天狼を継ぐ者
11.
私の初陣の成功が国中に知れ渡ると、父から祝意の書状と、ラザックの立派な軍馬が贈られてきた。
嬉しかったが、ラザネイトに称賛され、一緒に祝えたらいいのにと思うと、喜びも半減した。
もうすっかり位置を覚えてしまった本を見上げては、溜息をついた。忌々しくて、捨ててしまおうと思ったが、どうしてもできなかった。
冬至の祭りが近付いたころだった。
城の南門を守る衛士が、私の私室に訪ねてきた。困ったことがあるのだと言った。なかなか話し出さず、同輩同士で話し役を押し付け合っていた。
やっと話し出した内容は、憂鬱なことだった。
「南の城門に、一週間前から、大公さまに目通りを願う者が通っているのですが……。追い返しても、追い返しても、毎日来ます。どう見ても、怪しいので……。逮捕しようとも思うのですが、何分罪を犯しているわけではないので、困っています。」
そんなことは彼らの内で処理してほしいと思ったが、何日も来るならば余程のことがあるのだろう。少し興味を引かれた。
「どんな風体の者だ?」
「それが……」
衛士たちは言い淀んだ。
「ありていに申せ。」
「……草原の者でございますよ。」
「父上からの使いではないのだな?」
「そうだったら、入れています。」
彼らは目配せし合っていた。
「そなたら、様子がおかしいぞ。何なのだ? 怪しいとはどう怪しいのか、はっきり申し述べたらいい。私の命を狙っているようだとでも言うのか? ……草原の者なら、それはないな。」
彼らはまた気まずそうに顔を見合わせたが、意を決したひとりが話し始めた。
「女でございますよ。通常の女ではありません。」
通常ではないという意味は解らなかったが、草原の女と聞いて、私は落ち着かない気持ちになった。
「その女は、今日もいるのか?」
「ええ。いつものように、堀端にじっと立って、我々の言うことなど聞き入れません。」
「……ここへ連れて参れ。」
現れたのは、やはりラザネイトだった。衛士たちは目を逸らし、私の言うのも待たず直ぐに出ていった。
私はその姿を見て、驚愕した。衛士が言った“通常ではない”という意味が解った。
「その腹は……?」
彼女は少し驚いたようだった。
「見れば解るでしょ? 子ができた。六月になる。春先に生まれるよ。」
私は動揺していた。
「なんで!」
「なんでって……あんたと交わったからでしょ。」
「そうだけど……」
彼女は笑い出した。そして、当たり前のように
「何も、あんたにどうにかしてくれとか、養ってくれと言うつもりで来たんじゃないの。黙っていて、父さんの許で育てようと思った。でも、あんたに何も言わないのは、よくないと思ったのよ。」
と言った。
「それはいけない!」
「何が?」
「親父殿の側でなんて……」
「どうして? 父さんは喜んでいるよ。」
父親が未婚の娘の妊娠を喜ぶなどとは、信じられなかった。怒っていることを彼女が隠しているのかと思ったが、カラダーグが怒鳴りこんで来ないことを考えると、嘘でもないようだ。
「喜ぶって……。未婚の娘が子を産むんだよ?」
彼女は不思議そうな顔をした。
「子供が生まれるのはいいことじゃない? 都ではそうじゃないの? そんなことないでしょ。未婚だったらいけないの?」
「都では、未婚で産まれた子は低く見られるんだよ。下手すれば、堕胎ということもある。」
ラザネイトは眉をひそめた。
「酷い話! 草原では、子供はみんな同じ。無理強いで出来た子も同じよ? 男の子なら、娘の父親か兄弟の父称をもらう。女の子も、家族に保護される。」
「それはいけない! 引き取る!」
大声を出すと、彼女は挑むように私を見据えた。
「そんなことを望んでいるんじゃないって、さっき言った。私は息子と離れて暮らしている。また子供を取られるのは嫌。一緒にいたい。」
「そうではない。君と子供と二人を引き取ると言ったんだ。」
「あんたの子が生まれるから?」
私は、ラザネイトがかつて、自分を褒美のように思っていると言って、私から離れたことを思い出した。今度は、子供の為に彼女を望んでいると思っている。
彼女自身が欲しいことは暗黙の了解だろうというのは、私の思い込みだ。
想いを言葉にしなければならない。美辞麗句をくどくどと並べる必要はない。正直な言葉を口にすればいい。
「子供のことは単なるきっかけだ。何より、君を愛しているからだ。」
彼女は目を逸らし、唇を噛んだ。
しばらくして、彼女は照れくさそうに苦笑した。
「本当は、本当は、あの時、どうしてあんなことを言ったのかって、後悔した。あんたは私の為に頑張っていたし、私と草原を愛してくれたのに……。どうしてああなったのかな……。私は賢くないから忘れちゃった。」
そして、苦しそうに顔を歪め
「あんたの子が出来て、嬉しかったの。あんたに似た男の子なら、どんなにいいだろうって。あんたと一緒にいる気分になれるかなって。そうしたら、本音は、あんたと暮らしたいんだってわかって……都に来た。……ごめん。あんたの気持ちは考えていなかったね……」
と言った。
私は、本棚からあの本を取り、頁を開いて見せた。
白詰草の指環を見て、ラザネイトはぽろりと涙を落した。
彼女は帯の間から手巾を取り出した。糊を利かせた麻の手巾の間に、赤い詰草の指環が挟んであった。
私は彼女を抱きしめた。
「一緒に暮らそう。子供が私を縛るのではない。君が……君を愛する気持ちに縛られている。」
「一緒に?」
「君はこれから、ラザックの宗族のところで暮らす。」
「え?」
「嫁いだら、夫の氏族のところで暮らすだろ? シークは元々、ラザックの宗族と一緒に生活したんだから、君はそうするんだ。夏場、私はラザックのところで暮らす。」
その後に言うべきことは、ラザネイトに我慢を強いることになる。だが、曖昧にするわけにもいかない。
「冬は……すまない。都を捨て置けないんだ。」
「うん……。私、冬は都に暮らす。ラグナルは、夏に草原にいてくれるんだもの。私は我儘だったわ。あんたのいるところが、私の草原なんだもの。」
もう何も言うことはない。黙って抱きしめ合った。
「馬車を用意するよ。神殿に行かなければね。」
「馬車? 馬があるよ。」
「馬はだめだよ。腹に子がいるんだから。」
彼女は不思議そうな顔をした。
「ここまで馬で来た。母さんも姉妹も、出産まで馬に乗っていたよ。私も息子を産むまでそうだった。要らない。」
草原の者は、生まれる前は母の鞍の上という話は、本当だったのかと驚いた。
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