10.

 二人の娘は、度々ヘクトールを訪ねた。ファラーラはあまり訪問の内容を話さなかったが、ナズィーラは事細かにあったことをトゥーリに報告した。
 ヘクトールは相変わらず、煌々と明るい所には出たがらないが、二人に気を許したらしく、顔の傷を隠すこともなくなったという。
 トゥーリはナズィーラのはしゃぎ様に苦笑し
「お前の相手じゃないんだから、少し控えておれよ。邪魔をしてはいかん。」
と窘めた。
「もちろんわかっているよ。ファラーラと二人で並んでいると、背格好もちょうどいいの。顔の傷が残念だわ。ヘクトールは綺麗な顔をしているから。でも、全て申し分ない人なんかいないんだから。」
「わかっているなら、ファラーラを一人で行かせるんだよ。」
「私の歌うのを気に入ってくれて、褒めてくれるんだもん。ヘクトールは、リュートを上手に弾くの。私のセリカの楽器の話をしたら、見たいって。」

 その後、ファラーラは都の水や食が合わないと言い、体調を託つことが多くなった。気分が優れないと言って、寝室に籠った。
 ヘクト―ルから、ファラーラの体調を案ずる書状が何度も届いた。返書を返そうとすると、ナズィーラは自分が行って伝えた方がいいと言い、渋い顔をするトゥーリを尻目に出かけた。

 訪ねると、ヘクトールはまずファラーラの様子を知りたがった。真剣な表情をしていた。ナズィーラは苦笑し、快く話して聞かせた。彼はため息をついた。愁眉の開く様子はなかった。
「ヘクトールは本当にファラーラが好きなのね。」
「もちろん。君の姉さまほど美しくて、優しい人はいない。」
 彼女は笑い出した。
「その通りよ。でも、あなたはファラーラの毒舌をまだ知らない。すごいんだから。」
 ファラーラを貶めるつもりは、もちろんない。冗談交じりの発言だった。彼も笑ったが、すぐに寂しそうな顔になった。
「姫君は、私に心を開いていないのかもしれないね。その毒舌を私の前で披露したことがないのだから。」
 ナズィーラは、自分の発言を悔やみ
「そりゃあ、最初から出さないでしょうよ。驚いて、怯んじゃうでしょう? それは困るんじゃない?」
と微笑みかけた。
「そうだね。……姫君は私のことを何か言っているか? どう思っているのかなあ。最近そればかり考えるんだ。……もしかしたら、体調を口実に私に会いたくないのかなと。本当は嫌われてしまっているのではないかとね……」
 辛そうだった。彼女は心からの同情を感じた。
「そんなことはないよ。父さまがラディーンの野(ラディーナ)に人を遣って、水と太った家畜を連れて来させるって。それに、都の水にもそのうち慣れるんじゃないかしら?」
「そうならいいけれど……。気にしすぎか。」
 そう言ったものの、少しも彼が安心した様子を見せないので、彼女も辛くなった。
 彼は彼女の様子に気づいて、話を替えた。
「その楽器が、話していたセリカのものか? 見せて。」
「いいわ。変わったものなの。」
 ヘクトールに楽器を渡すと、しげしげと見て
「弦が二本しかないんだね。これで充分に旋律を奏でられるのか?」
と弦を弾きながら尋ねた。
「聞いていて。」
 ナズィーラは、父が作ったにわか作りの弓で、弦を擦ってみせた。
「風変りだが、美しい音だ。……でも、その弓は元々からついていたものじゃなさそうだ。」
「父さまが作ったの。私が指で弾いたら、擦って音を出すものだって言った。草原の灌木と馬のしっぽで作ったの。」
「父公さまは正しいね。……でも、その弓は美しい造りの楽器に似つかわしくないな。」
「セリカの商人は、弓は持っていなかったのよ。」
「可笑しな話だ。」
 へクトールは笑って、部屋を出て行った。しばらく待っていると、彼は短弓を持って戻って来た。
「貸してごらん。」
 彼は、灌木の弓に張ってあった馬の尾を外した。そして、短弓の弦を切り、馬の尾を張った。
 ナズィーラは受け取り、試してみた。
「ああ、ちょうど使いやすい。父さまか近習の誰かに、いらない短弓をもらって作るわ。……本当にヘクトールは賢いね。」
 彼は顔を歪め
「あげる。私には必要なくなったから。」
と言った。
 狩りをすることも、稽古をすることもないという意味だと察した。彼女は
(また使うことがあるかもしれないでしょ。)
と窘めようと思って、止めた。外に出ろと言っているようなものだ。配慮のない言葉だ。責められたと彼が感じるだろうと思った。
「どれ、弾いてみせてくれ。」
 彼は微笑んで促した。

 ナズィーラは、都で流行っている歌をうたった。
 ヘクトールは拍手したが
「その音にはもっと……そうだなあ、草原の哀愁のある恋の歌が似合いそうだ。切ない悲恋の歌など。」
と言った。
 彼女が望み通りの歌をうたうと
「草原は荒々しくて、何もかもが強い。空も大地も、人が泣いていようと優しく慰めてはくれないのだろう。だからこそ、人は強くなり、くじけずに先を見られるようになるのかもしれないね……」
と言った。しんみりした口調だった。
 そして
「この顔、ようやく諦めもつき始めたのだが、ダメだね。姫君にどう思われているのだろう? 少なくとも、素晴らしいとは思われていないだろうね……。悔やんでも仕方ない……傷がなくなるわけでもない。けれど……前の通りなら、姫君の隣に並んでも、それなりに見られただろう。……悔しくて、辛いよ。」
と言った。澄んだ碧い瞳が潤んでいた。



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