5.

 それから数日は、ジェールの侯爵の件の処理で多忙だった。
 父は都に滞在していたが、北の門に住む父の縁の“フォントーシュ”と呼ばれる人々を屋敷に招いて、歓待しているとかで、城にも朝議にも現れなかった。
 父はジェールのことを、本当に宮廷に任せるつもりだったのだ。私のやり方を見定めているのだと、引き締まる思いがした。
 諸侯のうちには、侯爵を処刑すべきだとする者も多かった。ジェールの領地を割領してほしいと、あからさまに匂わせる者もいた。
 何とか、私の意見を皆に納得させ、侯爵は都の屋敷に軟禁した。

 問題が解決して、父の言った“血を流さずに済む方法”を考えようと思っていたところ、父がふらりと登城してきた。
 父は、寛衣をまとった男を一人、青年を一人伴っていた。
 青年の方はこの国の者だったが、もう一人は黒い髪、こげ茶色の瞳、釣り目の恰幅のいい中年の男だった。セリカの人間に見えた。
「この間の宿題、考えたか?」
 私には返す答えがない。考え始めたばかりなのだ。
 父はにやりと笑った。お見通しだったのかもしれない。
「この男をお前に与えよう。」
「誰ですか?」
「こいつは、遠い東の昭武という部族の者だ。そのうちのキシュという氏族の出身だ。」
 私は意図を計りかねた。
「彼らは、赤ん坊が生まれると、唇に蜜を塗り、手に膠を塗る。」
 更に意味が解らなかった。
 男がにっと笑った。ひどい反歯だった。
「甘い弁舌で客を誘い、掴んだ客は膠のように逃さないように。そういう意図のまじないでございますよ。」
 彼は商人なのだとわかった。
「草原の冬の諍いの話。枯れる夏に蓄えのできなかった奴らが、力ずくで奪おうとするから起こるんだ。生き延びる為に、ひとは他人の血を流すことも厭わない。」
「大公さまを金持ちにして差し上げます。テュールセンのデジューさまは、武門のお筋。立派な勲しは数あれど、どうも商売は苦手でいらっしゃる。」
 キシュの商人はそう言って、デジューに笑いかけた。デジューは苦笑していた。
 青年の方は
「皆が豊かになれば、少なくとも争いは減るだろ?」
と言った。
 街の者だと思われるのに、堂々と親しげに話しかける彼に、私は少し戸惑った。
「この若者は?」
「これは私の助手とでも言いましょうか。まだまだ勉強せねばならんのですが、そこそこ使えるようになりましたのでね。連れて参りましたよ。」
「そこそこかよ? ま、いいや。俺はラースロゥ・アナトゥーリセンっていうんだ。あんた……いや、大公さまの兄貴だよ。」
 若者は胸を張った。
 私と同じ父称を持つ青年。父に庶子がいたのかと驚いた。どう遇すればいいのか咄嗟には判らなかった。
 すると、父は彼の額をぐりぐりとつつき
「ラースロゥは俺の養子なんだ。態度はどうかと思うが、お前の為に働くだろう。」
と言った。
 すかさずラースロゥは
「父ちゃん、“だろう”じゃねぇだろ。俺は弟の為になら、なんだってするのさ。」
と言って、私に笑いかけた。
 どう見ても、彼は貴族ではないばかりか、下町の生まれ育ちのように見えた。私はいかにも胡散臭そうな目をしていたのだろう、彼は苦笑した。
「俺は貧民屈で生まれたよ。でも、そんなこと気にしちゃいけねぇな。立派な君主は、有能な奴を重用するもんだ。」
 あからさまな言い様に、デジューでさえ言葉を失っていた。
 父も呆れているようだった。溜息をついていた。
「取り繕うってことを知らないんだ。豊かになる方法を教わる代わりに、雅やかな振舞いってやつを教えてやってくれ。」
「はい……」
「それから、キシュ。お前、やりすぎるなよ。お前らの国のように亡ぼすわけにはいかん。」
 キシュはにやりと笑った。
 私は驚きの声を挙げた。
「何ですって!」
「昭武は、商売に血道をあげすぎてね、国を守ることには熱心ではなかった。だから、何百年も前に国を失ったんだ。それでも、彼らは不幸でも何でもないようだから、おかしな奴らだよ。」
「そりゃ、十分な暮らしができれば、国なんかなくてもね……。ああ、これは失言でしたな。この国は、恐ろしい草原の軍勢があるんだから、我々のような憂き目は見ませんよ。」

 私とデジューは彼らを受け入れ、財務を任せた。本音を言えば気が進まなかった。
 しかし、仕事ぶりには目を見張った。城の金蔵に、金がどんどん貯まり始め、倉にも穀物の袋がぎっしり詰まれるようになった。
 彼らが財をくすねたり、地位を笠に着た言動をするのを案じたが、そういうこともなかった。
 都は豊かになり、賑やかになった。街の富は、城に返ってきた。
 キシュもラースロゥも私に、街へ出て暮らし向きを見ろと言った。
 私も興味があることだ。幾らかの護衛に守られて街へ出た。
 当初、街の者はよそよそしい態度を取っていたが、出る度にそれも薄れ、やがて親しげな笑顔を向けてくれるようになった。
 ただ、ひとつ気がかりがあった。
 町人が私を“ラザックの大公さま”と呼ぶことだった。これは、諸侯には聞きづらい呼び方だろうと思った。

 父に、キシュとラースロゥを紹介してくれた礼と、懸念を伝える書状を送った。父から、繁栄を喜ぶ返事が届いた。
 懸念については一言だけ、助言めいたことが書いてあった。
“お前の行いと民草が、お前を守るだろう。”
 それでも、私は不安だった。ラースロゥに託つと、笑い飛ばされた。
「出自なんか……俺が貧民だったからって、あんたは気にしなくなっただろ? 同じことさ。ロングホーンの貴族だって、あんたがいいことをすれば、何も言わなくなる。」
 私はすっかり気が楽になった。これからも、皆が豊かに暮らせるように努めようと心を新たにした。
 だが、彼は急に厳しい表情になり、私が考えてもいなかったことを述べた。
「心配なのはそこじゃない。あんたは父ちゃんが死んだら、シークになる。草原は、都とは違うからな。そして、ロングホーンの貴族がどう思うか……」


註 セリカ:中国のあたり


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