黄金の瞳
3.
草原に展開するラザック族と、その傍流のラディーン族のシークであるアナトゥール……“トゥーリ”には、奥方のアデレードとの間に、二人の娘と三人の息子があった。
多妻の草原にあって、一人しか妻を持たない風変りなこのシークの奥方は、大公家の娘だった。
彼女の弟は一時大公の位を継いだが、ずいぶん前に退位していた。彼は子供を持てない身体だったため、二人の一番上の息子・ラグナルが、大公の位に就いていた。
都にいる長男を除いた四人の子供たちと夫婦、トゥーリの厳しい母のソラヤの七人で、賑やかな食卓を囲んでいた。
息子たちは、分けられた肉の大きさで喧嘩をしている。ソラヤはそれを見て笑い、アデレードと姉娘がたしなめていた。
トゥーリは、こっそり二人の娘を眺めた。
上の娘・ファラーラは、父に似た美しい娘だった。褐色の髪。神秘的な光を宿す濃い灰色の瞳。
陶器のような滑らかな白い肌と、すんなり伸びた四肢。柔らかな女らしい身体つきをしていた。
かつて、トゥーリとアデレードが望んだ“花のようなお姫さま”そのものだった。だが、黙っていれば、と但し書きがつく。
つまり、父親の毒舌を受け継いだのは彼女だった。
年子の下の娘・ナズィーラは、少し変わっていた。
美貌の父、可憐な母の面影は少しもない。絶世の美女だと言われた祖母にも、似ていない。容貌は冴えなかった。知らぬ者が見れば、家族だとはとても思えなかっただろう。
亜麻色の髪はともかく、父の緑色の瞳も、母の青い瞳も受け継がなかった。
日焼けして荒れた肌、そばかすのある丸い顔、ちょこんと摘んだような鼻、目はくりんと大きかったが真ん丸だった。全体的に丸いという印象である。
だが、好奇心でいっぱいのくるくる表情の変わる目、よく笑い、活発で、愛嬌があった。
また、声が非常に美しかった。そして、歌の好きな娘だった。
地鳴りのような低い音から、小鳥のさえずりのような高い音まで、幅広い声だった。重厚な叙事詩から、大食の戯れ歌、切なく情熱的な草原の恋の歌まで、自在に歌い分けることもできた。
会話の間にも、即興に曲をつけて歌うように話すこの娘を、トゥーリは“ひばり”とあだ名をつけて愛した。
母のアデレードももちろん彼女を愛したが、少々心配をしていた。
皆が自室に引き取った夜更け。アデレードが言いづらそうに話し始めた。
「ねぇ。ナズィーラのことだけど……。どう思う?」
それは、何度もトゥーリに訴えてきたことだった。
彼女の言いたいことは予想がつきすぎるほどついたが、彼は
「どうって?」
と訊き返した。
「ちっとも娘らしくならない。」
アデレードは、ナズィーラが子供のころから心配していたが、年頃になって、どんどん不安が増し、焦り始めていたのだ。
「眉はぼさぼさ。せっかく可愛い巻き毛なのに、手入れをしないから絡みっぱなし。肌はかさかさなのに気にしない。今日だって、草の汁と土で、服が汚れていたわ。」
「それは、男親が言うことじゃないだろ? といって……誰が言っても聞かないんだから。」
彼女はため息交じりに続けた。
「少しは格好に構って欲しいのよ。このままじゃ、結婚どころか恋人のひとりもできないわ。」
彼女は自分と同じように、ナズィーラにも結婚して幸せな家庭を築いてほしいと願っていた。
「あいつ詩人になるらしいよ。」
トゥーリは苦笑したが、アデレードは眉をひそめた。
「冗談は止めてよ。……冗談に聞こえないわ。何とかしなくっちゃ。何とかしなさいよ! 誰かいないの?」
「誰?」
「ナズィーラを好きになってくれそうな人よ。」
「今のところいないね。男の話は、あいつからよく聞くけれど、恋だの愛だのではない。仲良し? ま、友達としての仲。」
「そこから何とか……」
「結婚だけが人生かよ?」
そうは言ったものの、彼も望んでいることは、妻と変わらなかった。
二人ともため息をついて、見つめ合った。
「そんなことより……大事なことができた。都へ行く。」
突然の宣言に、アデレードは驚いた。問いかける目を向けると、彼は目を逸らした。
「デジューさまが引退なさるから。ラグナルの様子を見ねばならん。」
彼女は彼の顔をじろじろ見て
「なんで目を逸らすのよ? 隠していることがあるわね? 言いなさいよ。」
と声を低めた。
彼は黙って寝室を出ると、しばらくして二通の書状を持って戻って来た。
一通は、いつものデジューからのものだった。
もう一通は、かつてトゥーリを憎み、命を奪おうとさえしたアデレードの弟、元の大公であったコンラートからの書状だった。
註 大食:アラビアのあたり
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