3.

 それからは、ラザックやラディーンのところに出かけるより、ラザネイトのところに行くことが、主な草原行の目的になった。
 ラザネイトはいつも歓迎してくれた。彼女によって、私は様々な草原の風習を学んだ。
 私が感心するたびに、彼女は笑って
「そんなことも知らないの?」
と言ったが、教えるのが楽しいようだった。
 よく笑い、世話好きだった。私よりずっと年上だからか、偉そうな態度を取ったが、夜になると途端に甘えるさまが可愛かった。
 冬が近づき、私がそうそう来られなくなると言うと、彼女は涙を落した。
「ずっと待っている。春になったら来て。必ずね。」
「必ず来る。必ずね。」
 彼女はすすり泣き
「ラグナル、愛している。あんたは?」
と何度も尋ねた。
「愛しているよ。そうでなければ、こんなに来ない。」
 私も何度もそう囁いた。

 雪がちらつくようになった。都は雪に閉ざされた。草原に行くのは難しい。
 行けないと思うと、余計に行きたくなった。しかし、冬場は“娘の幕屋”は畳んで、ラザネイトも氏族の許にいるのだろう。少し行き辛いと思った。
 日毎に彼女への想いが募った。猛烈に彼女に会いたくなり、都へ連れてきたいくらいだった。
 冬になると、都の貴族たちは暇を持て余し、毎日のように夜会をする。城でも催される。気を紛らわせたくて参加したが、全く楽しめなかった。
 塞ぎ込んでいる私を皆が心配したが、ラザネイトに会いに行きたいのだとは言えなかった。
 草原に行きたいのだとだけ答えた。諸侯は眉を顰め
「大公さまは草原に魅せられすぎですよ。あんなところ……」
と言った。
 皆の草原を見下す気持ちは、無くなっていないのだ。不愉快だった。腹も立ったが、怒鳴り散らすのは逆効果だと堪えた。
 都は大雪が積もり、馬車も止まるほどになった。
 そんな雪の日、父からの書状が届いた。私は目を見張った。
 父からの書状の内容に驚いたのではない。それはいつもの、近況を書いた穏やかなものに過ぎない。この大雪の中で使いが来たことに驚いたのだ。
 私は、草原には雪が積もっていないのだと思い、書状を持ってきたラザックの戦士に尋ねた。
 思った通り、関を越え草原へ出ると、ほとんど雪はないということだった。
 私はいつもより念入りな用意をして、都を出た。

 戦士の話は本当だった。関を越えると積雪は少なくった。草原は更に少なく、うっすらと積もっているだけだ。馬を駆るのには何ら難儀はなかった。
 しかし、冷たい風が強かった。毛皮の襟を寄せても寒かった。
“三つ丘のラザック”の宿営地は、訪ねた時よりも南下していた。
 心は急いたが、無理はしないことにした。途中で宿を請うた氏族は私の訪問に驚いたが、草原の好きな私を喜び、手厚くもてなしてくれた。

 道を尋ね、宿を請い、ようやく目的地に到着した。
 やはり、ラザネイトの小さな幕屋は無かった。宿営地に馬を入れると、途端に犬が吠えついた。住人が現れた。
「ラザネイトを訪ねてきた。」
と言うと、人々の間から男が一人出てきた。
 大柄で筋骨逞しい中年の男だった。顔の左側に大きな傷があり、左目は損なわれていた。冬だというのに、素肌に上着だけを着て、右を肩脱ぎしている。合間から見える裸の胸に、おびただしい数の古い刀傷があった。
 斜め掛けの剣帯には、使い込んだ様子の傷だらけの長剣が下がっていた。
 戦士なのだ。それも歴戦の戦士だ。迫力に気圧された。
 彼の目は鋭く、私を値踏みするように見ている。
 私は、何と言えばよいのか、どう対処すべきか惑った。
 すると、先に話しかけられた。
「お前がラザネイトのところに通っていた男か?」
「……そうだ。」
 彼は近寄り、私の手を取った。
「綺麗な手だな。戦士ではない。」
「そなたがヤールか?」
 私の問いかけに、男は笑い出した。そして
「俺はラザネイトの親父だよ。カラダーグ・フォドルセン。」
と答えた。
 鼓動が大きく弾けた。
「お父君とは知らず……」
 咄嗟に下手に出ていた。
「お父君? お父君だってよ!」
 カラダーグは笑いながら、皆を振り返った。皆も大笑いしていた。
「気取った言葉を使うやつだな。都の貴族みたいだ。ここいらでは、親父殿って言うんだよ。」
「失礼した。親父殿、ラザネイトに会いたいのだが……」
「“失礼した”だって? これまた上品な。……会ってどうする?」
 嘲るような口調だった。私は気分を損ね
「会いたいから来た。他に理由があるか。」
と挑戦的な返答をした。
 彼の目がすっと細められた。
「娘をどうするつもりなのだ? しばらく訪ねてこなかっただろ? 俺にも挨拶に来ない。……今日はそのつもりかと思ったのに、違うようだな。」
 困ったことになったと思った。
 ないがしろにしているつもりはない。ずっと一緒にいられたらと思っているが、父親が期待しているように、すぐ妻にするのは難しい。
 草原から妻を迎えるのには、宮廷が黙っていないだろう。納得させるのに、時間がかかる。
 だが、それは今説明することではない。そんなことより、自分の正直な気持ちを述べなければいけない。
「貰い受けたい。」
「ラザネイトは戦士の妻にしたい。お前のような牧守ではな……」
「牧人ではない。」
 彼は、私の馬を眺めた。
「いい馬に乗っているな。馬装も立派だ。戦士でもないくせに……牧人でもない? 奴婢でもないな……。ラディーンはそれ以外の身の上があるのか?」
 彼も、私の言葉の訛り方をラディーンのものだと思ったらしい。
「私はラディーンの者ではない。」
「ずいぶん品のある言葉を使うんだな。どういう素状だ?」
 周りの皆が興味深そうに、私とカラダーグのやり取りを見つめている。

 私は悩んだ。特段隠すことでもないが、高らかに宣言するのも嫌だった。特に父の名前は出したくない。
「素状は確かだ。ラザックの貴族でもあるのだから……」
 言い終わる前に笑われた。
「そんな綺麗な手の戦士はいない。」
 ロングホーンの貴族と違い、ラザックやラディーンでは未だ、貴種はすべからく戦士なのだ。ラザックの貴族を名乗ったからには、戦士でなくては辻褄が合わない。
「初陣もまだなのかな? いくつだ? 初陣前の子供には見えんぞ。」
「十九だ。初陣はまだだ。」
「お前の親父は甘やかしているようだな。近頃は戦はないが、それにしても、夜盗と小競り合いくらいはあっただろう?」
 皆は頷いて聞いているが、私には応えられなかった。
 誰かが
「どこから来た? あんたの父親はどこの者だね? 名前は?」
と言った。
「そうだ。そこが肝心だった。」
 カラダーグが厳しい目を向けた。
「都から来た。」
 皆がざわめいた。
「都に住むラザックなどいない!」
 場の空気が不穏になった。



  Copyright(C)  2015 緒方しょうこ. All rights reserved.