10.

 草原から都へ出発するまでの間、ラザネイトは私を避けた。
 出発する日、カラダーグは見送ってくれたが、彼女は来なかった。
 彼は少し申し訳なさそうに
「娘は来ない。来るように言ったが、行きたくないと言った。」
と言った。
 私には、もう言うべきことがない。彼も感づいただろうが、何も言わなかった。

 都へ帰れば、細々とした政をせねばならない。不在の間に保留された案件もいろいろあるだろう。
 億劫だった。
 しかし、失った恋を想う時間を紛らわせてくれるのならば、それもいいと思いなおして帰った。

 都での普段通りの毎日が流れた。
 忙しかったが、朝議の場でも、誰かと面会していても、いつの間にかラザネイトのことを考えていることが多かった。
 草原から持ち帰った白詰草を眺めては、切なさに嘆いた。
 このままでは政に身が入らないと、詰草の指環を書物に挟んで仕舞いこんだが、同じことだった。気が付くといつも、その本を片付けた棚を見上げていた。

 冬の兆しが見えたころ、ジェールで騒ぎが起こった。以前に不正を働いて、父に逮捕されたジェールの侯爵の子息たちが、兵を挙げた。
 都に軟禁している侯爵と通じていたのだという。
 諸侯の何人かは、父親の侯爵が謀ったことだから彼を処刑すれば、あまり賢くない息子たちは腰砕けになると言ったが、私は処刑と徹底的な討伐を決めた。
「ジェールは三族誅伐する。」
 三族誅伐とは、父・息子・孫を処刑することである。ジェールの場合は、本人と息子たち、孫の代わりに弟になる。
 諸侯は悲鳴を挙げ、慌てて止めた。
「大公さま、それはお待ちください。ジェールは古より仕えたる名家です。きついお仕置きは、お控えになった方がいい。」
「ジェールが叛くのは二度目である。温情をかけ、ジェールの地は過不足のないように保護した。それでも叛くならば、ジェールの土地は大公家に返還されねばならない。」
 私がそう言うと、皆は小声で話し合った。やがて、一人の高位の貴族が
「貴種の三族誅伐など、大昔のよう。或いは、草原のやり方のようです。大公さまは草原に毒されましたな。」
と言った。
「私はいずれ草原のシークになる。常時は都の法を守るが、このような度重なる不祥事には草原のやり方を採る。……皆も覚えておくように。」
 私が宣言すると、また諸侯は囁き合った。
「野蛮な……」
という声が聞こえた。
「野蛮? 平穏を乱し、戦乱の世を呼ぶような行為こそ野蛮だ。現在の国の繁栄をよく見よ。守らねばならないのは明らかだ。私の行いが誤りならば、この戦で軍神・テュールは私の間違いを糺すだろう。そうでなければ、正しい裁きを下すテュールはジェールの一族に死を与えるだろう。」

 黙っていたデジューが、私に静かに尋ねた。
「大公さまは、今度の戦に御自らお出ましになるのですか?」
「そうだ。私はもう二十歳になった。初陣には遅いくらいだ。」
 また諸侯がざわめいた。
「大公さまが出陣なさる? 先代さまも、そのまた先代さまも……百年以上、大公さまの出陣などありませんよ!」
「テュールセンさまに……いや、冬戦は草原だ。父公さまにお願いいたしましょう!」
 冬の辛い戦はずっと草原に任せて、ロングホーンの貴族たちはのうのうと暮らしてきたのだ。いつまでも差別的な習慣にとらわれているのが情けなかった。
「父上には頼まない。いつまでも子供のように、父上頼みではいけない。それに、百年以上と申したか……百年以上前には、大公が出陣したのではないか? 何故、私が出てはならんのかな?」
「しかし……大公さまは未だ子があらせられん。もしものことがあれば……」
「私が死んでも、ラザックシュタールに弟がいる。彼が大公位を継ぐのだ。皆、心配は要らんぞ。」
 諸侯はますます眉を顰め、ごにょごにょ何か言っていた。
“ラザックの大公”という言葉が耳に入った。また、くだらないことを言うと舌打ちが出た。
「私がラザックの血を引くのが不満なのか? ラザックの血は、ロングホーンの血に劣るのか? いつまでも、血統の違いにこだわって……愚かだと思わないのか?」
 皆は黙り込んだが、一様に不貞腐れた様子である。二つの部族の優劣を当たり前だと思っていると、態度が語っていた。ロングホーンのどの家系も、ラザックの一族から分れたというのに、年月がそれすらも忘れさせたのだ。
 こういったことは、私一人では解消することは不可能である。今は、皆が不満ながらも受け入れてくれることで、よしとせねばならない。
「デジュー、そういうわけだ。そなたの息子のリュイス殿と共に参るゆえ、よろしく準備を頼むよ。」
「かしこまりました。」
 デジューはうっそりと頭を垂れた。
 幼いころから見守ってくれた彼の表情に憂いはなかった。

 テュールセンのリュイスは、私を嬉しそうに迎えた。
 百年ぶりの大公の出陣に、興奮しているのだと言った。
「古の王朝に、武をもって仕えたロングホーンの諸族。やっと、大公さまは本来の姿に立ち返るというわけで。恐れずとも、あなたはアナトゥールの阿呆……いや父公さまの息子なのですから、さぞかし凶暴……いや、目覚ましい戦ぶりを見せてくださるでしょうな!」
 失言なのか、わざと言っているのかは判らない。だが、父の一番の友だという彼の飾らない物言いに、私は失笑した。
「父上は、いくつで初陣した?」
「トゥーリは……アナトゥールは、いや父公さまか。あいつ、偉そうな称号をもらいやがって……」
「好きなように呼べばいいが、どうなのだ?」
 私が促すと、彼は笑いながら
「十五・六だったかなあ……。ちょっと早めでしたよ。自分から行くと言ったんです。」
と答えた。
「自分から?」
「ええ。カラシュの公爵、そのころの宮宰さまに挑発されたんですよ。売り言葉に買い言葉だったんでしょ。仲が悪かったからねえ。まあ……トゥーリもいろいろ苦労したんですよ。悪魔みたいな行いの報いですがね。」
 そう言って、また彼は陽気な笑い声を挙げた。
“悪魔みたいな行い”の内容を知りたかったが、彼は含み笑いばかりで、答えられないと言った。

 戦いは私たちが勝利を得た。
 テュールセンの大軍勢を連れていたからだと思ったが、リュイスは私の手柄だと言った。
「ジェールの息子を斃したんだから。大将を打ち取った者が、一番の勇者ですよ。さすがは、現役の戦士部族の血筋ですなあ。伝えてくれたトゥーリに感謝しないとね。ロングホーンの若君には真似できませんわ。」
 彼は戦の前と同じことを言って、私を称えた。

“でもね、ラグナル、いずれはお前が自分ですることになる。”
 父が私に言った言葉を思い出した。



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