天狼を継ぐ者
12.
ラザネイトと私は、それぞれ騎馬で神殿に向かった。
祭司長は、突然の訪問に慌てた。私が結婚の証書を求めると、目を白黒させた。草原の女にしか見えないラザネイトを見つめ、腹の大きいのに気づいて、更に驚いた。
祭司長は考え込むばかりで、証書を取りに行かない。
「どうした? こういうわけだ。すぐ結婚する。早く証書をくれ。」
急かされた彼は困った顔をしたが、書類を出してきた。
私とラザネイトは名前を書いた。
「お祈りはいいよ。忙しいんだ。証人にすぐ署名してもらって、出さなくてはならないからね。……それから、私が皆に宣言するから、そなたたちから漏らさないように。」
私は祭司長にきつく命じて、城に戻った。
私はすぐさまデジューを呼んだ。
彼はラザネイトを見て、唖然とした。結婚の証書を出すと、目を見張った。
「書いてくれ。」
すると、彼は高笑いした。
愚かな思いつきで結婚を決心したと思っているのだろうか、そんな結婚を認めるわけがないと思っているのだろうか。
私が説明しようとすると、彼は
「いやいや。反対するのではありません。父子共々、突然の大事件を起こすのがお好きなようだと、可笑しかっただけ。……いい女ですな。」
と言って、ラザネイトに微笑みかけた。
そして、署名すると
「あなたの父君の時も、私はこうして署名した。感慨深いことです。……その腹の子の結婚の時は、私はおらんでしょうなあ。その際は、根回しはしっかり頼みますよ。」
とにやりと笑った。
「もう一人は誰になさる?」
「コンラートさまに頼む。」
デジューは少し考え込んだが、止めはしなかった。
ラザネイトは何か言いかけたが、言わなかった。榛色の瞳が、緑色に光っていた。
コンラートさまは、居間で私たちを迎えた。奥方のマティルドさまも一緒だった。
彼はラザネイトを一瞥し
「草原の女だね。」
とため息をついた。
大公家に、これ以上の草原の血を入れたくないのだろうと思った。だが、そんな意見を聞くつもりはない。
「そうです。ラザックの誉れ高き戦士、カラダーグ・フォドルセンの娘で、ラザネイトと申します。」
堂々と述べると、コンラートさまは私から視線を逸らし、ラザネイトに目を向けた。
「そなたは……私の署名でいいのかな?」
「あんたのしたことは、草原の者なら、みんな知っている。……このことで、私に恩を売ったと思うならお門違い。私はあんたに膝を折ったりしないよ。草原の者も同じ。」
私は、彼女が何を言い出したのか、わけがわからなかった。
コンラートさまの頬が、ぴくりと引きつった。
私は、二人の顔を見比べた。
やがて、彼はほっと息をつき、証書を手にした。破り捨てるのかと、一瞬の間案じたが、彼は車いすの膝の上で署名した。
そして、私に証書を突き返すと
「ラザックやラディーンの者は、自ら選んだ伴侶を持つという。それをこの目で見たというだけのこと。……子はいつ生まれるのかな?」
と言った。
「春先。三月か四月です。」
「そう。よかったね、ラグナル。そなた、ラザネイトと言ったか、大事にね。」
コンラートさまは喜んでいるようではなかったが、認めてはくれた。車いすを奥方に押させて、元いた図書室に戻ろうとした。
私が、これは機会だからと、意を決して尋ねた。
「コンラートさまは、父上と何が?」
彼は車いすを止めさせて、私を振り返り
「私は、アナトゥールからそなたを奪い、彼を殺そうとした。」
と涼しい顔で答えた。
「それで……?」
「何が“それで?”なのだ?」
「父は……?」
「……アナトゥールが、私をどう思っているのかはわからないよ。よくは思っていないだろうね。……私が、アナトゥールをどう思っているかということかな?」
私は、どんな答えも想定していなかったが、コンラートさまがそれを答えるつもりなら、知りたいと思った。
頷くと、彼は少し考えて
「恨みはないよ。後悔はある。アナトゥールは、私の平穏な暮らしを認めてくれている。それに……私はそなたの成長を近くで、時々とはいえ、見てこられた。彼はそうできなかった。」
と言った。
淡々とした口調だった。遠い目をしていた。
私とラザネイトは、言葉もなくなり、コンラートさまが退出するのを見送った。
帰途、ラザネイトは
「草原の者は今でも、あの人に火のような憎しみを向けるよ。でも……寂しい人なのかもしれない。今も昔も……」
としんみりと言った。
「許すの?」
「シークを殺そうとしたんだ。すぐには無理よ。」
コンラートさまと仲良くしてほしいとまでは思わなかった。しかし、憎しみがいつか薄れて欲しいと思った。
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