もしも花弁が揺れるなら
5.
シークは、アンフィサをぎっちりと守るように命じて、都へ発った。それは、近習、小姓、侍女はもとより、下働きまでに及んだ。
男たちは呆れた様子を見せたが、シークに何か言うことはなかった。
皆、若い女に溺れたことを呆れるよりは、シークの屋敷で誰かがアンフィサに危害を加えるという杞憂に呆れていた。
アンフィサは屋敷の奥から、まったく出ないのだから。
例え、草原なりラザックシュタールの街になり出たところで、シークの奥方に何か起こるなど、あるはずもない。
それは草原の常識であった。
アンフィサはシークが都に発つのに、いくらかほっとしていた。
シークのことは好きでも嫌いでもない。何の想いもなかった。ただ、毎晩のように激しく自分を攻めたて、終われば朝まで抱き締めて、腕の中に捕えられたまま眠らされるのが、煩わしかった。
そう思っていると、ツェツィルが頻繁に訪ねてくるようになった。
熱っぽい目で見て、何か言い、溜息をついては、しばらくいて出て行く。いる時間が徐々に長くなり、側近く寄るようになった。
(私はこの男の父の妻なのに……)
とは思ったが、そう説得するのも億劫だった。
何を伝えても、引き下がらない男のいるのを知っていた。ツェツィルもその種の男だとわかっていた。
やがて、抱き締められるようになり、口づけされるようになった。しかし、彼女には焦る気持ちも慌てる気持ちも、いけないことだと思う気持ちすらなかった。嫌いにも好きにもならない。
彼女にとっては、いつも男が自分にすることにすぎない。
アンフィサの冷え切った心に浮かんだのは
(シークの奥方になっても、相変わらず……)
ということだけだった。
ツェツィルの方は罪悪を感じていたが、アンフィサを訪れるたびに抑えきれなくなる。
自分のしたことを別れてから後悔し、もう行かないでおこうと思うのだが、ひりつくような慕わしさに負けた。
アンフィサが目の奥をじっと見つめて、もの言いたげに唇を少し開くと、目の前が真っ赤になった。彼女も憎からず思っているのではないかと思えた。
思い過ごしだと自分に言い聞かせて彼女を見ると、いつもの硝子玉のような目をして見つめている。
「お前は俺のことが嫌い……ではないのだろう?」
尋ねてもじっと見つめるだけで、何か感情が浮かぶことはなかった。
(わからないのだろうか? ……聞こえない者も、相手の唇の動きから、何らかの理解をすると聞いたが……。生まれた時からだと、難しいのかな……? )
ツェツィルは訝しく思ったが、拒むこともないのが、彼女の気持ちの最大限の表現なのかもしれないと思った。
気があるのだと思った。
ある夜、ツェツィルはとうとうアンフィサの寝室に忍び込んだ。
眠っている彼女を見下ろした。
(俺はとんでもないことをしているぞ……。このまま立ち去った方がいい……)
と思うも
(ここまで来て……)
という気持ちもあった。
気配を察したのか、アンフィサが目を開けた。さすがに驚いたようで、びくりと震えた。
しかし、それだけだった。無表情にじっと見上げている。
ツェツィルの息が荒くなった。彼はそのまま寝台にゆっくり乗り上がった。
アンフィサは押さえつけられても暴れもしない。寝衣を剥ぐと、夜目にも白い肌が現れた。
夢中で抱き締めた。
恐ろしいほどの快楽を与える身体だった。
「もうやがて、親父殿が戻って来る。どうしよう……忍び込むことも難しくなるだろう。」
そう話しかけても、アンフィサはもちろん何も答えない。無表情だった。
何度も夜を重ねて、抱けば激しい反応を見せるのに、少しも情愛を見せない。
「お前は……何を考えているのか、さっぱりわからぬ。」
もどかしさと苦しさに顔が歪んだが、それにもまったく我関さずの目を向けている。
「せめて、俺の名前くらい言えたらいいのに……」
ツェツィルはアンフィサの唇に触れ、口を開けさせると、指先で舌先をつついた。声は出せるのだから、舌と唇の形を教えれば、何か言わせることができるようになるのではないかと思った。
彼は指を口の中に入れ上顎の内側をなぞり、舌を指先でそっと持ち上げた。
「舌鼓するみたいに……馬に乗るだろ?」
草原訛りの弾くCの音を教えようとした。
そして、名前をゆっくり呟いて、唇の形を写させようと試みた。
アンフィサが真似をして、唇を動かした。
ゆっくりと唇が動くのを見ていると、身体の奥が騒めき始めた。
「舌も一緒に動かさないと……。こうするんだ……」
ツェツィルは自分の舌で、アンフィサの舌を持ち上げた。それはもう、舌の動きを教える為ではなかった。
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