6.

 私は宮廷に、夏の草原行きを伝えた。
 宮廷は、案の定難色を示した。
 私は、かつてシークに半年ごとに都と草原との行き来を強いていたことを挙げ、それと同じことだと言った。
 それでも納得がいかない諸侯に
「そなたらは、私の留守居ができんのか? 草原の諸氏族は、かつてシークが都の生活を強いられていた時、立派に留守を守ったぞ。そなたらは、草原の者のように忠実ではないのかな?」
と問うた。
 皆はざわざわと話し合い、二か月だけの滞在を認めてくれた。しかし
「大公さまは草原がお好きですな。都よりいいところらしい。」
としっかり嫌味を言った。

 夏の草原は忙しい。冬の蓄えを夏からするのだ。
 到着するとすぐに、カラダーグは私に仕事を言いつけ、酷使した。毎日、くたくたに疲れた。
 晴れ渡り、雲一つない空。日差しは強かったが、風が汗を乾かしていく。都のねっとりとした暑さと違って、過ごしやすかった。
 家畜の群れを草原に連れ出すと、時々ラザネイトが現れた。一緒にいる牧人たちは気を遣って、私たちから離れた。
 ラザネイトは私を求めた。私も欲しかったが、こんな野原で昼間からどうしようというのか。
 彼女に問うと、馬を捕える為の長い棹を地面に突き立てた。
「これが立っていると、ひとは来ない。この下で、男と女が愛を交わしているという合図だから。」
 そう言って、にっこり笑った。
 私たちは、そうやって、時々草原で愛し合った。

 ある日、いつものように戯れていると、ラザネイトが私を押しやり、慌てて服を掻き合わせた。
「誰か来る!」
 私も慌てて、彼女の上から退いた。
 黒い馬に乗った男が、駆け寄ってくる。父だった。
 草原で父に遭遇したのは初めてだった。それも、よりにもよって、こんなバツの悪い状況だ。
 父は私たちを見下ろし
「やはり、お前か。」
と言った。
 厳しい顔をしているのだろうと思うと、父の顔を見られなかった。
「はい……」
「お前の凱風だと思ったからな。」
 馬套(オール)()が立っていると、誰も来ないのではなかったのかとラザネイトを見ると、彼女も当惑していた。
 父は私たちの思いを見透かし
「無粋なのはわかっている。だが、息子のことは知らねばならん。」
と言った。
「はい……」
 私たちはますます赤面し、俯いた。
「その女は?」
「彼女は……恋人です。」
「そんなの判っているよ。見てしまったんだから……。息子の濡れ場を見るなんてな、複雑な気分だよ。弟の濡れ場を見た時とは、段違いに気まずい。」
「だったら……見なければ……」
 思わず呟いてしまった。
「お前、馬鹿か? 凱風がいたからって言っただろ? 息子のことが気にならないわけがない。見るわ!」
「はい……」
 父は舌打ちした。
「草原にしばしば来るのはいいことだが……もう早、恋人を作っていたなんてね! おまけに、野原で昼間から、俺の孫を作成中か……」
 父はラザネイトをじろりと見た。叱られるのだろうかと、私も彼女も首を竦めた。

「お前……割と濃厚な趣味なんだね。」
「え?」
「やらしい身体つきの娘だ。……ま、いい女。」
 父は大笑いした。二人とも、恥ずかしくて身が縮まった。
「お前、親父に自分の恋人の紹介はしないのか?」
「えっと……彼女はラザネイトといって、カラダーグ・フォドルセンの娘です。」
「“強肩のカラダーグ”の娘か!」
「親父殿をご存じなのですか?」
「知らないはずがない。“三つ丘のラザック”の誉れ高き勇者。左目を失ったが、まだ戦いに出ている。ああ……お前、苦労しているんだろう?」
「はい……?」
「お前がその娘から逃げようとしたら、カラダーグは激怒するね。知らんよ? ……殺されはしないだろうけど、覚悟しておけ。」
 私が驚いて顔を上げた。
「逃げたりしない! だから、こうやって、草原で働くことを覚えているんだ。……親父殿はあまり、その……私にいい顔しないけれど……」
 父はにやにや笑って、私を見つめていた。
「そりゃ、お前。可愛い娘に手を出す男は、全員仇敵さ。どうするんだ? その娘と結婚するのか?」
「宮廷が……」
 私が言いよどむと
「宮廷? 宮廷はどうにでもなる。」
と父は言った。軽い調子だった。
 父がどういうつもりで言っているのか測りかねた。
「どうにでもなる? どうしたら、どうにでもなるのです?」
「どうにでもなることは、今考えなくてもよろしい。一番大事なのは、その娘がお前と結婚する気なのかどうかだろ?」
「それは大丈夫。」
「確約を取ったのか? “俺のことを好きみたいだから、求婚したら受け入れるに決まっている”と思っているのなら、甘いぞ。女の考えることは、不可解極まりない。理解不能なんだから。」
 父は実に渋い顔をして言った。そういう経験があったのだろうかと思ったが、訊かない方がいいと思った。
 ラザネイトの顔を覗き込むと、少し不安そうな顔をしていた。問いかけようとして、はっきりと求婚の言葉を述べたことがなかったのに思い至った。
「ラザネイト……」
 父が慌てた様子で口を挟んだ。
「結婚してくれって言うつもりだろうが、それは後で、二人きりでやれ。観客の前ですることではない。」
 すると、ラザネイトが立ち上がり、胸を張って父を見て、私に向き直ると
「私、ラグナルと一緒になるから!」
と言った。
 父も私も呆気にとられた。
 だが、直ぐに心の底から喜びが湧きあがってきた。私は立ち上がり、彼女を抱き締めた。
「素直な女はいいねえ……」
と、父は苦笑いしていた。
「父上はお認めくださいますか?」
 私は恐る恐る父の表情を窺った。
 父は顔を顰め、小さく舌打ちした。
「俺のことより、カラダーグのことを心配しろよ。今でさえ苦労しているんだから。」
 苛立たしそうだった。



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