天狼を継ぐ者
3.
父と私のやり取りをにこにこと眺めていたデジューが、我々の話が一段落つくのを見て、父に厳しい表情で話しかけた。
「南の街道はいかがでしたか?」
「殲滅した。四日前だ。」
父は短く答えた。ぎらりと緑色の瞳が光った。
私は驚いて、父の顔をうかがった。
都へ入る南の街道に、不逞の輩が出没する話は朝議で聞いていた。
南の山の間を通る切通しに関があるから、その南の草原側に彼らの拠点があると考えられていた。
しかし、そうならば、草原を統べるシークである父が許すはずもない。どうしたことだろうと皆訝しんでいたのだ。
父は思いも寄らぬことを言い出した。
「あれらのねぐらは、草原側ではない。関のうちだ。……ジェールの侯爵は逮捕した。監獄へぶち込んであるから、後は宮廷が決めてくれ。」
ジェールの侯爵は、その領地のうちに南の関を持っていた。関の持ち主こそ、大公である私だったが、管理しているのは彼である。
古くから、ジェールという大きな領地を与えられている大貴族が、背いているということがにわかには信じられなかった。
父は苦笑して、私に説明をしてくれた。
「侯爵は身の内に賊を匿う見返りに、上りをもらっていたということだよ。毎度、ジェールの懐から稼ぎに出て、胸元に帰っていたんだ。宮廷も騙しおおせているし、俺にもばれていないだろうと、高を括っていたんだね。」
私は、朝議でのジェールの侯爵の取り澄ました様子を思い出して、唖然とした。
「どうして……?」
「金が欲しい、豊かな暮らしが欲しい……そう思うのは悪いことではない。責められもせん。だが、時々ひとは卑怯な方法で、それを叶えるんだね。ジェールは誘惑に負けた。そういうこと。」
父の瞳には、裏切ったジェールの侯爵に対する怒りはなかった。
「どうしよう……?」
「それはお前と宮廷が決めることだって、言っただろ。血祭りに挙げるもよし、手元で見張るもよし。」
「処刑……?」
「そうするか? ジェールは独り身だが、庶子は数え切れないほどいるからなあ。後継ぎには事欠かん。……ま、たくさんの子供から親父を奪うのは、不憫な気もするね……」
そう言って、父はにやりと笑った。
私がどう判断するのか、父は試しているのだと思った。草原の者が好むであろう、思い切った処分を期待しているのだろうと思ったが、私にはできなかった。
「都で監視下に置きます……」
と言うと、父は目を輝かせ、私の肩をぎゅっと抱き締めた。
「それでいい。またやらかすなら、いつものように、俺が締め上げるからね。」
意外だった。剽悍な草原のシークならば、裏切り者は当然殺すのだろうと思った。そうしない私を、臆病者だと責めるだろうと思っていた。
そして、“いつものように”と言ったことに驚いた。
問いかける目を向けると、思いも寄らぬことを言った。
「誰かがお前に背こうとするたびに、俺は軍勢を差し向けた。賊が現れるたびにも。お前のことを想わない日はない。」
手紙の末尾の文と同じことを、父は言った。
「シークは、いつも私が動く前に、いち早く軍勢を動かしてくださった。草原の兵は脚が速いから、間に合うべくもないんだがね。」
デジューが苦笑すると
「草原は皆騎兵だからね。」
と父が答えた。
そして
「若いころと、さほど変わりのないことをしている気がするが……。息子の為なら、働き甲斐もあるな。……でも、冬戦は身体に堪えるよ。」
と溜息をついた。
「そんな歳でもないでしょう?」
「……そう言ったら、あなたがリュイスの馬鹿……いやいや、テュールセンの公爵に、討伐を命じるかと思って。」
「リュイスもね、未だに落ち着きませんな。我が倅ながら、馬鹿者ですわ。」
そんなことを話して、デジューと二人で大笑いしていた。
デジューは私を見て
「今までずっと、お父君はあなたを、そうして守ってくださったのです。感謝なさらないとね。」
と言った。
父は手を振り、デジューの言葉を退けた。
「いらぬわ。……でもね、ラグナル、いずれはお前が自分ですることになる。」
「……これからも、誰かが私に背くと……?」
尋ねると、父は困った顔をした。哀しそうだった。
「お前が草原の血を引いているから。子は父系に属するとされている以上、ロングホーンの貴族のうちには、お前を主と考えたくない者が出るだろう。」
かつて、シークが大公に臣従していたころ、ロングホーンの貴族たちは、草原のラザックやその傍流のラディーンを見下し、差別的な扱いをしていたというが、父系にその血を引く私が大公になったことで、もう過去のものとなったと思いこんでいた。現に、私を軽んじた態度を見せる者などいなかった。
しかし、見せかけだけそうしている者もいたのだ。私がいかに甘い考えだったのかと知らされた。
自分の足許が、途端に緩んだ気がした。堅固にするには、敵対する諸侯を討伐しなくてはならないのだと思ったが、納得できなかった。
「君臨する為に戦をするのは気が進まない……」
と呟くと、父は
「皆がそれぞれの領地で、それぞれに采配し、お前は都だけを治めるか? だが、すぐに誰かが他の誰かを支配しようとするだろう。……同じこと。むしろ、戦乱の世の中になるかもしれん。」
と言った。
私は考え込んだ。すると、今度は
「おいおい、お前は立派な大公になろうとはしないのか? 戦の心配ばかりして。どうすれば、ひとの血が流れずに済むのか考えてみろ。」
と笑った。
「どうすればいいのですか?」
父は笑いながら私を小突いた。
「すぐ他人に教えてもらおうとする。よくないな。考えろって言っただろ? 俺も正解は知らん。ずっと皆が考え続けてきたことなんだ。あっさり俺がわかったら、昔の賢いひとは百万回でも憤死する。……ああ、昔の賢人はもう死んでいるから、憤死できんな。」
父は楽しそうだ。私が答えられないのが、愉快であるようだった。
「俺が誰かに教えを垂れるようになるとはね! ……俺は親切だから、少しだけわかったことを教えてやるよ。全部は教えてやらん。とっかかりだけ。」
「はい……」
「草原ではね、冬に雪が降らないと、次の冬は戦が起こるんだ。」
そう言って、父はにっと笑った。
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