[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。
天狼を継ぐ者
INDEX
MENU
CONTACT
LINK
2.
私は地面に鞍敷きを敷いた。
「そんなところで寝ることはない。言っただろう? 夫になる男を待っていると。」
女はそう言って、私を寝台に座らせると、口づけをした。そして、私の腿を撫でた。
いきなりの行いに驚いた。
「あんた、綺麗な青い目をしている。……私を抱くのは嫌か?」
「いや、そうではないのだが……」
彼女は小さく笑って、脚の間に跪いた。
「ちょっと……」
私が止めるのにも構わない。何と積極的なのだろうと戸惑った。
女は私の上に跨った。男が跨るものではないのかと思ったが、そのまま続けた。
彼女は息を弾ませ、腰を揺らし、甘い声を挙げた。私の胸や腹に、ぽたぽたと汗が落ちた。
二人とも夢中で求め合った。
すると、おかしなことが起こった。
乳房に唇を寄せた時、何かが口の中に弾けた。微かに甘い味がした。
「ん? 何か変だよ?」
「ああ、乳が出たか。男と交わると乳が張ると聞いたが、本当なのだね。」
「乳って?」
「息子はもう乳を断ったのだが、まだ出るみたい。……乳が出る間は孕まない。もっと楽しもう。」
「お前、子供がいるのか!」
「そう。そんなことより……」
私の身体に垂れ落ちていたのは、汗ではなく乳だったのだ。気持ちは少し萎えたが、身体はそうでもなかった。
そのまま夜中まで抱き合った。
女は息子がいると言ったが、姿がないのが不審だった。だが直ぐに、宿営地で他の家族と一緒にいるのだろうと思いついた。
雑談の端緒にと、軽い気持ちで尋ねた。
「息子は?」
「父親の許だよ。」
彼女は淀むことなく答えたが、私は耳を疑った。
「これは不貞ではないのか?」
女はけらけら笑った。
「不貞など働くか。息子はいるが、夫はいない。夫が欲しいから、父にこの幕屋を建ててもらった。」
「何故、夫はいなくなった?」
「あの男は……卑怯な振舞いをした。だから、私は嫌になった。男は他にも妻がいたから、別れることに異存はなかったんだろうね。」
「そうか……」
私の知っている都の貴族の社会では、夫婦別れはない。家と家の繋がりだから、険悪になっても別れないのだ。
それに比べて驚いたが、町人は別れることも珍しくないと言うし、当たり前のことなのかと思った。むしろ、愛情のなくなった者同士が夫婦でいることこそ、不自然だ。
「あんたは誠実そうだ。私は気に入ったが、あんたはどう?」
改めて見ると、肉感的な美女だ。あからさまな話しぶりは戸惑うが、自分を偽らないところは好きだ。
「会ったばかりだからわからないよ。嫌いじゃない。」
「嫌いじゃない……好きになるかもしれないってことだね。」
彼女はにっこり笑った。
深い仲になったが、女の名前も知らないことに私は思い至り、名を尋ねた。
「ラザネイト。あんたは?」
「ラグナル。」
「父親は何という? 父称は?」
私は答えに詰まった。
“アナトゥール”。大昔のこの英雄の名前は、草原では長く忌避されてきた名前だ。この名前を持つ草原の男は今のところ、父しかいないのだ。
ラザネイトは答えを待っている。父称のないのは奴隷階級である。奴隷の身分だとは誤魔化せない。
「……アナトゥーリセン……」
「えっ?」
彼女は驚きの声を挙げ、起き上がった。
「それはシークの父称じゃないの。あんた、シークの息子なの?」
「そうなんだよ……」
「ん? シークの息子はまだ子供……」
ラザックシュタールにいるシークの息子、私の弟たちはまだ子供である。
私が誰なのか判ったのだろうが、彼女は私の口から明かされるのを待っているようだった。
「一番上の息子だよ。大公なんだ。」
「次のシークか……」
大公であることは、彼女にとって重要ではないらしく、シークになるということの方が気になるようだ。何度も
「シークにねえ……」
と呟いて、難しい顔をしていた。
別れ際に、ラザネイトは
「また来て。」
と言った。
「お前の夫にはなれないよ。」
そう言ったが、私も少し残念だった。
彼女は私に抱きつき
「いい。ラグナルが気に入った。だから、また来て。」
と言った。
シークになる男だから繋ぎ止めたいのかと思ったが、彼女の屈託のない榛色の瞳を見ると、そうとばかりも思えなかった。
私は周りを見渡し、地形を覚え込んだ。移牧すると判らなくなると思い、氏族の呼び名を尋ねた。
「“三つ丘のラザック”。」
なるほど、三つの丘がある。
「“三つ丘のラザック”のラザネイト。また来る。」
私は彼女を抱き締め、口づけしてから騎乗した。
彼女は手を振って、いつまでも見送っていた。
BACK
NEXT
PAGETOP
Copyright(C) 2015 緒方しょうこ. All rights reserved.
template peewee