外した。
 だが、彼はそのまま帽子を戻した。
(黒い髪……。アンフィサは金髪、俺の髪は栗色。親父殿は……俺と同じか。)
 自分と父親、どちらが赤ん坊の父か明らかな確信は持てなかった。考えれば考えるほど、揺らいでくる。

 ツェツィルはラースロゥに赤ん坊の話をし、それとなく髪の色のことを訊いた。
「真っ黒い髪ですか。たまに出ますね。我々は東方からやって来たそうですから、東の先祖の血が現れるのでしょう。」
 確かに、黒髪の者はいた。両親が黒髪でない者の間にも、黒い髪の子が産まれることはあった。
 だが、ツェツィルの物思いの種はそこではない。
 察したのか察しないのか、ラースロゥは話題を変えた。
「お名前は?」
「ローラント。」
「変わったお名前ですなあ。フランクの英雄ですか?」
「ああ。」
「ローラント・ツェツィルセン。……ま、いい響きですわ。」
 そう言って、ラースロゥは微笑んだ。
 赤ん坊の名前に、自分の父称がつくのを聞くと、ツェツィルには思いかけずの違和感があった。
(そのうち、俺に似たところも出てくるかもしれん。)
 そうすれば、自分が父であると納得するだろうと、自分に言い聞かせた。



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