8.

 その夜。
 着飾ったファラーラは、問題ない。
 ナズィーラがどんな装いをしているのか、トゥーリは案じたが、出てきた彼女は草原の晴れ着を着ていた。
 都の衣装は、自分でも似合わないと気づいていたらしい。苦笑して
「お前はその方が合っている。」
と言うと
「そうでしょ。裾の長いのは、私には厄介だったの。」
と笑った。
 ファラーラも笑ったが、一瞬俯き、ため息をついていた。ナズィーラが気づいて、姉をそっと見やった。

 その夜の宴は、貴紳淑女の大勢集まる賑やかなものだった。
 初めて現れた“父公”の二人の息女が、主人公である。
 ファラーラは、艶のある褐色の髪を結い上げ、象牙色の生地に、金の刺繍を施した、袖の広い衣装を身に着けていた。幅広の飾り帯を締め、胸元が開いていた。胸の豊かな様子と細い腰が強調され、女らしい魅力を存分に振りまいていた。
 立ち歩くと、ベリルの首飾りと耳飾りが灯りに煌めいた。
 広間に入るなり、皆の注目が彼女に向かった。数人が周りを取り囲み、口々に称賛した。側にいたナズィーラのことは知らぬふりで、ファラーラにばかり話しかける。
「麗しい草原の姫君、お名前は?」
 慇懃に尋ねる若い公達に、ファラーラはぞっとした。まったく妹を無視した様子も不愉快だった。
「ファラーラ。こちらは妹のナズィーラ。」
と、ナズィーラの方を強調して答えた。若君はナズィーラを一瞥して、ふっと笑い
「不思議な響きのお名前ですね。何か意味があるのかな?」
と尋ねた。
「大食の言葉で苺のことですわ。ナズィーラは……」
 ナズィーラの話をしようとしたが、彼はそれに重ねて
「可愛らしいお名前だ。草原は春になると、野いちごの花が咲くそうですね。とても美しいと聞きました。」
と言った。
「ええ。春先に生まれましたから、父がそうつけたのです。ナズィーラは……」
「ああ、父公さまは大食好みのようですね。大食の造った美しいお屋敷に、大食の名前を持つあなた。異国的で実に魅力的。」
「まことに。その神秘的な瞳。黒い真珠のようです。見つめられると、引き込まれそう。」
「黒真珠の姫。……まったくもって、父公の家系は美貌の筋らしい。お父君に似ておられます。」
 ファラーラは、彼らが口を開くたびにげんなりした。
(男のくせに、なよなよと……。気持ち悪いったらありゃしない!)
「お手をどうぞ。音楽が始まりました。」
 白い手を差し出されたが、仕事をしない柔らかな手の感触に、彼女は身震いが出た。
 父の表情をちらりとうかがうと、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
 だが、何も言わなかった。誘いを断るべきではないのだろうと、ファラーラは我慢し、その若君と踊った。

 姉を眺め、ナズィーラはため息をついた。
「ファラーラは本当に綺麗。夜会って素敵よね、父さま。」
 紅潮して、感心している。トゥーリは鼻を鳴らした。
「あいつ、きっと帰ったら吐くよ。」
「どうして?」
「……まあ、いつもの毒舌を封印しているのは、見上げたもんだよ。」

 それからも、ナズィーラを無視した会話が続いた。ファラーラは辟易し、腹も立っていた。妹のことも認めてほしい。
「妹、ナズィーラはとても歌が上手なの。ほら、ナズィーラ、伶人からリュートを借りなさいよ。あなたの方が上手いわ。披露しましょう。」
「そうだな。ナズィーラ、草原の歌をうたってみろ。」
 父も同じように思っていたらしく、賛同した。
「……それはお聞きしたいですね。」
 たいして興味もなさそうに、取り巻きが言った。
 ナズィーラの歌った恋の歌は、皆の称賛を受けた。
「草原の詩人ですな。伶人よりお上手。もう一曲どうぞ。」
 そうは言ったものの、彼らはナズィーラの歌を添え物にして、ファラーラを口説いた。
 トゥーリは忌々しくその様子を眺めた。

「トゥーリ。また壁際か。」
 陽気な声がかかった。
 旧知の友だった。テュールセンの公爵であるリュイスである。武門の名家の出自であるが、若いころは女遊びばかりする放蕩者だった。トゥーリも彼に誘われて、散々悪さをした。いわゆる共犯者であり、悪友である。
「お前か。どこにでも湧いてくるな。」
 ため息をついたが、彼に会うのは嬉しかった。
 リュイスは
「あれがお前の娘か。女装したお前みたいだな。よく似ている。」
と言って、けらけら笑った。
 そして、彼は遠目にファラーラをじっくり眺めて
「いい女だ。色っぽいな。既に男の五・六人は捨てていそう。」
とにやりと笑った。
「……二人ほどは、俺も知っているな。」
「えっ! 何? 男関係、放任?」
「ま、そうなっているな。用心していようと、蚊のように、どこからか現れては刺していくんだから。」
「男は蚊か。ま、その通りではあるな。……では……」
「お前、俺の娘は口説くな。遠慮なく殺すよ?」
 リュイスは苦笑し
「冗談だよ。あの娘を抱くなんて、お前を抱いている気分になるじゃないか。萎える。……あっちの娘。歌をうたったのも、お前の娘だろう? 歌は素晴らしかった。……まあ、個性的ではあるな。愛嬌がある。……お前、下の娘を作る時、手抜きしたな。」
と言った。
 品のない冗談だ。相変わらずだと、トゥーリは無感情に
「俺はいつでも誠心誠意、全力だよ。」
と答えた。
「ところで。お前、あまり変わらんな。まだまだ若い娘を騙せる。どうだ?」
 リュイスは、意味ありげににやりと笑った。
「お前、まだそんなことしているのか? 結婚しただろう? 相変わらずの色好み。控えんか。」
「人生は楽しまねばならん。もう二・三年すれば、どっと容色が衰えるぞ。最後の花道ってやつだよ。」
「カミさんと楽しんだらいいじゃないか。」
 さすがに本気で遊ぼうとは思っていないらしい。それ以上は誘わず、旧交を温めるだけに終わった。

 もう早、崇拝者の出来たファラーラ。楽しそうに歌をうたうナズィーラ。
 彼女らを、広間の二階部の回廊から眺めている青年がいた。
「あの姫君はなんて美しいんだろうね! それに、妹君の歌は心が躍るようだ。」
 彼はそう従者に囁き、微笑んだ。
 そして
「……もう帰ろう。」
と踵を返した。
 従者は辛そうな顔をし、主の後に続いた。



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