8.

 私はカラダーグに、ラザネイトが求婚を受け入れてくれたと話した。
 もしかしたら許してくれるかもしれないと、淡い期待があったが、容易く砕かれた。
「ラザネイトは、恋に我を見失っているだけだ。あんたもそうだ。草原の女が都に馴染むか? あんただって、いずれ後悔するのではないか? あんたの家臣も納得する姫を娶った方がいい。」
 そう言って、私を退けた。
 宮廷の認めた期限の来る前に、カラダーグを説得したかったが、そういう調子でどんどん日にちが迫った。
 彼は厳重に、ラザネイトを私から遠ざけるようになった。

 その頃には、私もそれなりに使えると思ったのだろう、カラダーグは私に馬群のひとつを任せてくれていた。
 馬群を草原へ連れ出し、草を食む様子をぼんやり眺めるだけの毎日が続いた。
 彼の戦功が認められて、父から賜った駿馬、ヤールから贈られた馬。立派なものだった。彼は、そんな馬群をいくつか持っていた。
 もともとの戦士家系で、財産はあったのだろうが、腕ひとつで財産を増やしたカラダーグ。
 私とは違う。
 私はいつも、誰かに援けられていた。
「大公さま、馬に水をやらねばならん時間ですよ。」
 牧童が声をかけた。
「ああ、そうだね。」
「山は雨だったようですね。今日は十分すぎるほど、流れが広い。」
 私と牧童は馬を川に連れ、水を飲ませ、汗っかきの馬たちを洗った。

 その時、激しい水しぶきと馬の悲鳴が挙がった。
 仔馬が、川の深みに足を取られていた。顎を挙げ、暴れ、恐慌状態に陥っている。
「シークに貰った馬の息子!」
 私は川に駆け入り、馬の首にしがみついた。川は思ったより深く、私の胸の辺りまであった。
 馬の力に抗い、引いたり押したりして、必死に浅瀬に足を導いた。馬は何とか岸辺に辿りついたが、まだ興奮しており、上がると同時に前脚を上げた。
 馬の身体が私に強く当たった。その瞬間、私の意識は遠のいた。弾き飛ばされた私は、仰向けに流れの中に落ちた。
 牧童が慌てて、引きずり上げたが、私は水を飲んでいた。

 私が咳き込みながら気を取り戻すと、目の前にカラダーグの心配そうな顔があった。私は彼の腕に抱かれていた。
 彼は長い息をつき
「無茶を……」
と言った。私の顔に、ぽとりと彼の涙が落ちた。
「親父殿の大事な馬……」
 しばらくの間があった。
「……あの年頃の馬は、怖いもの知らずなんだ。気をつけろ。」
 私は頬に落ちた涙を拭った。
 彼は目を逸らし、立ち上がった。
「あれは、あの馬は俺の誇りそのものだ。お前は、俺の誇りを守った。それに……息子になる男が死にかけたんだ。俺は、涙のひとつも流せないような冷たい男ではない。」
と言って、立ち去って行った。

 私は驚いて、言葉もないままに、彼を見送った。牧童たちも同じようだった。
「大公さまが溺れたから、カラダーグに知らせたんだ。慌てて駆けつけたよ。」
「仔馬が心配なだけじゃなかったようだね。」
 私はようやく、カラダーグがラザネイトと私とのことを許してくれたのだと気づいた。
“息子になる男”。
 いかにも草原の戦士と見えるカラダーグの意外な涙に、多少の戸惑いを感じたが、私への想いに感激した。
 何より、ラザネイトとのことを、やっと認められたのだと嬉しかった。



  Copyright(C)  2015 緒方しょうこ. All rights reserved.