9.

 その夜には、ファラーラの相手は現れなかった。
 傷の状態がそれほどに酷いのだろうかと思うと共に、顔の傷ごときを気にしているのかと、トゥーリは苦々しかった。
 しかし、男とはいえ、若さがそう思わせるのだろうと考えることにした。
 翌日に、相手側から遣いがあり、数日後の宵に訪れてくれという話だった。
 夜の集まりでもないのに、宵の招待というのは不可解だったが、承諾した。
 ファラーラだけを連れて行こうと思ったが、ナズィーラも行くと言い張った。ファラーラもそれを望んだ。相談役だからと主張する姉妹の言い分を、父は受け入れた。

 相手の屋敷では、父親が自ら玄関先まで出迎えてくれた。大公の補佐を務める、初老の品のよい人物だった。
 彼は愛想よく迎えたが、ファラーラを見て
「こちらの姫君ですかな? ……麗しいですな。」
と言って、ため息をついた。
 案内された部屋は、板戸が閉められて、ひどく暗かった。小さな燭台だけが置いてあり、天井の蝋燭は灯されていない。
「足許すら見づらい。」
とトゥーリが言うと
「……申し訳ない。息子が少々ね。気にし過ぎだと言うのですが、どうしても……」
と答えた。
 トゥーリは、この聡明な父親ですら、窘められないのかと驚き、それほど酷い状態なのかと気持ちが重くなった。
 やがて、燭台を持った小姓に足許を照らされながら、相手が入って来た。
 濃い色の髪をした、すらりとした若者だった。足取りは若々しく軽かった。
 三人が座っている前で挨拶はせず、真向いの壁際まで進み、そこで初めて挨拶をした。
「初めてお会いしました。ヘクトール・マグヴィセンにございます。」
 口を開いたときは三人の方を向いたが、言い終わると俯き加減に、顔の右側だけを彼らに向けた。
 父親が
「これが二番目の息子です。不調法だと思し召されるでしょうな。お恥ずかしい次第です。……ヘクトール、こちらが父公と、二人の姫君。」
と言った。
 異様な雰囲気に、二人の娘たちは寄り添い固くなっていた。トゥーリが促すと
「シークの一番目の娘、ファラーラと申します。」
と小さな声で名乗った。
「二番目の娘のナズィーラ。」
 妹も小さな声だった。
(娘どもは臆したか? ……まあ、俺も多少、居心地は悪いのだが……)
 トゥーリはどう言っていいものか、戸惑った。
「遠すぎて、声を張り上げねばなりませんな。」
 思ったままを言ってみると、意外にもヘクトールは軽く笑って
「おっしゃる通りです。顔のことはお聞き及びだと思います。心の準備はよろしいですか?」
と言い、三人の前に歩み寄った。

 三人は間近に見て、挙げかけた驚きの声を飲み込んだ。
 顔の左側は、瞼から頬にかけて大きな火傷の痕があった。爛れて、引き攣れ、左瞼は開きにくいようだった。無傷な右側は整っているだけに、いたましかった。
 無残な傷を負った戦士たちを見てきたトゥーリは、すぐに見慣れたが、娘たちは驚きが覚めない。
 ヘクトールは、娘たちの様子に苦笑した。
「驚きますよね。」
「それは?」
「天井に吊ってあった灯りが落ちて、鉄環の下敷きになったのです。運悪く、蝋燭の火が絨毯に移って……。顔を焼いたというわけです。」
 淡々とした言い方だった。逆に、苦さを感じた。
「……あまり見られたくなくて……。こんな暗がりは失礼だと思うのですが、お許しあれ。」
 そう言って、ファラーラに微笑みかけた。
 ヘクトールの父は
「そなたは気にし過ぎなのだ。」
と窘めたが、何度言っても聞きわけなかったとわかる諦めの滲んだ口調だった。
 彼は父の方をちらりと見て、ふっと笑った。
 ファラーラが
「許すも何も……お察しいたします。」
と言うと
「ああ、よかった。この方が、私は気兼ねせず話ができるから。」
と言った。

 その後は、むしろ愉快だった。コンラートに聞いていた通り、話題も豊富で、教養を感じさせる話しぶりだった。
 二人の娘もすっかり気を許したようだった。陽気に笑い、会話を楽しんでいた。
(顔の傷など……いい若者じゃないか。)
 トゥーリは、ヘクトールに好感を持った。ファラーラの表情をうかがったが、嫌悪感は認められなかった。
 帰り際に、ヘクトールは
「またおいでくださいますか?」
と尋ねた。不安そうな色があった。
「ええ。」
 ファラーラが承諾すると、彼は嬉しそうに微笑んだ。

 トゥーリは、ファラーラにヘクトールの印象を尋ねた。
「すごくいい人だった! また話したい。」
 ナズィーラが先に答えた。
「お前に訊いちゃいない。」
「だって……」
 ファラーラは、ふくれ面になるナズィーラを笑って
「いい方だったわ。」
と答えた。
「お前の毒舌が出る余地もないな。」
「ええ。」
「あの顔だが……気になるか?」
「それほどでもないわね。」
 トゥーリはすっかり安堵した。



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