天狼を継ぐ者
9.
私は小躍りしたい気分だった。取るものも取りあえず、宿営地に駆け戻った。
大声でラザネイトを呼び、早速に事の顛末を告げた。彼女も喜び、輝くような笑顔を見せた。
「支度なんかいらない。すぐに都へ発とう。着いたら、そのまま結婚の証書を出そう。……ああ、なんて素晴らしいんだろう! ラザネイトとずっと一緒だよ! 親父殿が許してくれるなんて、奇蹟だよ! 頑張ってよかった……」
ところが、彼女は眉を顰め呟いた。
「都……」
「そうだよ。」
「私は都を知らない。行ったこともない。どんな所?」
彼女の声色は低かった。表情も心なしか冴えなかったが、大したことではないと思った。説明すれば納得してくれるはずだ。
「賑やかな所だよ。人が大勢住んでいて……私たちは城で暮らすけど、街に出ることは、もちろんできる。」
「住んで? 夏や冬に移動しないそうだけれど?」
「家に住むんだよ。冬は雪が積もるから、頑丈な家にね。夏はそうでもないが、冬は退屈するから、ロングホーンの貴族たちは毎日、夜会を催す。旅の詩人や芸人を呼んで、観劇や歌の会を開いたり……楽しいよ。」
私は、ラザネイトを連れて、それらの楽しみを共にするのを想像して、わくわくしていた。
「夜会? 劇?」
「そう。セリカの豪華な衣装を着て、宝石を沢山つけて。着飾った君は夢のように美しいだろうね! 皆が称賛するだろう。」
彼女は当然ながらいつも、草原の色鮮やかではあるが、着膨れする毛織の衣装を身に着けている。似合っているが、どうしても野暮ったい感じがした。
「その金茶の髪、丁寧に梳いて結い上げたら、もっといい。瞳は榛色だから、つけるならルビーがいいな。……ベリルの方がいいかな? それから、紅を引いて……」
「もういい! 勝手に決めないで!」
大声だった。瞳が緑色に傾き、睨んでいた。
私は驚き、ただ彼女を見つめた。何が気に障ったのか、全く解らなかった。
「そんなものは要らない。私は道化ではないよ。」
「……女の人は、そういうのが好きではないのか? ラザネイトは美しい衣装や宝石が嫌いなの?」
「私は私! 草原の女だから、草原の服を着る。それはいけないの? 当たり前のことじゃない? 着飾る? ……あんたはそういうのが好きなんだね。私は、そうしなければいけない場所なんか嫌。」
私は慌てて言いつくろった。
「どうしてもというわけではない。」
彼女はぎりりと唇を噛んだ。
「それに定住するだなんて、絶対お断り! 沢山の幕屋の間には、風が通らない。だから、私たちはわざと離して建てる。都は風が通らないんだね。私はそんなところには住まない!」
早口で捲し立て、私の表情を窺った。
私は呆気に取られ、言葉が出なかった。すると、彼女は更に続けた。
「それに……あんたは、私を父さんから得たご褒美みたいに思っている。」
「ご褒美だなんて思っていないよ! 皆に祝福されたいから……親父殿には一番に祝ってほしいんだよ。」
「祝ってもらえる女なら、私じゃなくてもよかったってこと?」
「そうではない、そうではない。……どうしてそんな風に思う? 君だからだよ!」
彼女は私をじろりと見て
「私は……草原から出ない。あんたの思うように振る舞えない。あんたは、私じゃなくて、都に馴染む女を妻にする方がいい。」
と言った。
「君がいいって言っただろ! 草原から出たくないなら、それでいい。私が君のところを訪ねればいいんだから。」
「できるの? 今だって、宮廷がどうのって……。やっとの思いで、二か月だけ来られたんじゃないの。できもしない約束は要らない!」
「それは……」
「私は夫とはずっと一緒にいたいから。そりゃ、戦や何かで離れていることもある。でも、夫がいつ来るのか待っているのは、戦の帰りを待っているのとは違う。そんなのは嫌。」
私は、彼女に我慢してくれと言いかけて、言葉を飲んだ。
ラザネイトは私をじっと見つめた。何か言うのを待っていたのかもしれない。しかし、私が言葉を探している間に、くるりと身を返し、さっさと駆け去ってしまった。
註:セリカ ここでは絹の意味。
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