4.

 私が何か言うたびに、立場を怪しくしていくが、嘘ではないのだ。
 困ったと思いながら、ずらりと皆を見渡すと、人だかりの後ろの方にラザネイトのいるのが見えた。
 彼女は心配そうに私を見つめていた。不安そうな様子は見せられないと思った。私は気持ちとは裏腹に、ことさら胸を張って見せた。
「本当だから、そう言うしかない。都から来た。父はラザックシュタールにいる。今は、もしかしたら、ラザックの宗族のところにいるのかもしれん。父の名前は、アナトゥール・ローラントセン。私の名前は、ラグナル・アナトゥーリセン。シークの一番目の息子だ。」
 一気に言った。父の名前を出したくなかったが、偽りを述べるわけにもいかない。
 皆はしばらくざわめいたが、すぐに静まった。態度が変わるかと思うと苦々しかったが、そうはならなかった。
「大公位についている息子か。シークにはもちろん敬意しかないが、その息子だからといって、すぐにラザネイトの夫と認めるわけにはいかん。」
「どうしたら認める?」
「……ラザネイトを守れない男では、どんなに高い血筋でも嫁がせたくない。俺が検分する。」
 私と立ち合うということだ。武芸の腕は、都の教師の許でじっくりと磨いた。デジューも筋がいいと言ってくれた。相手は片目だ。勝てなくとも、無様なことにはならないだろうと思った。
「いいだろう。そうしてくれ。」

 宿営地のすぐ外で、私はカラダーグと立ち合った。
 一太刀交わすと、彼は馬を止めた。私も馬を止めて、何か言うのだろうかと待った。
 彼は自分の剣を眺め、少し何か考えていたが、にっと笑って
「さあ、再開だ!」
と怒鳴った。
 二回、三回。相手は受け太刀だけで、攻撃しない。追い込んでいるのだろうかと思ったが、本物のラザックの戦士を追い込むことなど私にはできないだろう。訝しく思いながらも、打ち込み続けた。
 また、彼は馬を止めた。
「十回受けた。次は俺の番だな。」
 そう言うと、猛烈な勢いで駆け寄り、剣を打ち下ろした。
 段違いの力だった。受けると途端に肩まで痺れた。馬を寄せられ、手綱を取った左腕を引っ張られた。
 あっと思う間もなかった。落馬していた。
 私の首の上を斜めに剣が走り、地面に突き刺さった。
 仰向けに横たわったまま、身動きができない。
 彼は下馬すると、剣を引き抜き
「話にならんな、シークの息子。」
と言って、馬を引いて去った。

 ラザネイトが駆け寄り、私を助け起こした。
 私は彼女の顔を見られず、手を払った。無様なところを見られたのだ。悔しくて、恥ずかしい。消え入りたかった。
 見物人がひとり、手巾と水差しをくれて
「そこそこだったよ。都の先生についただけなんだろう? そのわりに、頑張ったよ。あの人はね、うちの氏族じゃ、三本の指に入る豪の者なんだから、大抵の者は敵わない。」
と私を労った。
 他の者も、頷いていた。
 だからといって、ラザネイトの前で恥をかいたことは変わらない。
「親父殿は、私が通うのを許してくれないのだろうな……」
 ラザネイトは少し考え
「話にならんとは言ったけど、父さんは来るなとは言わなかった。」
と笑いかけた。
 私は同じことだろうと思った。
「それに、あんたは父さんの左側から打ち込まなかった。左目が見えないのはわかっていたのにね。卑怯な真似はしなかった。」
 見物人も賛同した。
「勝ち負けじゃないよ。性根を見たんだ。」
「そうだろうか……?」
「まあ……これからも稽古はしっかりすることだね。」
 皆、そう言って慰めてくれた。
 若い男が
「ところで……ラザネイトのところは気まずいだろう? 俺のところに泊まるといい。」
と言ってくれた。
「いいのか?」
「いいに決まっている。旅人をもてなすのは当たり前のことだ。」

 私は、その若い男の幕屋の世話になった。彼はターヴィと名乗った。二人の妻と小さな子供が二人いた。
 信じられないことに、妻たちは仲睦まじかった。
 子供は二人とも一番目の妻の子だということだったが、二番目の妻は妊娠しているのだと言って、一番目の妻も嬉しそうにしていた。
 都の貴族などは、お互いに愛人を持っているくせに、お互いに嫉妬し、時には愛人に酷い嫌がらせをする。愛人が妊娠したとなれば、大騒ぎになるだろう。
 習慣の違いだけとも思えない。おおらかと言おうか、恋愛に寛容と言おうか。
 こうまで違うと、戸惑いを通り越して、愉快ですらある。
 夜が更けると、妻の一人は隣の幕屋に帰った。数日ごとに、交互に泊まるのだということだった。
 質素な暮らしぶりであり、私には奇妙な感があったが、家族五人が寄り添っているのが羨ましかった。
 ターヴィの妻は、溜息ばかりつく私に
「気にしているの? ラザネイトの親父さまは、いかついけど悪い人じゃない。あの子の前の夫のことがあるから、きつい目で品定めするの。父親が娘の幸せを願うのは解るでしょ?」
と言った。
「だが、どうもね……敵意を感じるんだ。」
 ターヴィと妻は、顔を見合わせて大笑いした。
「そりゃあ、父親ってのは、娘の恋人は気に入らないもんだよ。そんなことでへこたれて、どうするの?」
「そうそう。そんなんじゃ、嫁さんは貰えないよ。大公さまは気弱になっているね。堂々としていたらいい。明日になったら、自分からラザネイトの親父さまに挨拶しなよ。ラザネイトが欲しいんだろ?」
 気が重かったが、彼らの言うことももっともだと思った。

 翌日、ラザネイトの父に
「親父殿、おはようございます。」
と挨拶した。怖気づいていたが、口調は平静を取りつくろえたと思う。
 彼はじろりと私を見て
「ああ、おはよう。いい朝だな。」
と、ぼそりと言った。
 空気の冴えた朝だった。朝陽に靄が溶けていく。草の上の淡雪がきらきらと光っていた。美しい朝に見とれている間に、彼はずっと向こうに立ち去っていた。
 ほっと緊張感が解けた。
 そして、“親父殿”と呼びかけても無視されなかったのに、安堵した。



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