23.

 二人の仲睦まじい背中を見送り、トゥーリは虚空に
「……涙も出ぬわ……」
と呟いた。

 いつか、若者が自分の娘を連れて行く。その時は、快く門出を祝う父であろうと思ってきたが、実際そうなると上手くいかない。
 娘が生まれた時から愛してきた。娘も自分を愛した。ずっと、娘の一番愛する男は自分だった。
 しかし、娘の愛情は、今後その若者に注がれるのだ。
 自分のように、娘を守っていくと若者は言うが、生意気だと思う気持ちが消えない。自分こそが、誰よりも娘を愛し守っていけると確信している。
 忌々しい思いで、二人の男たちのことを考えた。
 アマラードのことは、側近く召していたから、よく知っている。間違いなく、ファラーラを大切にするだろう。
 ヘクトールのことは、気に入っている。ナズィーラに穏やかな優しい生活を与えるだろう。
 だが、心の何処かに、どうしても許せない気持ちがあった。
「どこの馬の骨かもわからん野郎が……!」
と、また虚空に呟いてみるものの、アマラードの父親も兄弟も知っているし、その一族の来歴の正しさは知っている。
 ヘクトールの高貴な出自は言わずとも知れている。
 悔しくて歯噛みする思いだった。
 かつて、自分もそうして、アデレードを父親から奪ったのだと思い付いたが、やはり気持ちは治まらなかった。

 娘の幸せを願う切ない祈り、相手の若者に託すしかない願い。頼りない拠りどころに縋ることしかできないやるせなさ。
 太古からの父親すべてが感じてきたことは、巡り巡って続いていく。逃れられない愛憎の円環に自分も属しているのを感じた。
 幼い姉妹が、自分の脚にまとわりついては、後を追ってきたこと。向けられた笑顔。自分だけが知っているはずの娘たちの姿。
 そして、若者の為に、昂然と自分に抗弁したこと。
「娘など産んでも、いずれ誰かにとられるだけ……」
 悔しいのか、自分を納得させたいのかわからなくなった。
 だが、虚しい気持ちの中に、何か別のものが芽生えていた。寂しさを覆い始めた嬉しさだった。
「何も……二人いっぺんに行かなくてもいいではないか……」
 トゥーリは枕に顔を埋めて、嗚咽した。

 翌朝、起こしに現れた小姓が
「どうかなさいましたか? ご様子が違います。」
と言った。困った顔をしている。
「どこが? ありていに申せ。」
 口調が投げやりだったと自分でも感じた。案の定、小姓は心配そうに眉を寄せた。
「……お休みになれませんでしたか?」
 何を怖れているのか、控えめな物言いだった。
「そう見える?」
「お疲れのようです。」
「そうかな?」
「はい。毒気が抜けたような……」
「やかましいわ! 毒気? そんなものは、元より持ち合わせておらん!」
 小姓はホッとしたようだった。
「何?」
「いえ。いつものシークでした……。」
「毒気満載ってこと?」
「……ええ。」

 朝食を終えると、娘たちの許婚者へ、ふつふつと闘志が湧いてきた。
(俺の目の黒いうちは、しっかり見張っておかねばならん。)
という迷惑極まりない闘志だった。
 だが、すぐに萎え
(もう、娘は卒業。カミさんと人生を楽しまねばならん。)
と思った。
 アデレードのことを想うと、すっと気持ちが落ち着いた。



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