天狼を継ぐ者
7.
父の言うように宮廷がどうにかなるとも思えなかったが、現在の難題は、私を良くは思っていないラザネイトの父のことだった。
「どうしよう……このまま、二人で都へ行ってしまえたら……?」
ラザネイトもうまい方策が浮かばなく、眉を寄せて、辛そうに俯いた。
「また、そういう愚かしいことを……。そんなことをしたら、後々二人とも具合が悪くなるだろうが。」
「……親父殿に認めていただくには、相当時間がかかりそうです。そもそも、私がどうならば、お気に召していただけるのか……」
「ラザネイトの親父はどんな男だ?」
カラダーグは、二つ名を持つ勇猛な戦士である。だが、私に同じような武勇を求められても困る。戦場に出たこともないし、大公が自ら出陣するような戦も今のところ起こりそうもない。他のことで訴えかけるしかない。
考え込んでいると、父は
「ごちゃごちゃと……親父に媚びる方法ばかり考えているだろ? へらへら愛想振りまいて、目の前をうろうろされたら、余計に嫌われるってものだよ。お前は取りつくろわなければいけないくらい、どうしようもない男なのかな?」
と言った。いらいらしているようだった。
「父上は、親父殿を心配しろと仰せでしたが?」
父は更に苛立たしげに、鞭を腿に打ち付けながら
「だから! 下手な小細工の通用しない男だろ、カラダーグは! だったら、お前のありのままを見せて、どれだけラザネイトを愛しているか、そっちを訴えかけろよ!」
と怒鳴った。
あまりに大声だったから、遠くにいた牧人がこちらを振り向いた。
父は声を顰め続けた。
「もう、行くよ。及び腰でおたおたするなよ。……ま、俺に似たのかもしれんから、責めるのも可哀想ではあるが……」
後半部は呟きだったが、私にもラザネイトにも聞こえており、笑いを噛み殺した。
「どこへおいでなのです? この氏族にお泊りになるのかと思いましたが?」
「お前のその頭、飾りか? 俺が今日訪れたら、お前の縁談をねじ込みに来たのかと思われるだろうが! それとも、お前は俺の権威で結婚をよろしく運ぼうとする狐みたいな奴か?」
緑色の瞳が物騒な光を帯びて、ぎらぎら睨んでいる。しかし、あまり怖いとは思わなかった。可笑しな物言いと考え方をたっぷり披露された後では、笑いしか出ない。
ラザネイトと二人、俯いたまま目配せして、笑いを堪えた。
「ああ、そうだ……。それよりもだね、俺、いろいろ助言してやったんだから、今度はお前が考えろ。」
「何をですか?」
「今度のことだよ。……結婚というのは、まあいい。その前。お前に恋人ができたってことを、アデレードに何て伝えればいいのか、だよ。羊を追いに出て、真っ昼間から重なっていました、っていうのは黙っているとしてだね……言えるわけないだろ! ああ、どうしよう。言わなければ、ばれたとき怖いし……。言ったら言ったで、騒ぐだろうし……」
私たちを笑わせようと冗談を言っているのかと思ったが、父は憂鬱そうに長い溜息をついた。
「それは、父上……お考えになるまでもありませんが?」
「お前のおかげで、俺が苦労するんだぞ?」
「母上には、ありのままを申し上げていただくしかないと思います。」
「……やっぱりそう?」
「ええ。父上がお話しになるまでもありません。母上には私から申し上げます。」
父はぱったりと黙り、何か考え込んでいるようだった。やがて、真面目くさった顔で
「……今からラディーンのところへ行く。」
と言った。
「今から? もうやがて、日没ですが?」
「途中、夜営する。しばらく、ラザックシュタールへは帰らん。」
私は唖然とした。父は逃げるのだ。ラザックシュタールにいる母から遠くに。
ぷいっと駆け去る父の後姿を見送り、私たちは顔を見合わせると、笑い転げた。
「シーク……恐妻家なのだね。お姿からは想像もできない。」
「母上にはお会いしたことがないが、優しい方だと思っていたよ。……父上のことも、お会いする前は、もっと違う印象を持っていたから、手紙ではわからないものなのだな。」
父と話したら、思いつめ焦りを感じていて心が、少し楽になった。
高い空、平らな大地。遥か彼方、向こうまで見渡せる草原。飾るものも、隠すものもない。
人間だけが、取りつくろったり、隠したりする必要はないのだ。
「ラザネイト、結婚してくれるのか?」
「さっき、私はすると言った。」
彼女の口調には、何の衒いもなかった。生まれ育った草原と同じだ。
私もそうあらねばならないと思った。
私は足許の白詰草を一輪摘み、ラザネイトの指に結んだ。
「何?」
「婚約すると指環を贈るだろう?」
彼女は首を振った。草原には、指環を贈る習慣はないのだと知った。
彼女は指に巻いた茎を外すと、私の指に結びなおした。
「私は赤いのがいい。」
私が改めて赤い詰草を結わえると、彼女は手を空に向けて、いつまでも眺めていた。
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